昨日、日曜日夜のNHK-BSの “昭和の歌人たち” で、作詞家 西条八十の世界をやっていました。
この “昭和の歌人たち” は、ときどきあり、今回は第28回目だそうですが、だいたい放送を見ています。
前回(1/19:第27回)の 川内康範 も大変良かったです。
で、西条八十といえば、大体お分かりの通り “ナツメロ” ですね。
誰か故郷を思わざる(西条八十作詞、古賀政男作曲)は、若い頃、お酒の席などで大体歌っていましたし、
夜道を大声で肩組みながらがなったり・・。 旅の夜風(西条八十作詞、万城目正作曲)、この歌も
同じようによく歌いました。 気持ちよく飲んだ時など、時におどけて歌詞をパントマイム風にかたどりながら
歌ったりしたものでした。 この世の花(西条八十作詞、万城目正作曲)は、昭和30年、ラジオドラマの
夜8時15分~だったように記憶していますが、何でも銭湯が大変空いたとのことですね。
島倉千代子がまだ澄み切った高いか細い、しかし力の入った歌声でした。懐かしく思い出されました。
越後獅子、この歌も西条、万城目コンビで、美空ひばりが歌ったのですが、ひばりの方から頼んで
作ってもらったのだそうで、 当時のひばりがあまりに歌がうまいので、周りからやっかみを受けたりする立場を
越後獅子の歌詞に取り上げたとのことでした。 後に、ひばりが歌手生活35周年の時に、芸道一代
(西条八十作詞、山本丈晴作曲)を贈ったそうです。 なるほど、この歌詞はひばりそのもので、母親との
二人三脚であることも歌われている。 こういう思い(計らい)というのは胸を打ちますね。
王将(西条八十作詞、船村徹作曲)についてのエピソードがゲストの船村さんがいっていました。
スタジオ録音の時、西条もいて、歌手の村田英雄が “♫~生まれ浪速の八百八橋” のところを“やおや橋”と
歌って、船村が大騒ぎしたとか。
西条八十、古賀政男の両巨頭のコンビが生んだ、歌の数々の中から 赤い靴のタンゴを若い
新妻聖子が歌いましたが、オリジナルの 奈良光枝 が思い出されてきました。
上品な感じで、京都にある私の親戚の叔父が好きな歌手でした。
このコンビの曲は、他に トンコ節、 芸者ワルツ などお座敷風のもありました。
舟木一夫の歌もありました。 夕笛(西条八十作詞、船村徹作曲)、 絶唱(西条八十作詞、市川昭介作曲)を
本人が歌いました。 舟木はこれまで現役(いまでも?)時代には殆ど興味を持ちませんでしたが、
こうやってみるとやはりヒットして人気者であったのが良くわかりました。
夕笛は、曲を船村からもらった時、 “たったの8小節しか曲がない、先生ずるい~”、 “そこをうまくこなすのが
歌手だろう” そんなやり取りがあったのだそうです。 番組で、当人同士のこの会話に会場は沸いていました。
確かに聞いてみると、同じ節回しでうたっているんですね。 しかし、それをほとんど感じさせずにいい感じが
出ていました。 さすがですね。
西条八十
(ウイキペディアより)
東京音頭(西条八十作詞、中山晋平作曲)で、賑やかにこの番組が始まりましたが、上に取り上げた歌
以外にも懐かしい、 蘇州夜曲(西条八十作詞、服部良一作曲)、 サーカスの唄(西条八十作詞、古賀政男作曲)、
三百六十五夜(西条八十作詞、古賀政男作曲)、 りんどう峠(西条八十作詞、古賀政男作曲)など、
あとまだあったかもしれませんが、 最後にみんなで 青い山脈(西条八十作詞、服部良一作曲)を合唱して
番組が終わりました。
懐かしい歌ばかりで、楽しめましたが、番組構成もなかなか良いと思いました。
前回の川内康範の森進一の熱唱もよかったです。
西条八十:1892年(明治25年)~1970年(昭和45年)東京牛込生まれ。
なつかしい、曲をもう一度・・・
不肖私、懐メロ、特に昭和時代どころか、戦前戦中の歌謡曲、軍事歌謡をほとんど歌えます。
「誰か故郷を想わざる」は発売時(昭和15年)、日本ではあまりぱっとせず、戦地からの除隊(戦後の復員に非ず)組がじわじわ広げた、と聞いています。
30年以上前、NHKで2週連続で古賀政男特集(渥美清演ずる)をやった時、視聴者の体験として、インパール作戦での悲惨な退却中、ある兵士がこの歌を呟きながら撤退、周りの将兵が涙するという、印象の深い場面が、いまだに忘れられません。
私も、割と懐メロに詳しいと自負していましたが、とてもとても~ 火の鳥草さんの風下にも座れないかも・・。
30年前の渥美清演ずる古賀政男を観たかったですね。
おまけに、インパール作戦が出てくるなんて、これはもう歌だけではない懐メロの世界です。
ついでに、“火の鳥草 発掘記”を読ませていただきました。これもすごい・・。
御父君のくだりなどは、ノンフィクション小説として、貴重な一面を残されていますね。
ありがとう・・。