ツバキの花が見ごろを迎えています。
花はきれいですが、どんどん咲いてきて、これが散る頃の庭の手入れが大変・・ツバキもちの悩み?などと
言ったら、負け惜しみに聞こえるかもしれません。 我が家には、小さな鉢植えの椿・侘助しかありません
ので、椿もちの苦労は知らずにいるのです。
で、この椿の花がどうしたかというと、ランチの会のメンバーの中に、とてもきれいな花を咲かせる
椿の木のある人がいて、昨年の3月に、ひょんなことからメールのやり取りに椿の花が出て来て、
Kaさんに続いて、Oさんもメール添付で、自慢の椿の花が紹介されたのでした。
どちらの椿も、親御さんの代からのものであるそうです。 そこで、あまりにきれいなので、これらの椿の
“挿し木”をしてもらえないか・・みたいなことを言ったのでした。
Kaさん、Oさんのメールに添付された、きれいな椿の花
以下は、ツバキの挿し木、接ぎ木の話です。
それから3か月過ぎた6月20日に Kaさんからのメールで、10本の挿し木ポットを作ったとありました。
若い活き活きとした枝の穂先を斜めに切って、葉っぱを半分くらいに切って、ポット挿しされたのでした。
使用した土は、鹿沼土・・。
Kaさんの作った、最初の10ポットです。
それから、1か月過ぎた7月31日の、ランチの会は二子玉川の新開発商業地区と玉川大師巡りをした時に、
2つのポット挿し椿を(私のところにいただくために)持参していただいたのでした。ビニール袋に入れた、
2つの大事な挿し木を気遣いながら、それでも暑い日差しの中もあったりして、挿し木にしてみれば、
まだ赤ちゃん状態で、こんなに暑い夏のま昼間引きまわされて大変迷惑千万であったでしょう。しかし、
夕方、無事に我が家に到着し、室内の分かりやすい位置に置き、霧吹きで水をあげたのでした。
まだ、水を吸い上げる力が弱いので、葉っぱもろとも、頻繁に霧吹きが必要であるらしく、そのため、
霧吹きもポットの側においていつでもあげられるようにしておいたのでした。
それが、8月の終わり、芽が黒ずんでいるようなのに気が付いたのでした。やはり、無理だったか・・などと
思いながら、それでも気のせいかもしれない、と思い直したのも、翌日には、はっきりと芽が黒くなり
枯れていることが分かったのでした。 何だか寂しくなる気を抑えながら、恐る恐る挿し木を静かに引き上げ
てみると、スポッと抜けてしまいました。そこには、根らしいヒゲ状のものは何もついていませんでした。
すぐに、Kaさんにメールしました。
9月3日の彼からのメールで、まだ、5ポット健在だから、その中から譲れるポットがあることを告げて
いただきホッとしたのでした。
それから、11月初めの鎌倉文学館、大仏、長谷寺めぐりランチの会でも、ひと時 椿談義に盛り上がった
のでした。
今年新年のランチの会は、1月21日、門前仲町の深川不動と富岡八幡でしたが、その直前(16日)に、
Kaさんから、提案がありました。 池袋駅のロッカーに入れておき、ランチの会の帰り際に、駅ロッカーに
寄り、そこで受け渡す・・つまり、持ち歩かないようにとの配慮からでした。大変ありがたい提案でしたが、
少しの移動で、根が緩んだりする危険を避けるため、このご提案は遠慮することとして、新しい葉っぱが
出た頃まで、生まれた実家で過ごしてもらうことにしました。
ところで、この門仲のランチの会に、期せずしてOさん宅の椿の枝付きの花束が持参されたのでした。
きれいに咲いた、白と赤の大きな花の椿でした。ここでも椿談義に花が咲いたのは言うまでもありません。
そして、花は、Kaさんが持ち帰りましたが、はたして、あまりの美しさから、この枝を切って、台木の椿に
“接ぎ木”されたのでした。 今月、2月7日のメール添付の写真に、これらの挿し木、接ぎ木共々
立派な成果が添えられていました。さらに、現在のKaさん宅の椿の枝を、接ぎ木した“ニューフェース”
ポットを追加されたのでした。 挿し木は勿論、接ぎ木の方もいたって順調とのことで楽しみです。
その内、我が家に養子に迎えることでしょう。
言い出してから、そろそろ1年の歳月が流れました。 これまでは、日陰に置いていたポットをそろそろ
陽射しの中に置き換えたとのメールをいただいたりして、その心遣いと健在ぶりにほのぼのとした感情に
包まれたのでした。
椿談義、長々とお疲れさまでした。
Kaさんの元気な挿し木 と 接ぎ木の写真です。
(元のKaさんの台木にOさん椿を接ぎ木)
最後にポットの計算です。
最初の10ポット
―後に2ポット枯れる(葉っぱのついていなかった挿し穂)×
―bonに2ポット(枯れてしまいました)×
―接ぎ木に2ポット(Oさん椿を接ぎ木)
―ニューフェース1ポット(Kaさん椿を接ぎ木)
元のままのポット(挿し木)は3ポットです。