蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

古事記から(7) (bon)

2015-07-16 | 日々雑感、散策、旅行

                 ニニギノミコトとサクヤヒメとの間に生まれた三柱の子の中、
                     兄ホデリノミコト(海幸彦)とホオリノミコト(山幸彦)の物語です。

 ウミサチの釣り針

 さて、兄のホデリノミコトは、海幸彦として、大小さまざまな魚を取り、弟のホオリノミコトは、
山幸彦として、山にいる大小さまざまな獣を獲りました。

 ある日、ヤマサチは、兄のウミサチに、「それぞれの猟具と漁具を交換してみよう。」

幾度も言って頼みましたが、許してもらえませんでした。 しかし、ついにやっとのことで道具を
交換してもらうことができました。そこで、ヤマサチは、ウミサチの釣り竿で魚を釣ってみましたが、
ついぞ一匹の魚も釣れず、そのうえ、釣り針を海の中へ落としてしまいました。
そこで、兄のウミサチは、その釣り針を返すように頼んでこう言いました。 
「山の幸(獲物)も、
海の幸も めいめい自分の道具でなくては得られない。だから、交換したお互いの道具をそれぞれ元に
返すことにしよう。」  弟のヤマサチは答えて、
「あなたの釣針は、魚を釣ろうとしたが、
一匹も釣れなくて、とうとう海に落としてしまいました。」といいました。 けれども兄は、決して
許さずに、必ず返せと言うばかりです。 そこで、弟は、身に着けていた十拳剣を砕いて、五百本の
釣針を作って償おうとしましたが、兄は受け取らなかった。 そこで、千本の釣針を作って償おうと
しましたが、やはり受け取らずに、「やはり、元の釣針を返してくれ。」と言いました。

 それで弟のヤマサチは、泣き悲しんで海辺にいたところ、シオツチノカミ(海水の神)がやって来て、
「ソラツヒコ(ヤマサチのこと)の泣き悲しんでいるのは、どういう訳ですか」と尋ねたので、
ヤマサチは、「兄から釣針を貸してもらったが、それを無くしてしまったのです。 ところが、兄は
その釣針を返せと言うので、たくさんの釣針を作って弁償しようとしたが、それを受け取らず、
『元の釣針を返せ』と言い張るので、鳴き悲しんでいるのです。」と答えました。

 そこで、シオツチノカミは、「わたしが、あなたのために、良い計画を立ててあげましょう。」
と言って、早速、すき間なく竹で編んだ籠の小船を造り、その船にヤマサチを乗せて、「わたしが、
この船を押し流したら、しばらくそのまま進めば、良い潮路が現れるでしょう。そこで、その潮路に
乗って進んで行くと、魚の鱗のように家を並べて造られた宮殿にたどりつきます。
それは、ワタツミノカミ(海を支配する神)の宮殿です。その宮殿の門まで行くと、傍らの泉のほとりに
神聖な桂の木があります。あなたは、その木の上に座っていれば、その海神の娘があなたの姿を見て、
取り計らってくれるでしょう。」と教えてくれました。

トヨタマヒメ

 さて、ヤマサチは、教えられた通りに潮の流れの中を進んで行くと、すべてその言葉通りであったから、
ただちに、神聖な桂の木の上に登って座りました。

 すると、海神の娘のトヨタマヒメ(豊玉比売)の侍女が、器を持ってきて泉の水を酌もうとした時、
泉の水面に光がさしていました。 振り仰いでみると、美しい立派な男子がいたので、大変不思議に
思いました。このとき、ヤマサチは、その侍女の姿を見て、
「水が欲しい」と所望されました。
侍女は、すぐさま水を酌んで、器に入れて差し上げました。 ところが、ヤマサチは、その水は飲まずに、
首飾りの玉をとって口に含むと、その器の中に吐き出しました。 すると、その玉は器にくっついて
とれなくなってしまったので、玉の付いたままトヨタマヒメに差し出しました。

 トヨタマヒメは、器の玉を見て、侍女にたずねました。「もしや、門の外にだれかいるのですか。」 
というと、侍女は、答えて、「人が来ていまして、私どもの泉のほとりの桂の木の上に、それはそれは、
たいそう美しい立派な男性でした。わが海神の宮の王にもまさるたいへん貴いお方です。そして、
その人が、水を所望されたので差し上げたところ、その水は飲まずに、この玉を器に吐き入れました。 
ところが、この玉をどうしても引き離すことが出来ないので、玉が入ったままお持ちしたのです。」
といいました。

 トヨタマヒメは、不思議に思い、外に出てヤマサチの姿を見るや、一目ぼれして互いに目を見合わせて、
姫はその父(ワタツミノカミ)に、「我が家の門前に美しい立派な方がおられます。」といいますと、
ワタツミノカミは、自ら門の外に出て見て、「この方は、アマツヒコの御子のソラツヒコだよ。」
と言って、ヤマサチを宮殿の中に案内し、アシカの皮で作った敷物を八重に重ねて敷き、またその上に
絹畳を八重に重ねて敷きその上にヤマサチを座らせました。そして、たくさんの品々を貢ぎ、
ごちそうをふるまって、やがてその娘のトヨタマヒメとの結婚式を挙げたのでした。

 こうして、ヤマサチは、それから三年の間、海神の国に住みました。

       ヤマサチヒコとトヨタマヒメの出会い(青木繁画)
            (ウイキペディアより)
 

ヤマサチの復讐

 ある日、ヤマサチは、ここに来たもともとの経緯を思い出して、深いため息をつきました。 
トヨタマヒメは、それを聞いて父の神に、「あの方と三年間共に暮らしてきて、今までため息などする
ことはなかったのに、今夜深いため息をつかれました。もしや、何か深いわけがあるのでしょうか。」
といいました。
 そこで、父のワタツミノカミは、娘婿のヤマサチにたずねました。「今朝、
娘の言うところでは、三年も一緒に住んでいて、これまでため息することがなかったのに、
今夜深いため息をついたといっていました。もしや何か理由があるのでしょうか。 また、そもそも
あなたがこの国に来られたわけは何でしょうか。」 
ヤマサチは、ワタツミノカミに、兄が、失くしてしまった釣針を返せときびしく責めたてた様子を詳しく
話しました。 

 これを聞いたワタツミノカミは、海の大小の魚をことごとく呼び集めて聞きました。
「もしやお前たちの中で、この釣針を見つけたものはいないか。」 
すると、多くの魚たちが答えて言いました。

「近ごろ赤い鯛が、喉に骨が刺さって、物を食べることが出来ないと嘆いていました。きっと、
その釣針に違いありません。」と。

そこで、海神が赤鯛の喉を調べてみると、確かに釣針がありました。すぐに取り出して、洗い清めて
ヤマサチに返しました。 その時、ワタツミノカミが教えて言うには、「この釣針を兄君に返すときに、
『この釣針は、憂鬱になる釣針、気がイライラする釣針、貧しくなる釣針、愚かになる釣針』と唱えて、
手を後ろに回して渡してください。 そして、その兄君が高い土地に田を作ったら、あなたは低い土地に
作りなさい。 兄君が、低い土地に田を作るなら、あなたは高い土地に作りなさい。 
そうすれば、わたしは水を支配していますから、三年の間は、必ずその兄君は、(凶作のため)
貧窮に苦しむでしょう。 もし、兄君がそのことを恨んで、攻めて戦いを挑んでくるようなことがあれば、
この潮満玉(霊力を持つ玉)を出して、潮水に溺れさせればいいでしょう。 もし、兄君が苦しんで
許しを乞うならば、潮乾玉(干潮を引き起こす玉)を出して、命を助けてもよいでしょう。こうして、
悩ませ苦しめてやりなさい。」といって、潮満玉と潮乾玉をヤマサチに授けました。
そして、海中のサメたちを全部呼び集めて、「今、ニニギノミコトの御子のソラツヒコが、上の国
(葦原中国)に帰ろうとされている。だれが、何日で送ってさしあげられるか答えなさい。」といいました。

 サメたちは、それぞれ自身の身長に従って、日数を限って答える中で、一尋の長さのサメが、
「私は、(身の丈が一尋なので)一日で送って、すぐに帰ってこれます。」
と答えました。 
そこで、ワタツミノカミは、このサメに「それなら、お前が送ってさしあげなさい。ただし、
海の中を進むとき、くれぐれもソラツヒコ様が恐ろしい思いをしないよう安全に行きなさい。」
と言って、ヤマサチをサメの首に乗せて、送り出しました。 そして、約束どおり、一日で岸まで送り
とどけました。 ヤマサチは、そのお礼として身につけていた紐小刀を解いてサメの首につけて、
返されました。 それで、その一尋サメのことを今でも「サヒモチノ神」と言うのです。

 その後、ヤマサチは、海神の教えた言葉通りにして、その釣針を兄君のウミサチに返しました。
それで、それ以降は、ウミサチはどんどん貧しくなって、さらに荒々しい心を起こして攻めて来るように
なりました。 そこでヤマサチは、潮満玉を出して溺れさせ、それを苦しがって助けを乞うときは、
潮乾玉を出して救い、こうして悩ませ苦しめるとき、兄のウミサチは、頭を下げて言うには、
「私は、これから後は、あなたの昼夜の守護人となって仕えましょう。」と言いました。 
それで、今日に至るまで、ウミサチの子孫のハヤト(隼人)は、海水に溺れた時の仕草を、絶えることなく
演じて宮廷につかえているのです。

エピローグ
ウカヤフキアヘズノミコトの誕生 

 こういうことがあって、海神の娘のトヨタマヒメは、自身でヤマサチのいる地上の国に来て言うには、 
「私は、以前から身ごもっていまして、今は出産の時期になりました。いろいろ考えましたが、
これは天つ神の御子ですから、海の国では産むべきではないと思い、こうしてやって来ました。」と。
 そこで、早速その海辺の渚に、鵜の羽根を葺草にして、産屋を造りました。ところが、その産屋の
屋根がまだ葺き終わらないうちに、トヨタマヒメはお腹の陣痛が激しくなって耐えがたくなったので、
産屋に入りました。そして、いよいよお産が始まろうとする時に、夫のヤマサチヒコに言うには、
「すべて異郷の者は出産の時になると、自分の国にいた時の姿になって産むのです。ですから、
私も今、本来の身体になってお産をします。お願いですから、わたしの姿を見ないでください。」

 しかし、ヤマサチは、その言葉を不思議に思って、まさにお産が始まるところをひそかに覗き見した
ところ、姫は八尋もある大サメに化して、這い回り身をくねらせていました。このありさまを一目見るや、
ヤマサチは驚き、恐ろしさに逃げ去りました。 トヨタマヒメは、夫が覗き見たことを知って、
とても恥ずかしくなり、その御子を生んだまま残して、「わたしは、海の道を通って、この国との間を
常に行き来しようと思っていました。けれども、あなたは、私の姿を覗いて見てしまったのは、
とても恥ずかしいことです。」
と言って、海と地上の国との境を塞いで、海神の国に帰ってしまいました。
 こういうことで、この時の御子を名付けて、アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズノミコト
(波限建鵜葺草葺不合命=波打ちぎわに建てられた鵜の羽の屋根がきちんと葺かれていない産屋の意味)
というのです。

 しかしその後、トヨタマヒメは、ヤマサチが覗き見したことを恨みつつも、夫を慕う心に耐えかねて、
その御子を養育するという理由で、妹のタマヨリヒメを遣わして、その姫に託して歌を送った。

赤玉は 緒さへ光れど
白玉の 君が装し 清くありけり

赤い玉は、それを貫いた緒までも光るほど美しいものですが、それにもまして、白玉のような 
あなたのお姿が 気高く立派におもわれるのです

これに応えて、夫の神(ヤマサチヒコ)が応えて、

沖つ鳥 鴨著く島に わが率寝(いね)し
妹は忘れじ 世のことごとに

沖の鳥、鴨の寄り着く島で わたしが共寝をしたいとしい妻のことは、いつまでも忘れないであろう 

と歌いました。 
こうして、アマツヒコヒコホホデミノミコト(ヤマサチ)は、高千穂の宮に580年間住まれました。
御陵は、高千穂の山の西にあります。


 この、ヤマサチヒコとトヨタマヒメの御子のアマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズノミコトが、
その後叔母のタマヨリヒメを妻として、生んだ御子のは、イツセノミコト、イナヒノミコト、
ミケヌノミコト、ワカミケヌノミコトの四柱である。

 イナヒノミコトは、亡き母の故郷である海の国へ行き、ミケヌノミコトは、海を渡って常世の国
(外国)へと行ってしまった。

 そして、ワカミケヌノミコトは、別名をカムヤマトイハレビコノミコト(神倭伊波礼比古命)
といい、のちの初代天皇、神武天皇となりました。

                     古事記 上つ巻(神代の巻) おわり

 

             古事記 中、下巻は、歴代天皇について書かれており、
             ここではこれらについてはしばらくお休みとさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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