食料の配給制度は以前記したが、戦後の極端な食糧難時代は多くの人々が苦労したのである。我が家は、配給所もやっていたのでよく記憶している。米穀通帳を持って来ても配給すべき米がないこともあり、代用食として役所からくるサツマイモなどはいい方、杏の乾燥した物、トウモロコシの粉、ケチャップ(米軍の余剰物資)などの配給もあった。真っ赤なケチャップと言う物をはじめてみた、口に合わなかった。
多くの人はお腹をすかし違法にも闇米を求めたのである。そんな中、食管法を遵守し国からの配給だけで生活し栄養失調で餓死した判事がいた。大きなニュースとなったのを覚えている。(山口良忠判事は、食管法を厳しく守らせる立場にあったこと後に知る)
法律を犯して多くの国民は生き延びたのである。飽食の時代の今日、そんなこともあったことを知ってほしいものである。