先ごろ、独立に向けた住民投票が行われました。
イギリスという連合王国の分裂のことなど、これまで何の関心も持ってこなかった我が身にも、具体的な問題点など
何一つ分かっていないながらも、 なぜか、スコットランドの独立に不安を感じていました。
独立賛成が1票でも上回れば、投票率の如何にかかわらず “独立” となる・・という報道に接し 一層危機感の
ようなものを感じたのでした。 何とか独立反対票が上回り現状維持とならないだろうか? イギリスという国が分裂して、
スコットランドという国が独立した場合の、世界経済、安全保障のバランスが崩れ、その影響範囲があまりにも深く
大きいと思われるからです。 もちろん、イギリスを構成している各王国の問題やEUにおける影響など想像する
だけでも幾多の問題が起こると予想されます。
9月19日の投票結果が、44.7%:55.3%で反対(独立NO)が大勢を占め、この危機が回避されました。
ユーロ安、株安も解消されました。 しかし、独立賛成(YES)が、かなりあること、投票前にキャメロン首相が約束した
権限移譲を含む新政策が、地方へ拡大することへの批判などが、火種として残る結果となり、新たな試練に直面する
こととなりました。
まあ、しかし、世界の多くの人々はひとまず分裂の危機が回避されホッとしたことでしょう。
もう30年近くも前の話ですが、会社で頑張っている現場の課長を全国から15名を選んで、総勢17名で世界1周の
研修旅行を引率した時、エジンバラの事業所を訪問し、施設見学、技術討論をする機会がありましたが、
その時に感じた記憶が鮮明に思い出されるのでした。
空港から事業所にバスで到着すると、赤いタータンチェックのスカートで正装したバグパイプ奏者が我々一行を
出迎えてくれていて、見学・討論の後、夕食の歓迎パーティーまで、始終友好に満ちた扱いを受け、ただただ感謝の
連続でしたが、 余談に入ると、“我々は、イングランドに征服されて吸収されたのではない。あくまで、対等の立場で
合併した” とか “通貨もスコットランド独自のものを流通している”、 “国民性も優秀である” などといった話題が
随所に出て来たり、 “私は、イングリッシュがうまくない・・といったら、なぁ~に、ここは、スコティッシュだから・・”
と返ってきたりしたことでした。
たまたま、極東から来た我々技術者グループに、300余年も過ぎたことだというのに、このような話が出ることに
内心大きな驚きを覚え、その印象は忘れることはできませんでした。 彼らの心の中には、脈々と続く、
それほど合併に対する不満とかプライドが消えていないのだと思いました。
エディンバラ城
(ウイキペディアより)
スコットランドは、スコッチウイスキーであまりにも有名で、偶然、次のNHKテレビ小説(朝ドラ)のテーマに
竹鶴政孝 “マッサン” が取り上げられています。 一方、私などが知る有名な科学者が多く輩出していて、
電話を発明したアレキサンダー・グラハム・ベル、ファクシミリのアレクサンダー・ベイン、テレビのロジー・ベアード、
蒸気機関のジェームズ・ワット、タイヤのダンロップ、ペニシリンのフレミングなど大勢がそうですし、
科学者以外では、経済学の父アダム・スミス、シャーロックホームズのコナン・ドイル、作家のスティーブンスン、
俳優だとショーン・コネリーなど世の中に少なからぬ影響を与えた人たちがいます。
今後、イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドからなる大英帝国はどのような方向に進むのか、
政治は一層難しい局面を強いられることでしょうが、それによって経済が大きく影響を受け、地球規模の経済バランス
にもインパクトを与えることとなり、 “いよいよ、シャボン玉の薄い膜面の圧力調節が微妙に変化して、破裂させずに
球面を維持して、激しく七色に揺さぶる” ことになるのでしょうか・・?
その当時、エディンバラで、今日のこのような事態は予測だにしませんでしたし、ただただ、街の中の小高い丘を
見物したり、バーバリーショップで買い物、ショットバーでスコッチを楽しみ、セントアンドリューのゴルフは
ファーザー・スタディーとして再びロンドンに戻ったのでした。
時の、2週間に及ぶ世界一周(欧米)研修旅行団の副団長兼事務担、別名「Mr.Voucher」です。
あれだけの人数の新米研修団を率い、しかもこちらもほとんど未経験、にもかかわらず、一人も添乗員をつけず、度胸だけで、よくやれたと今でも思っています。
中島団長、本当にお世話になりました。
地元エジンバラの中央電話局幹部との夜の会食パーティでは、中島団長から素晴らしいご挨拶(英語)を頂き、双方、感激でした。
今だから言いますが、実は、エジンバラを旅程に入れたのは、小生です。憧れがありました。空いた時間で訪ねたエジンバラ城は、陸軍が管理してましたね。
今回の独立投票ニュースに接し、中島団長と同じく、懐かしい思い出が蘇ってまいりました。
なお、エジンバラの後はパリに移動しました。
ミスター、バウチャーなんて失礼な呼び方でしたね。
あの後は、パリでしたか・・。 後半に、アメリカに飛んだとき、アトランタからオーランド行きTWA?で、ダブルブッキングがあり、hinotorigusaさんが、一人残っていただいて、ずいぶん遅れた便でオーランド入りでしたね。 そこで、誰かのスーツケースのカギが無くなって大騒ぎして、最後の方の行程で、デンバーだったのが運が良く、サムソナイト本社から鍵師が派遣されて無事解決・・皆で拍手・・。 でも、楽しく無事に全員帰国できてホッとしましたね。
ところで、エジンバラを行程に入れたのはhinotorigusaさんだったんですね。 さすが・・。
記憶だけの旅程ですが、エジンバラの後は、いったんロンドンに戻って、パリ行きか、直接パリ行きか、私も曖昧です。
米国は、ニューヨークから早朝バスで、フィラデルフィア、半日AT&Tと打ち合わせの後、例のオーランド行です。
航空会社は、それから2年後に破綻したエースタン・エア。
当時すでに、危ないと噂されていたようで、平気でダブルブッキングをやってたみたいです。会社を覚えているのは、その航空会社の(確か1年か2年有効の)ラウンドチケットをもらったからです。翌年、米国出張の時使おうとしましたが、周りから、危ない(安全も)からと、止められました。米国友人に渡してきましたが、結局使わずじまい。そして会社倒産。
オーランドから、直接デンバー行きでしたっけか。フィラデルフィアも、デンバーも造幣局があり、造幣局めぐり?と冗談言われた記憶があります。
デンバーは、AT&Tの回線設計、トラフィック監視の要所で、当時のわが社(本社)の別の調査チーム数名と、一緒になった記憶も。
なお、フィラデルフィアは私の主張ではありません。
通信ネットワークの監視室での討論で、アメリカ全土の時差が3区分?あり、それぞれの拠点での時刻を、必ず、“ネットワークタイム” と “ランドタイム” の二通りを表示してコントロールされていましたね。
デンバーは、きれいな街でした。 マイル・ハイト・シティーとか言って、かなり高地なんですね。