田母沢御用邸を出た後は、歩いてすぐのところにある
金谷ホテル歴史館へやってきた。
こちらは、前日の金谷ホテルの館内ツアーで、金谷ホテルの前身となった建物だと伺っていたので、ぜひ見たいと思っていた。
金谷ホテルとは、規模も雰囲気も全く違う。
それもそのはず、こちらの屋敷は、金谷ホテルの創業者、金谷善一郎の自邸だったもの。
建物は江戸時代の役職ある武士の住まいだったものを東照宮楽部の楽師であった金谷家が拝領。
こちらの自宅をアメリカ人宣教医ヘボン博士が日光へ訪れた際に宿として提供。
博士に、外国人専用の宿の開業を勧められたことにより、
明治6年に自宅で金谷カテッジインを創業したのが金谷ホテルのはじまり。
と、前日のツアーで伺っていた。
この囲炉裏のある間は、家族が使用していた部屋だそう。
イギリス人旅行家イザベラ・バードも、日光へ立ち寄った際に
この宿に宿泊し、後の著書に、その体験を綴ったことにより海外に広く知られることになったという。
大谷石のおくどさんやタイル貼りの風呂なども残されていた。
2階の客室。
元は武士の住まいだったことから、いろいろな工夫があった。
押入れの下段の小襖を開けると、1階の囲炉裏の間に通じていて、
囲炉裏から暖を取るためや、敵から逃げ隠れできる仕掛けともいわれていたり
階段に通じる大き目の窓からは、大きな荷物を搬入出できたり、敵の侵入に備えて、敵を上から迎え撃つ間取りとも考えられるなど。
囲炉裏から暖を取るためや、敵から逃げ隠れできる仕掛けともいわれていたり
階段に通じる大き目の窓からは、大きな荷物を搬入出できたり、敵の侵入に備えて、敵を上から迎え撃つ間取りとも考えられるなど。
障子の向こうは1階の囲炉裏の部屋が見下ろせる。
壁に取り付けられた小窓を開けると、小屋裏の様子がうかがえたり。
明治に増築された部分の継ぎ目は、地震対策として緊結されず、お互いに揺れが生じないような工夫がされているという。
イギリス人旅行家のイザベラ・バードが著書の中で、紹介した部屋。
襖の引手の細工。
広めの階段室はものを運び入れたり、緊急時に逃げやすくするためともいわれる。
きれいなライトブルーのタイルの貼られた家具も展示されていた。
さまざまな工夫のあるこのお屋敷は「サムライ・ハウス」と呼ばれ、多くの外国人に利用されたのだそう。
金谷ホテルのような洋風空間は一切ないが、外国人にとっては異国情緒が掻き立てられる宿として好評だったのかなあ。
この後は、バスに乗り込み、一気に駅前へ。
この後はJRで宇都宮まで行く予定だったが、まだ電車の時間まで小1時間あった。
なだらかな三角屋根の東武日光駅が、青空に映える。
山並みもくっきり見えてとても美しい。
時間があったので、食べたかったチーズケーキをイートインしていくことに。
前夜、食事を取った、明治の館のカフェが、東武日光駅のすぐそばにある。
ニルバーナというこのチーズケーキがまた滑らかな舌触りで、とっても美味しく、
自分好みのベスト3のチーズケーキに入るくらいの美味さでうっとりした。
お手洗いのドアには、昨夜食事した洋館の明治の館の建物がデザインされたステンドグラスになっていて可愛かった。
そしてJR日光駅へ。
大正元年に建てられた駅舎は洋風の堂々とした佇まいだけど、
ピンク色なのでやさしい印象。
駅舎は広々としていて、
折上げ天井の待合室。
2階には、1等客専用の待合室も残されていた。現在は、公開され、ギャラリーなどに使用されているという。
後、非公開の貴賓室などもあった。
この後は、宇都宮へ向かった。