蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ミュージカル映画を観ました。 (bon)

2021-04-22 | 日々雑感、散策、旅行

 BSで放映されたミュージカル映画(大作)を録画しておいて、ゆっくり勧奨しま
した。

 超定番の、『マイフェアレディ』と『ウエストサイド物語』の 2本です。
どちらの映画も皆さんにはお馴染みでしょうけど、私は、初めて観ました。タイト
ルや音楽は、もう十分に知っていましたが。

 これらの2本が上映されたころの日本は、総理大臣が池田隼人、佐藤栄作の両名
の時代で、東京オリンピックの少し前、ビートルズが来日するずっと前なんですね。
私は学生の頃で映画というよりはクラブ活動や麻雀などに忙しかったようでした。

 その頃から、およそ 60年が過ぎていますが、今観てみるとこれら2本の映画とも、
当時としてはかなり斬新で、少なからず社会インパクトがあったのではないかと思
います。
 どちらの映画も、3時間弱の上映ですので、しばらく間をあけて2本を観ました。

           (ネット画像より)

マイフェアレディ  1964年のアメリカ映画で、オードリー・ヘプバーン、レッ
クス・ハリソン主演の同名ミュージカルの映画化されたものなんです。

 言語学が専門のヒギンズ教授(ハリソン)はひょんなことから、下町生まれの粗
野で下品な言葉遣いの花売り娘イライザ(ヘプバーン)をレディに仕立て上げるか
どうかをめぐってピカリング大佐と賭けをすることになり、先ずは言葉遣いの矯正
を特訓される。
「スペインの雨」(The Rain in Spain)が、なかなか思うように発音できない。 
言葉の他、仕草なども特訓を受けながら、イライザは次第に上流階級のレディーの
仲間入りが果たせるように成長すると彼女に富裕階層の男性が恋をしてしまう。       
しかし、ヒギンス教授も次第に彼女が忘れられなくなってゆく自分に気づき、イラ
イザは言葉と同時に自分というものを得て行くのです。
 階級社会の文化が色濃く残るイギリス社会を舞台に繰り広げられるロマンティッ
ク・コメディです。

          (ネット画像より)

 豪華な衣装、華麗な社会の中で繰り広げられるミュージカルは、楽しい雰囲気が
充満しているのですが、どうも私には馴染めない感じでした。アカデミー賞の8部
門で受賞し、ゴールデングローブ賞ほか多数受賞しているというのに。まあ、ヘプ
バーンは取ってつけたようなかわいさは発散していましたが。

 音楽は、「踊り明かそう」「運が良けりゃ」「君住む街かど」などお馴染みの曲
がたくさん歌われていました。

          

 ところで、マイフェアレrディ(My fair Lady)という意味についても面白い話
題があります。 My fair Lady を直訳すれば、“私の素敵なお嬢さん”というよ
うな意味ですが、

童謡「ロンドン橋落ちた」の歌詞にあるように、

    ♪ London Bridge is falling down,
      Falling down, falling down.
      London Bridge is falling down,
      My fair lady.

“ロンドン橋が落ちてしまった! お姫さんよ”とか“ロンドン橋が落ちてしまっ
たよ、貴婦人さんよ” みたいな感じで、だれか高貴な人に呼び掛けているような
意味と取れるのですね。  歌の日本語訳では、“・・さあ、どうしましょう。”
とされています。 ロンドン橋は、木から石、そして鉄製の橋へと高級化して行き、
比ゆ的に次第に上り詰めた“お姫さんよ” という感じ・・? 

 もう一つ、ロンドンの高級街「Mayfair」(メイファー)を旧英語で発音すると
「マイフェア―」となり、下町の花売り娘から貴婦人に上り詰めた、イライザの下
町訛り(読み方)に掛けたとの見方もあるようです。

 いずれにしてもどちらもロンドンに関係しているというわけです。

 

           (ネット画像より)

 ウエストサイド物語  1961年のアメリカ、ミュージカル映画です。ナタリー・
ウッド、リチャード・ベイマ―主演、これにジョージ・チャキリス、リタ・モレノ
らが加わり、アメリカ、マンハッタンのウエストサイドの広場を巡って、2つの非
行グループの占有権争いを繰り返す中、とうとう決闘にまでなり、双方1人ずつが
死亡してしまう。 敵対するグループに属す男女が偶然恋仲になり、その男が両グ
ループをとりなそうとするが、結局は撃たれて死んでしまいます。
 そんな、物語の中、愛する二人のデュエットや、非行グループが演じるダンスと
歌が折り重なった、リズミカルな楽しい流れのミュージカルでした。

          (ネット画像より)

 昭和 36年当時に、このようなダンスと歌が繰り広げられた映画は、多くの若者
に斬新で躍動感あふれる刺激を与えただろうと想像できます。 今でこそ、このよ
うなダンスはテレビでもおなじみとなっていますが、60年も前ですからそれは大き
なインパクトだったと思います。

 歌はもちろん、「トゥナイト」「アメリカ」「マンボ」「マリア」など多くの人
を魅了したことでしょう。

 映画の、オープニングの作り、前面カラーの中からマンハッタンが現れてくる・・
そして、エンディングタイトルも、レンガ塀や道路標識に書れた落書きに似せたク
レジットなどなど…今見てもその切り口の斬新さに驚きました。

 この映画は、アカデミー賞12部門のうち8部門で受賞している素晴らしい大ヒッ
ト映画だったのでした。

           

 いろいろとエピソードなどを見ますと、どちらの映画もミュージカルですから歌
があり、主役はそれを歌う場面では、大方吹き替えとなっていて、どちらの映画も
主役の不満、吹き替え役の利益などでもめ事を起こしていたとありました。

 

 

West Side Story - Tonight Quintet and Chorus (1961) HD

 

 

 

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