次に訪れたのは出津教会。
こちらの教会は予約が必要で、教会に到着するとガイドの方が待ってくださっていた。
出津教会は明治15年にド・ロ神父設計施工により私財を投じて建てられた。
木造平屋造で建てられた教会は強い海風に耐えうるよう屋根が低く抑えられているのだそう。
内部は撮影禁止だったのだけど、木のぬくもりが感じられる質素で堅牢な造りになっていて、
アーチ窓も中から見ると引き戸になっていたりと和風の要素が取り入れられていた。
ガイドの方はド・ロ神父がいかに外海の人々のために尽くしたのかということを語り聞かせてくださった。
出津教会は斜面に建つので後方はこんな石垣と石積の階段がある。
出津教会からはド・ロ神父も歩いたといわれるのどかな小径を歩いて、旧出津救助院へ向かった。
旧出津救助院もド・ロ神父によって住民を困窮から救うために創立されたもの。
入口入ってすぐの現在受付として使われている建物は旧薬局として使われていた。
こちらは明治16年に建てられた救助院の中でも中心となる授産場で
1階は作業場になっていて、綿織物の製糸から染色、素麺やパンの製造、醤油の醸造が行われていたという。
二階は修道女の生活場所として、又礼拝堂として使用されていた。
ド・ロ神父がフランスから取り寄せたという柱時計。
リードオルガンの一種であるというハルモニウムもフランス製の高級品でド・ロ神父が取り寄せたもの。
単音でも和音が出せる機能を持ち、毎日のミサで使用されていたという。
音を聞かせて頂いたけど、とてもきれいな音色。
マカロニ工場だった建物
マカロニは当時長崎にいた外国人に売られていたという。
旧製粉工場
ド・ロ神父が考案したと言われる「ド・ロ壁」
自然石の石積の間に赤土に石灰と砂をこね合わせたものが入れられていて雨に強い丈夫なものだそう。
救助院の向かいにあるド・ロ神父記念館は明治18年にド・ロ神父設計により建てられた旧鰯網工場。
その後、向かったのは大野教会。
明治26年に大野地区の信徒のためにド・ロ神父が建てたもの。
こちらの教会は救助院でも見た「ド・ロ壁」で造られている。
入口はこの壁の向こう側に回り込んだところにある
石積みの外壁はまるでヨーロッパの 片田舎にある教会のよう。
間に木造部分も
内部は立ち入り禁止になっていて、ガラス窓の外側から覗いてみると
とてもシンプルな造りになっていた。
そばにはマリア様の像。