これまでも時々は見ていました「なんでも鑑定団」(テレビ東京)に、一昨日
(10/11)夜6:25からの3時間半スペシャル番組に、高校同期の友人(女性)が出
場するというので、待ち構えて録画もしていましたが、放送で観ようとチャンネル
を合わせていました。
少し前に自宅取材にスタッフが来たり、その後東京スタジオで録画撮りをした
など、聞き及んでいましたから、大体どんなお宝を出すのかなどは知っていまし
たから、新聞のテレビ欄を見ると、それらしい項目が割と前の方に書かれていた
ので、放送をその場で観ようと思ってテレビをつけていました。
ところが、なかなか彼女のお宝の出番にならず、とうとう9時35分頃に最後の出
演で放送されたのでした。この番組、いつもそうですが、CMが多く、しかも長々
とやってくれますのでじれったい感じでした。 結局3時間半も付き合ったという
ことなんですね。
で、そのお宝は何かといえば、1934年(昭和9年)に行われた日米野球大会に来
日し、日本各地を回って全16試合をした時の、ベーブ・ルースやルー・ゲーリック
など来日メンバー全員の直筆サインをした書面と、ベーブ・ルースが日本主将
「JIRO KUJI」にあてた記念メッセージカードの2点が出展されたのでした。
(以下の写真はすべて、テレビ画面を撮影しました。)
メッセージカードと来日メンバー全員の直筆サイン
主将久慈次郎に宛てたベーブ・ルースからのメッセージカード
来日メンバー全員の直筆サイン
ベーブ・ルースと並んで
全国都市対抗野球で、敢闘賞に贈られる『久慈賞』のあの久慈次郎のことが、
早稲田大学野球の黄金時代を築き、その後プロ野球が初めてできた時の現読売ジ
ャイアンツの主将に招へいされるも、それを辞退し函館大火の復興と、アマチュア
野球の振興に専念する道を進む久慈次郎。 40歳で、試合中の事故で不遇の死を
遂げ、大勢のファンに見送られた・・など、球聖 久慈次郎の生涯が紹介されたの
でした。
球聖 久慈次郎は、彼女の義父にあたり、それらの想い出を綴って今年3月15日
に文庫本「義父、久慈次郎と家族のお話」を出版されていて、それの紹介を兼ねて、
一部を拙ブログ「球聖 久慈次郎」(2022.3.13)に記事アップしていました。
鑑定依頼人として出演した彼女は、自宅取材でミシン掛け風景や、専門のデザ
インを活かした衣服のリメイク作品を数々と自身が着て見せるファッションショー
みたいな映像が流れ、そのおしゃれ振りなどが紹介されました。
で、注目の鑑定結果は、依頼人の評価額100万円に対して、何と1000万円の高額
に会場は驚きの拍手に埋もれました。本人も驚いた様子でした。そして、鑑定士
の論評も、このような日本球史にとっても貴重な事実の存在が明らかになったこ
とは、歴史的価値のあるものが証明された・・と述べられると、スタジオからは
大きなどよめきが起こりました。
お宝が凄い価値を持っているとの鑑定結果もそうですが、この番組によって
「球聖久慈次郎」を今また、世に広く知らしめたことにも大きな意義を感じると
ともに、このことが久慈家にとっても新たな名誉となったことと思います。
CMに辟易して、最期まで付き合わされましたけれども、後味はほんのり豊か
な気分を感じています。
Patti Page - How Much Is That Doggie In The Window