蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

十牛図

2011-01-15 | 日々雑感、散策、旅行

外は寒く、太陽も出ない、雪が降りそうなお天気。こんな日はじっとして・・ふと、表題の十牛の図を想い出した。

禅の悟りを拓く道筋を十枚の絵にして、古く中国宋代の偉いお坊さんが解説したものです。悟りの境地を「牛」に見立てて、それを追い求めて行くというシナリオです。
ご存知の方も多いと思いますが、また解釈もいろいろあるようですが・・昔、この図を知って深い感銘を覚えた記憶があります。

(netから借用しました。下の図も)
第一図 尋牛(じんぎゅう) 牛を捜しにゆく
第二図 見跡(けんせき) 牛の足跡をみつける
第三図 見牛(けんぎゅう) 牛を見つける
第四図 得牛(とくぎゅう) 牛をつかまえる
第五図 牧牛(ぼくぎゅう) 牛を飼い馴らす
第六図 騎牛帰家(きぎゅうきか) 牛に乗って家に帰る
第七図 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん) 牛は消え私だけがいる
第八図 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう) 人も牛もいなくなる
第九図 返本還源(へんぼんかんげん) 生まれ変わる
第十図 入てん垂手(にってんすいしゅ) 俗に入り教化する

つまり、修行僧が牛(悟り)を求めてさまようところから始まり、牛を見つけ追いかけ格闘しながらようやく牛をとらえる。
これが第4図です。


牛と修行僧との間の綱は、ピンと張ってお互いが引き合っている。そのうち、牛はおとなしくなり、その綱は緩くたるんでいる。次の場面では、もう綱はない。牛の上に修行僧は乗りながら笛など吹いている。そして、次には、そこには牛の姿はないが、修行僧は安らかな気持ちであずまやに一人で安堵している。
これが第7図。


もう牛は見えなくても、修行僧は心迷うことはない。
やがて、牛も修行僧も誰も描かれていないまったくの空となる。
再び、花咲き誇る自然の野原の図となり新たな世界が出現する。
そして最後の第10図


ここには、布袋和尚の姿になって人を導いている図で終わる。
長くなりましたが、ざっとこんな感じのものですが、さあぁて、今の私の心境はこの図のどこいらあたりに位置づけられるのでしょう・・!
おまえは、もともとなにも求めていないからこの図の範疇にはない・・といわれるかもしれませんね。
しかし、あえて言うならどのあたり・・? そうだな・・もう年も取っていることだし、今さら格闘している場合でもないから、6番目か7番目あたりでしょうか?
8番目の空には、まだまだ遠い感じだし・・そこまで丸くなっていないと思います。
なので、この10の絵の一つ一つの間隔は均一ではなく相当開きもあるな・・と感じています。
皆さんは、今どのあたりでしょうか・・?


これに相応しい音楽はちょっと見当たらないのですが、あえてこれを・・!





Norah Jonesは我々の年代層にも聞きやすい若手Jazz Singerで人気抜群です。
YouTubeでいろいろと聴いてみてください。



もう一曲、おなじみTennessee Waltsをjazz 風にうまく歌ってます。

コメント (2)
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