前回の続きです。
・コレラ
コレラ菌による感染症で、古くは紀元前300年頃の記録があるようで、その後
7世紀の中国、17世紀のジャワなどで発生していますが、世界的大流行(パンデミ
ック)は、1817年に始まるようです。インド、カルカッタ地方で起こったコレラは
アジア、アフリカに達し1823年までも続いたといわれます。 その後1826~37年、
1840~60年、1863~79年、1881~96年、1899~1923年の計6回にわたり全世界的な
大流行が起こったそうです。
感染力が非常に強く、突然の発熱、嘔吐、下痢、脱水症状に見舞われ、かなりの
数の死者が出たそうです。 この大流行の背景には、産業革命による蒸気機関車、
蒸気船などの交通手段が格段に進歩したことなどから世界諸地域が経済的、政治的
に相互に関蓮が密になったことが挙げられています。もともと地域の「風土病」が
このように短期間にパンデミックへと拡大し人類共通の病気となった例は珍しいと
あります。
しかし、今回の新型コロナにおいては、この比ではなく、それこそ瞬く間に地球
を覆う猛威を振るうのは、交通機関の発達と人々の交流の激しさ濃さを物語ってい
るのでしょう。
当時、コレラの大流行によって、感染症は「人間の病」である以上に「社会の
病」であることを多くの人が痛切に感じたそうで、そのなかから、社会の健康を考
える公衆衛生学や上下水道の整備、道路拡幅など近代的な都市工学が生まれたそう
です。
日本にも何度か上陸していたようですが、1858年から「安政コレラ」と呼ばれる
大流行が起こり江戸だけでも10万人の死者が出たそうです。 この時には、まだ
「コレラ」の名前がなく、「コロリ」や、「虎列刺」「虎狼狸」などといわれてい
たそうで、それまでの疫病とは違う 高い死亡率、激しい症状から「三日コロリ」
などとも呼ばれたそうです。
日本ではさらに、1862年にも、残留コレラ菌により再び大流行し56万人の患者
が出、江戸で7万3000人が死亡したとあります。さらに、1879,86年にも死者が10
万人台を数えたそうです。
ロベルト・コッホ
(ウイキペディアより)
ようやく、1884年に、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホによりコレラ菌が発見
されたのでした。 かって、ヨーロッパでも、道路や水路に沿って流行が認められ
ており、上水道はもとより、下水道の整備など大都市における公衆衛生政策が発達
し、ゴミ箱が普及し、検疫体制が整備されて現代に受け継がれているのです。
・チフス
発疹チフスは、細菌による感染症で、コロモジラミによって媒介され、人口密集
地、不衛生な地域に見られ、特に冬期、あるいは寒冷地での流行が顕著であるとあ
り、15世紀のヨーロッパ、16世紀のメキシコ、さらには19世紀のナポレオンのロシ
ア遠征時のフランス軍で大流行し、ロシアで3000万人が罹患し、その1割に当たる
死者が出たとあります。
また、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺のための強制収容所内でも大流行した
そうです。
フランスの細菌学者アンリ・ニコルは、発疹チフスの研究で1928年にノーベル生
理学、医学賞を受賞しています。
また、腸チフス、パラチフスも似た症状でありますが、発疹チフスとは全く異な
り、その原因はサルモネラの一種によるチフス菌によるる感染症で、東南アジア、
中南米などの発展途上国で地域的に流行していたようで、日本では、昭和初期から
戦前まで年間約4万人が発症していたとありますが、その後は激減しているようです。
しかし、2014年あたりでも、数例の発症報告があるという。
・結核
結核については私も、子供の頃に、ツベルクリン反応による検査を受け、陰性の
場合にはBCGを接種した記憶があります。
明治初期までは、肺結核は「労咳、ろうがい」と呼ばれ、不治の病ともいわれ、
長期間の療養生活を強いられたり、有名人も多く結核にかかっていた記憶があります。
もともとの歴史は、紀元前5000年の太古よりこの病気があるとのことで、「死の
病」「難病」と恐れられていたそうですが、特に産業革命後に結核は、「世界の工
場」と呼ばれて繁栄したイギリスで大流行したとあります。最も繁栄していたはず
の1830年頃のロンドンでは5人に1人が結核で亡くなったといわれています。
当時の労働者は低賃金であったうえに1日15時間もの長時間労働が一般的であった
とあり。また、急激な都市への人口集中によるスラムが形成されるなど、劣悪な生
活環境で、過労と栄養不足が重なり、結核菌が増殖したと考えられています。
結核菌は1882年、細菌学者ロベルト・コッホにより発見され、1943年にはセルマ
ン・ワクスマンらによるストレプトマイシンなどの抗生物質によって結核は完治す
る病気となり、患者は激減しました。 しかし、近年、学校や老人関係施設等での
集団感染が増加しているといいます。
WHOでは、結核はHIVに次ぐ死者の多い感染症であり、2017年には1000万人が新た
に結核と診断され、160万人が死亡したと推定しています。 このままでは国連が
持続可能な開発目標(SDGs)で掲げる「2030年までの結核流行終息」達成が難しい
として各国の対策強化を求めているといいます。
日本では1899年に結核に関する統計調査が始まったそうですが、罹患者は徐々に
増加し1934年に結核で死亡した者は13万1525人であり、患者数は131万5250人とあり、
これは全人口の2%、当時の10世帯あたり1人の割合で患者がいる計算であったそう
です。
新選組の沖田総司や正岡子規、石川啄木、樋口一葉、陸奥宗光、竹久夢二、佐伯
祐三、新島譲ら多くの人が結核で亡くなっています。
また、罹患すると痩せて肌は白くなり、いかにも悲劇性の運命の非情さ、世の無
常さなどを伴う美的感覚を感じさせることなどから小説や映画のなかで薄幸の才子
佳人の病として描かれることも多くありますね。
・インフルエンザ
1889年に大流行したとき、でコッホの衛生研究所のドイツの元軍医により「イン
フルエンザ菌」と名づけられたそうです。
スペイン風邪は、1918年アメリカの兵士の間で流行したことに端を発し人類が遭
遇した最初のパンデミックといわれ、感染者は6億人、死者は4~5000万人とされ、
当時の世界人口12億人と推定されていますから、全人類の半分が感染したことにな
るのですね。
『この値は、感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、も
っとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである。』とあります。
日本では39万人、アメリカで50万人が死亡したという。
スペイン風邪(1918年 シアトル警察 全員マスク)
(ウイキペディアより)
日本での有名どころでは、東京駅の設計者辰野金吾、島村抱月らがスペイン風邪
で亡くなっているそうです。
アメリカ発であるにもかかわらず「スペイン風邪」と呼ばれるのは、『当時は第
一次世界大戦中であり、世界各国・各地域で諸情報が検閲を受けていたのに対し、
スペインは中立国であったため、主要な情報源がスペイン発となったためである。』
そうです。
20世紀の100年間でインフルエンザのパンデミックは3度あったそうです。上述の
スペイン風邪、1957年のアジア風邪、1968年の香港風邪です。
アジア風邪は、中国全土から世界中に広がり、日本でも98万人が感染し死者は
8000弱に上るそうです。 また、香港風邪では、世界で100万人が死亡したとあり
ます。
近年には、2009年にメキシコで発生した新型インフルエンザがありました。メキ
シコからアメリカへ そして2010年にかけ豚インフルエンザとして世界的に流行し
ました。 最近でもほぼ毎年、A型、新型などとよばれるインフルエンザが流行して、
そのたびにワクチン接種が行われるなどの対策が、通例になっているようです。
私は、ついぞインフルエンザの予防接種はしたことがありませんがお陰様でひど
くかかったことはありません。
・ポリオ
ポリオは、ポリオウイルスを病原体とする感染症であり、小児に発症が多かった
ことから「小児麻痺」の名で知られ、その正式名称は「急性灰白髄炎」です。
ポリオは、19~20世紀前半にかけて欧米諸国で大流行し、第2次世界大戦後世界
的に流行したとあります。
日本でも、1910年以降各年代ごとに流行していて、とくに1960年春の北海道に
はじまった大流行では、全国で5,606人もの患者届出があったそうです。
日本では、世界にさきがけて徹底した全国一斉投与を行うことにより患者数は
1963年(昭和38年)には100人以下に激減して、1981年以降集団的なポリオの発生
は確認されておらず、2000年にはにWHOに対し、ポリオ根絶を報告しているそうです。
しかし、近年、生ワクチンがむしろ小児麻痺の主な原因となり、生ワクチンに使
用されたウイルスが強毒化する事態も発生していることから、2012年からは、不活
化ワクチンの使用に切り替えられたとあります。
私が、金沢北ロータリクラブに所属していたころ、ロータリークラブでは、ポリ
オ撲滅キャンペーンに参加していて、たびたび募金などもしましたが、あの、ビル・
ゲイツ財団もこのキャンペーンの主力パートナーなんですね。
ポリオ撲滅キャンペーン
(ネット画像より)
次回に最終回として、新型コロナに入ります。