八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

学生時代の懐かしの地!

2023年11月08日 17時48分00秒 | 管理人のこと、雑感

今日は時間調整の早帰りでした。いつもは真っ直ぐ帰るのですが、早く帰っても、早めに飲み出すだけなので、昔懐かしい場所を訪ねてみようと思いました。

 

引っ越しについて以前書いたことがありますが(「23年ぶりの引っ越し!」)、大学時代の4年間でも2度引っ越した東横線の祐天寺界隈を歩いてみました。

 
 
家賃2万6千円!


大学に入学して初めて住んだアパートです(たぶん)。祐天寺と中目黒の中間くらいの駒沢通り沿いにあり、当時も築50年くらいの感じでしたが、現存していてびっくりです。
 
正直、ここに住むのは全く気が進みませんでしたが、入学手続きで父と一緒に上京して、最初の不動産屋の最初の物件で、父が「ここにしろ」とばかりに問答無用で決められたところです。
 
靴は共同の玄関で脱ぎ、小さい流しとガスコンロが一つあるだけの6畳一間で、トイレ・洗濯機・電話は共同で家賃は当時2万6千円で、1階に住む大家さんに払いにいく仕組みでした。
 
そんな感じなので、ここには1年間住みましたが、友達も来たことなかったと思います。なので、大して思い出もありません。
 
 
当時は新築!
 
 


2年生になる時、姉が就職で学生寮から出るというので、女子の一人暮らしを心配した母から一緒に住んでくれと言われて、引っ越したのがここです。
 
東横線を挟んで歩いて10分くらいのところだったので、不動産屋でリヤカーを借りて、友達に手伝ってもらって引っ越しました。川が暗渠になっている蛇崩川緑道の近くでした。
 
今はだいぶ古びていますが、当時は新築でした。上の大黒湯という銭湯がアパートへの目印になっていましたが、このアパートには風呂もあったので、ここに住んでいた時は銭湯は行っていません。
 
この銭湯のそばにサークルの同期が住んでいて、渋谷でサークルの飲み会があると、ここに流れて、終電過ぎになると、こことウチに何人か泊まるなんてこともありましたが、姉と同居していたので、基本的にはあまり大勢が頻繁に来ることはありませんでした。2年生になって近所に越してきた仲の良い友達と、お互いのアパートにウイスキー持参で毎日のように蛇崩緑道を行き来していたのが懐かしい思い出です。
 
 
Googlemapにはあったのに…


そして、4年生になる時に姉が婚約して、結婚準備で一時実家に戻ることになったので、また一人暮らしのため、引っ越しました。祐天寺よりはやや学芸大学駅に近い、五本木というところです。
 
この時、義理の兄になる人が、軽トラを借りて引っ越しの手伝いをしてくれました。
 
ここもそれなりに年季は入っていましたが、6畳の部屋に1畳くらいの板間かあり、キッキンも2畳くらいはあり、当然トイレもあり、最初の部屋よりもだいぶ快適でした。
 
そして、一人暮らしになったため、訪ねてくる人も格段に増えて、たった一年間ですが、この部屋での生活が一番密度が濃かったように思います。
 
大学のゼミ仲間がよく集まって鍋パーティーをしたりしました。また、留学のためにアパートを引き払った友達が、出発まで2週間ほど居候をして、同居したのも懐かしい思い出です。
 
Googleマップでみたら現存していたのに、今日訪ねたら残念ながら更地になっていました。
 
 
洋食富久美!

住んでいたところはさすがに覚えていますが、その途中の景色は変わってしまっていることもあるでしょうが、驚くほど覚えていませんでした。あとは、覚えているのは自分が通ったお店ですね。貧乏学生ですから、普段は自炊をしていましてが、何軒かは行きつけのお店もありました。
 
もっとも通ったのが、「富久美」です。最初に行った時は、年輩のご夫婦で切り盛りしていて、正直美味しくなかったのですが(笑)、暫くしてから30代から40歳くらいの若いコックさんが入り、滅茶苦茶味が良くなり、卒業まで一番のお気に入りの店になりました。
 
蛇崩川緑道を行き来した友達や、留学前に居候した友達とも、よく行ったので、今でも飲んだ時に話に出てくる店です。今はテイクアウトの弁当だけの営業のようで、たまたま通りかかった時に出てきた方は、私が通った時のコックさんではありませんでした(当然のことながら、当時分かったコックさんも存命なら、お爺さんですからね)。
 
 
 
ナイアガラ!

鉄道好きには有名な、カレーのナイアガラです。当時は、駅前にありましたが、再開発で少し離れたところに移転して営業していました。鉄道グッズが店内外にたくさんあるほか、当時はカレーも列車にひかれて運ばれていました。
 
 
竹の子!

祐天寺の駅前にある小料理屋のようなお店です。焼き魚など、家庭的な和食を食べたい時にお世話になりました。ここは今も営業を続けているようです。
 
 
とんかつ さんき!

祐天寺駅前の商店街を駒沢通りに向かったところにあったとんかつ屋さんです。今ふと思い出した(ような気がするのです)が、入学手続きで上京した時に父とここで昼飯を食べたのがきっかけだったかもしれません。アパートを探した不動産屋もこの商店街にあったからです。
 
赤だしのなめこの味噌汁だったのを覚えていますが、当時でも結構年輩のご夫婦で切り盛りしていましたが、後継ぎがいたのか、結構最近まで営業していて、最近遂に閉店したようです。富久美と同じく、35歳の息子さんが継いだとしても、今は75歳前後ですから、仕方ないですね。
 
そんなに前の感じはしていないのですが、考えたら大学に入ったのも約40年も前で、学生時代も遠くなりにけり、です。遊ぶ街だった渋谷も、東横線は地下に入るし、駅内外ももう訳が分からない変化ですからね。
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散歩

2023年09月02日 19時31分42秒 | 管理人のこと、雑感
8月下旬に夏休みをとり、信州のカミさんの実家に行きました。義父母は高齢で、年相応の不具合はいろいろありますが、まだ介護などの世話にはならずに、生活しています。
 
田舎のもてなしということもありますし、義父がたくさん食べる人だったということもあり、朝食の時から、「もっと食べろ」と義母から勧められてきました。毎回無理して食べていましたが、30年以上経って今更ですが、朝食前に散歩をすることを思い立ちました。
 
3~4kmたっぷり歩くと、さすがにお腹が空いて、朝食からご飯2杯、味噌汁2杯しっかり食べられました。もっと早く気づいていれば良かったと思いましたが、考えてみれば、長いこと愛犬がいたため、犬の散歩をしていたので、そんなに長くは歩けなかったのでした。
 
今年は信州も暑かったですが、さすがに早朝は八王子のような暑さではありません。今、朝ドラで「らんまん」をやっていることもあり、散歩をしながら、道端の草花などの写真を撮りました。今年の夏は、各地で記録を更新する暑さですが、栗に、コスモスと、ようやく秋も近づきつつありますね。
 
 


















 
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暑さ今昔! と、暑さ対策!

2023年08月01日 18時14分04秒 | 管理人のこと、雑感

暑い7月が終わり、8月に入った今日、7日間続いた猛暑日がようやく途切れました。それでも八王子の今日の最高気温も32.1℃で暑かったです。しかし、昼過ぎから猛烈な雷雨が降り、一気に気温が下がり、涼しくなりました。昔の夕立のようです。

 

昔と言えば、私たちの年代から上の年代の人たちと話していると、「昔はこんなに暑くなかったよね」という話になります。皮膚感覚でそう思うのですが、実際はどうだったのでしょうか。

 

ということで、気象庁の過去のデータを調べてみました。八王子の一番古いデータは、1978年からになります(もちろん、私はその頃八王子にはいませんでしたが)。もう子どもではなく、中学生になったくらいの頃ですね。単年度では例外もあるので、数年単位で、7月・8月の平均最高気温と猛暑日の数を比較したのが、下の数字です。

 

 

      7月       8月

1978年  31.5℃(0日)  33.1℃(5日)

1979年  28.2℃(0日)  30.5℃(2日)

1980年  26.4℃(0日)  25.8℃(0日) ※冷夏だったとみえ、30℃にならない日も多かったです

1981年  29.9℃(1日)  29.5℃(1日)

 

2020年  27.2℃(0日)  34.6℃(17日)

2021年  30.2℃(1日)  31.2℃(4日)

2022年  31.8℃(5日)  31.7℃(6日)

2023年  34.1℃(15日)

 

やはり、明らかに最近の方が「暑く」、「猛暑日も多い」のが分かります。昔は部活で「水を飲んではいけない」などと、非科学的な精神論がまかり通っていましたが、それも今よりはずっと気温が低かったからで、今のような危険な暑さの中ではもっての他です。ここ数日でも、熱中症の痛ましいニュースを耳にしましたが、報道で聞く限りはかなり頻繁に水分補給をしていたようで、適切な運営をしていたように思えます。にもかかわらず、こうした事故があると、もはや真夏は運動をしてはいけない時代になったかもしれませんね。少年野球の活動なども難しさがありますね。

 

2005年から散田ドラゴンズの活動に参加し、夏の練習を10年ほど経験し、ジョギングも2009年の夏から15年ほど夏を経験してきていますが、その経験から運動時の暑さに対するポイントは、「汗をかいて、水分補給」と「直射日光を避けること」だと思います(経験則に基づく個人的な感想です)

 

熱中症の指標となるのは、「気温」だけではなく、「湿度」と言われます。何故かと言えば、かいた汗が乾く時に発生する気化熱が体温調節のカギだからです。湿度が高すぎて汗が乾かない状況だと、どんどん体温があがってしまうので、危険です。こういう時は、適度に汗を拭いて、気化熱が発生するようにしなければなりませんが、いずれにしても、汗をかいて体温調節をすることが非常に重要だということです。そして、当然のことながら、汗をかいて身体から水分が失われたら、その水分を補給しなければなりませんから、水分補給もマストです。

 

もう一つ補給しなければならないのが、塩分などのミネラルです。ミネラルは身体の生理機能を円滑にする重要なものですから、これが汗とともに失われると、足がつったり、頭痛やふらつきなど、熱中症の症状が出ます。ミネラルが不足した状態で水だけ飲むと、さらにミネラルの濃度が薄まるので、かえって危険です。では、このミネラル不足をどうしたらいいかと言えば、これも少年野球のお手伝いをしている方などには常識ですが、塩アメなどで塩分補給をすることです。ただ、もっと根本的な対策は、元々人間に備わっているミネラル再吸収機能を活性化させることだと思います。人間の汗腺には、汗とともに流れ出るミネラルを再吸収する機能があります。しかし、汗腺の数は子どもの頃と変わらないですが、歳をとるとともに機能しなくなるものが増え、結果として汗をかきすぎると、ミネラルの吸収が追いつかず、べたついた汗となり、外へ流れ出てしまいます。私もジョギングを始めた頃は、そういう汗が出て、シャワーを浴びると、流れ出た塩分でジョリジョリとしたくらいです。それが、ジョギングを重ねるとともに機能を停止していた汗腺が復活したようで、徐々にサラサラの汗しか出なくなりました(逆に副作用として、ものすごく汗かきになったようで、ちょっと辛いものを食べるとすぐに汗だくになります)。こうなってから、暑さにも耐性が出来たように思います(もちろん、個人の感想です)。

 

そして、もう一つは「直射日光を避けること」です。これも、日傘をさすと暑さがまったく違うように、誰もが実感することですが、暑かった7月のジョギングでは特に実感しました。気温がまだあがり切らない早朝にジョギングに出ていましたが、それでも直射日光を浴びると、どうしても体温があがります。しかし、平たんな東西ルートを走ると、どうしても日向が多くなります。日陰を求めて走ろうとすると、南北ルートになりますが、そうすると、どうしてもアップダウンになります。「暑さ」と「アップダウン」の究極の二者択一ですが、今年の暑さは、さすがにアップダウンを選択させた次第で、何とか大したダメージもなく192kmを走破できました。

 

グランドでの運動の場合、直射日光を避けることはなかなか難しいので、水分補給だけではなく、練習する時間と日陰で休憩する時間のバランスをどうするか、これから研究することが必要かもしれませんね。もはや練習しないという選択肢もあるような状況だと思いますが、練習するとしたら、練習時間の倍くらい日陰で休憩することが必要な時代なのかもしれませんね。そうしたエビデンスをしっかり積み重ねて、痛ましい事故が起きないようにしたいですね。

 

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厄年? そして、習慣!(追記)

2021年09月09日 20時33分06秒 | 管理人のこと、雑感

本日、ピロリ菌除菌結果を調べる検査の結果を聞きにクリニックに行ってきました。最近は耐性菌が増えてきているそうで、7割くらいの成功率で、2次除菌でも1割くらいは失敗して残ってしまうそうです。そういう意味では、最初の胃カメラの時に、ピロリ菌がたくさんいると言われてしまっていたので、若干心配でした。先日、大腸ポリープの病理検査を聞いて、3ケ月ぶりにビールで祝い、初めてビールを飲んだ時のようなビール本来の味を感じ感動しましたが、今日の結果如何では、乾杯がなくなるだけでなく、また断酒をしての2次除菌生活です。

 

やや心配しながら、診察室に入りましたが、結果は除菌成功でした。やれやれです。これで6月8日の胃カメラから始まった病院通いもようやくひと段落です。しかし、今回の件で、検査は大事だということを改めて思いました。自分の身体を過信せずに、必要な検査はこれからも受けようと思います。

 

また、胃や大腸に比べれば大したことがないので書いていませんでしたが、1ケ月くらい前の寝違えから肩の痛みに変わり、今は五十肩?のような状況になっています。寝違えも肉離れの一種だということなので、関節痛である五十肩とは違うのかもしれませんが、加齢による不調であることは同じです。これも厄年のようなものかもしれません。これについては、対処法をよく理解していないのですが、少なくとも揉んだりしてはいけないとは聞きますので、しばらく肩は安静にしようと思います。散ドラ現役だったら、大変でした(笑)。

 

あと、9月6日に2度目の新型コロナウイルスのワクチン接種を終えました。2回目なので、解熱剤も準備して副反応の備えたのですが、熱も出なければ、腕の痛みも1回目よりも軽いくらいで拍子抜けでした。副反応が強いのは抗体が多くできているようで、若い人、女性の方が副反応が強く、抗体も若い人、女性の方が多いという結果が出ているそうです。2回目のワクチンは終えたものの、抗体は少ない可能性あるので、今後もしっかり感染対策をしていこうと思います。これも残念ながら加齢のせいですね。

 

 

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厄年? そして、習慣!

2021年09月03日 17時08分58秒 | 管理人のこと、雑感

厄年?

 

男性の厄年は、数えで42歳のあとは、61歳だそうで、私はまだ数年ありますが、前後5歳くらいは同じようなものだと思いますし、私もそんな年回りなのかもしれません。

 

始まりは、2月14日の脱臼でした(「脱臼!」)。外傷なので、厄年でありがちな身体の不調とは違いますが、そもそもこれまでジョギングで転倒したことがほとんどなかったので、やはりこれも体調の変化ということなのかもしれません。

 

そして、3月に高崎に単身赴任をして新しい生活がスタートしましたが、5月には健康診断があり、6月4日に結果が返ってきました。いつものようにコレステロールが多少ひっかかった他はいつもと変わらなかったのですが(「健康診断結果再び!」)、今まで項目としてなかったピロリ菌の検査をしなさいとの結果と便潜血がありました。

 

ピロリ菌については先日書いた通りで(「3ケ月!&13日目!」)、その結果6月8日に胃カメラを初めて経験し、ピロリ菌の除菌を行いました(8月28日に結果を調べに行き、9月9日に結果が出ます)。

 

便潜血は実は4年ほど前にも出ていましたが、痔などでも出ることがあるそうですし、明らかな血便などもなかったことから放っておきました。今回も別に血便が出たわけではありませんが、胃カメラもやることだし、この際だから大腸の内視鏡検査も受けてみようということにしました。

 

胃カメラを受けたのと同じ新しい胃腸専門のクリニックでした。前日は予めもらっていた消化が良い検査食ですまし、7月3日の当日は、食事抜きで1.5ℓの下剤を服用し、その半分の水分を飲み、便が透明になるまでトイレ通いをします。経験者の方は皆、これが嫌だったと言いますね。そして、14時過ぎにクリニックに行き、胃カメラの時同様鎮静剤を使ってもらいましたが、胃カメラの時よりは弱いのか多少ところどころの意識はありましたが、痛い思いはせずに検査は終了しました。

 

完全に目が覚めてから、診察室で結果を知らされましたが、小さいポリープはその場で取ったものの、もう一つ2~3cmくらいの大きなポリープがあって、これは大きな病院での手術が必要だということでした。2~3cmというのが微妙な大きさで、内視鏡で取れるのか、外科手術が必要なのか、紹介先の病院で診てもらわないと分からないとのことでした(診察後、自分でいろいろググってみると、2cm以上のポリープはガン化する確率が高く、また内視鏡でポリープにひっかけるスネアという輪っかで取れるのが2~3cmが限度だということでした)。

 

で、ここから病人のような生活が始まりました(厳密には病人なのですけどね)。

 

まず、7月15日に検査を受けたクリニックの外来に行き、高崎総合医療センターへの紹介状をもらい、都合が良かった翌日の予約をとってもらいました。

 

7月16日に紹介状を持って、医療センター外来に行き、検査結果や写真を見てもらいましたが、やはりもう一度検査が必要ということで、連休明けの26日の予約をしました。

 

7月26日に2度目の検査の事前準備も慣れたものですが、やはりあまり楽しいものではありません。14時予約時間のため、13時半くらいには着いていたものの、検査中心の専門クリニックと違って、医療センターの先生は忙しく、なかなか検査は始まらず、15時過ぎに漸く検査着に着替えて検査が始まりました。そして、前回と違って鎮静剤も使ってくれず、手術のための検査なので恐らく前回よりも念入りに調べるため、ガスを入れて腸を膨らませたり、16時くらいに終わりましたが、結構えぐい検査でした。検査が終わったあと、手術の説明をするための外来予約を8月30日に入れました。

 

7月30日に医療センター外来に11時に行きましたが、元々12時過ぎると思うと言われていた通り、12時半前から手術の説明がありました。他の先生とも相談した結果、内視鏡で手術をするとのことで、一応一安心です。ただ、普通の検査のついでに取るやり方ではなく、EMRというやり方でポリープの下に生理食塩水などを注入して浮かして切り取るという手術だそうです。ただし、医者は「絶対」は言わないので、場合によっては、追加の手術が必要になるということも付け加えられました。入院、手術の日程の予約は、ワクチン接種と重なったので、もう1週間先の8月19日ということにしました。

 

8月12日に医療センターで手術前の検査(採血、心電図、レントゲン)と問診票の確認、入退院説明を受けました。その日の午後に八王子の自宅に帰宅し、翌8月13日には、八王子市役所で1回目の新型コロナウイルスのワクチン接種をしました。

 

そして、いよいよ8月19日、入院・手術の日です。3度目の下剤服用で、いささかげんなりですが仕方がありません。14時前には医療センターに行き、入院手続きをし、15時の手術予定を待ちましたが、やはりなかなか始まらず、ようやく呼ばれて検査着に着替えて、検査台に横になって待ちましたが、やはりなかなか始まらず、16時くらいでしたでしょうか。

 

漸く麻酔をしてスタートとなりましたが、内視鏡手術の場合は術後自分で動いたりしないといけないためか、恐らく麻酔の程度も弱く、後半は結構意識が戻り、前回の検査と同じように結構お腹が張ったりしんどい手術でした。漸く終わって、取ったポリープを見せてくれましたが、ゴルフボールか大きな梅干しくらいあり、結構な大きさでした。車椅子で病室に戻りましたが、出血の可能性があるということで、3時間は安静と言われ、トイレもダメということで尿瓶を渡されました。するときはナースコールで呼んでくださいとのことでしたが、さすがにそれは抵抗がありますし、幸い、飲まず食わずだったので、使わずに済みました。3時間の安静が解けて、点滴をとってもらい、この日は夕食も抜きだったので、自販機にお茶を買いに行き、ひもじい一夜を過ごしました。

 

8月19日には質素な朝食を摂り、担当医が回診に来て、異状がないことを確認し、退院の許可をもらい、次の外来を9月3日と決め、10時には退院しました。

 

退院から1週間は、消化に良いものを食べ、激しい運動も禁止ということで、うどん、おかゆ、豆腐、柔らかい煮物、バナナ、など、味気ない食事と、ジョギング自粛の1週間でした。

 

そして、8月28日には先ほど書いたように、ピロリ菌の除菌結果の検査に行きました。その場で結果が出るのかと思っていたら、また1週間後ということで、9月9日の予約を入れました。

 

そして、今日9月3日です。高崎医療センターに手術で取ったポリープの病理検査の結果を聞きにいきました。内視鏡で取り切れるだろうとの判断で内視鏡手術になっていると思うものの、「絶対」はないので、やはりここ数日は落ち着きませんでした。10時40分の予約だったので、余裕を持って出かけましたが、病院の駐車場が満車で何度かグルグルしたものの駐車することが出来ず、止む無く外に出て外部の駐車場に停めて、受付をすると時間ギリギリでした。しかし、担当医が入院患者の緊急対応で呼ばれてしまったということで、相当遅れるとのことで、結局12時近くまで待たされました。

 

結果は、前々からこの大きさのポリープには多かれ少なかれガンの成分はあると言われていた通り、ガンの成分はあるということでした。しかし、腸の膜より深い浸潤はなく、完全に取り切れているので、追加の措置は必要なしということでした。漸くこれで一安心です。通常は1年後に再度検査をするそうですが、私の場合は半年後に検査をしましょうということで、半年後の外来の予約をして、今日の外来は終了しました。

 

このあと、9月6日に2度目のワクチン接種を八王子市役所で受け、9月9日にピロリ菌除菌結果がOKだったら、一連の病人生活も終了します。今回のポリープもひょっとしたら4年前の便潜血の時に内視鏡検査を受けていたらもっと小さいうちに発見出来ていたのかもしれませんが、別な見方をすれば、今回はしっかり内視鏡検査をして見つかって良かったということも出来ます(今回も放っておいたらどうなっていたかと思うとちょっと怖くなります)。これからも、アラ厄年だという自覚を持って生活したいと思います。

 

 

習慣!

 

今回の一連の検査の始まりである、胃カメラとピロリ菌除菌をきっかけに禁酒をしていました。続けて、内視鏡検査、手術となったことから、そのまま禁酒を続け、3ケ月近くになります。

 

13年ほど前に禁煙をした時も「絶対に無理」だと思っていました。それまで1日たりとも止めることが出来なかったのですから。その禁煙に偶然成功した後も、禁酒をしようとも思いませんでしたし、出来るとも思いませんでした。お酒も以前の入院の時以外1日たりとも抜いたことがなかったのですから。しかし、数日抜いた後は、もはや飲まなくても何ともありません。

 

タバコも、お酒も、ただの習慣だったのだということをしみじみ思います。ただし、タバコはもはや吸うつもりはありませんが、お酒はコロナが落ち着いたら、いろいろな機会があると思うので、完全にやめるつもりはありません。ただ、今は外で飲む機会もありませんし、家でも以前のように毎日飲むのはやめようと思います。今回のポリープの件もお酒が関係しているかどうか分かりませんが、何事もほどほどが良いのではないかと思います。

 

ただ、今日は手術の結果が出たので、ほぼ3ケ月ぶりに祝杯をあげようと思います。初めてお酒を飲んだ時のように回るのが早いのでしょうか。どうなるのか心配(楽しみ)です。

 

 

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東京オリンピック開幕を前に思うこと。

2021年07月22日 18時25分12秒 | 管理人のこと、雑感

東京五輪開幕を前に、コロナ禍での開催の是非を別にしても、数多くの問題が噴出し、散々記事になっていますが、自分自身の記録としても、今感じることを残しておきたいと思います。

 

当初、私は東京オリンピック招致については反対でした。今の日本でオリンピックを開催することの意味を見出せなかったからです。

 

しかし、バブル崩壊後の長い低迷と、東日本大震災と、今後人口減少をしていく社会の中で、オリンピックがどんなことを人々の心に刻みつけ、社会にどのような影響を与えていくのか、きちんと向き合えば、貴重な社会実験となるのではないかと思い直しました(「2020年、東京オリンピック決定!」)。

 

しかし、開催が決まってからも、新国立競技場の費用の問題、エンブレムデザインの盗用問題など様々な問題が発生しました(「新国立競技場候補!」)。開催費用をめぐる小池都知事と国の争いや、〇〇ファーストが好きな都知事のまったくアスリートファーストではない開催地変更のパフォーマンスなどもありました。

 

そして、もう開幕しようかというこの時期になって、この問題の数々です。森組織委員会長や開閉会式の統括役の佐々木氏の辞任、過去にいじめ告白で問題となっていた、開会式音楽担当小山田圭吾氏の辞任、そして今日も開会式演出の小林賢太郎氏が過去にホロコーストを題材にしたコントをしていたことを理由に解任されました。

 

これらは、ほんの氷山の一角にすぎず、組織委員会、東京都、政府のどこにも、このオリンピックを前回の東京オリンピックのようなエポックメーキングなものにしようという志は微塵もなかったということなのでしょう。それぞれの立場での、利権、名誉欲、人気取りなど、私利私欲しかなかったのだと思います。役所から出向して内部告発くらいしか出来なかった職員の方々は気の毒でしたが、頭が腐っていては、どんなに下が頑張っても変えることは困難です。

 

この国でオリンピックをすることの意味を一番感じ招致に全力を尽くしたアスリートや、このオリンピックに出場するために筆舌に尽くしがたい努力をしてきたアスリートには本当に気の毒ですが、IOCの五輪貴族や日本の大会関係者幹部には、残念ながらオリッピック憲章などの理念は、何ひとつないのだということがよく分かりました。

 

新しい時代に向けての社会実験どころか、どうしたらどれだけ大会をグダグダにして、世界に笑いものになれるのかという、笑うに笑えない、逆な意味での社会実験となってしまいました

 

しかし、無観客であろうと、コロナ禍であろうと、五輪貴族が低俗でろうと、競技場で全力を尽くすアスリートのパフォーマンスは、政治家の心のこもらない挨拶や、フリップ芸などとは比べものになりません。大会が始まってしまえば、フィールドの選手たちに、くだらない思惑は届きませんアスリートの活躍をTVごしに応援したいと思います

 

しかし、あまりにも高い社会実験、授業でした。費用に見合うだけの学ぶことはあったのでしょうか。いや、学ばないといけないと思います。本当はあまり関心がない若者にしっかり学んでほしいと思います。このツケは若者にいくことになるのですから。

 

 

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安全・安心を守れるか? 政治家や組織委員会、IOCは信頼に足るか?

2021年06月26日 19時49分36秒 | 管理人のこと、雑感

アスリートの激闘について書いた後にこうしたことを書かなければいけないというのも本当に複雑な心境ですが、それもこれも、自分たちのことしか考えないバカな政治家やぼったくり男爵をはじめとする五輪貴族たちのせいです。

 

菅首相はG7で各国首脳に開催を明言し、オリンピック開幕まで既に1ケ月を切り、国民の意見を無視してどんどんオリンピック開催を既定路線にしています。それどころか、勝手に無観客ではなく有観客になり、関係ないといっていた1万人にした上、開会式は2万人に引き上げ、挙句の果てに、酒類提供の検討までぶちあげ、さすがにこれはあまりの批判に取り下げざるを得ませんでしたが、声がなければ、何だってやりかねない勢いです。

 

菅首相は、オリンピック開催にあたり、バカの一つ覚えみたいに「国民の安全・安心を守る」と繰り返しました。しかし、合宿で入国したウガンダ選手団に新型コロナウイルスの要請者が出て、その濃厚接触者が特定されないまま選手団は合宿地の泉佐野市に移動し、新たな要請者が出る事態になりました。この事態についてのヒアリングで、検疫官の回答は「検疫の役割は、陽性者の発見であって、濃厚接触者の特定は受け入れ先の保健所である」という事務的なものでした。受け入れ先に移動するまで放っておいて良いと思っていたのでしょうか。今の状況でこんな事務的なことをいっている担当者の想像力の欠如もどうかと思いますが、問題はこうした時の対応を構築できていない国、政治家にあります。菅首相が言っていた「安全・安心を守る」という言葉が、単なるお題目で、大嘘だったことが明らかになりました。

 

そして、感染状況については、東京都は完全にリバウンドに入りつつあります。しかも、より感染力が強いとされるインド型(デルタ株)に置き換わることが想定されている中です。

 

さすがにこうした状況を心配されたのか、天皇陛下が「宮内庁長官の拝察」という形をとり、オリンピックによる感染拡大の懸念の表明されました。そもそも陛下にこんな心配をさせることがどうかと思いますが、これに対して、加藤官房長官、菅首相が続けて「宮内庁長官が自分の意見を言ったものである」といかにも事務的なコメントを述べました。もちろん、天皇陛下の意見だと認めることは法的に出来ないのは分かります。しかし、それだけではなく、陛下の懸念を無視するかのような扱いです。本当にいかがなものかと思います。

 

憲法学者の中には、陛下が「宮内庁長官の拝察」という形をとったとしても、政治に関与するような発言をすることは問題だと指摘する人もいるようです。こうした形をとり、陛下を利用する勢力が出てくる可能性があるからということです。しかし、それを言うなら、民意を無視する今の政府も陛下を利用しているということが言えます。陛下はオリンピックの名誉総裁として、開会宣言をさせられるのです。平時ならともかく、緊急事態宣言は解除したものの、いまだにまん延防止等重点措置で、多くの市民が犠牲を強いられている中で天皇陛下を担ぎ出すことによって、天皇陛下を利用しよとしていると言えます。それに対して、陛下に拒否権がないというのもおかしな話です。まるで、勝てる見込みのない戦争になだれ込んでいった戦前を彷彿とさせます。あの時も懸念を表明する天皇陛下を説得し、巻き込んで、利用したのです。今も、天皇陛下には政治に口出しするなと制約をかけておきながら、自分たちに都合よく利用しようとしているのは、昔と同じです。それに対して、国民に思いを寄せる天皇陛下が「宮内庁長官の拝察」という形でしか意思を表明できないというのは、何ともおかしな世の中です。

 

オリンピック、パラリンピックを目指すアスリートは応援したい気持ちでいっぱいです。しかし、コロナ禍で図らずも顕在化したオリンピックを巡るどす黒い権力によってこれ以上事態が悪化しないように歯止めをかけたいものです。しかし、このアンビバレントな状況で、なかなか国民の声が明瞭にならない感じもあり、また、権力側はそれを狙っているようです。何とかしたいものです。

 

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3ケ月!&13日目!

2021年06月19日 17時55分21秒 | 管理人のこと、雑感

群馬県はまん延防止等重点措置が6月13日で終了し、その後「お願い」ベースの酒類提供の時短要請がありましたが、それも20日で終了します。緊急事態宣言が延長していた大阪、東京なども沖縄を除き、20日で宣言は終了し、まん延防止等重点措置に移行します。国の指針を踏まえ、各府県が酒類提供の方針を打ち出す中、東京都は昨日遅くまで方針が出ませんでした。オリンピックのパブリックビューイングについても、各県とっくの昔に中止を打ち出しているのに、東京都は今日になってようやく全会場の中止を発表しました。目立つことが大好きな小池都知事ですが、本当に大事なことはなかなか決められないということがはっきりしたと思います。オリンピックについても、ほぼだんまりを決め込み、何かあればここのところ積極的な発言が目立つ菅総理の責任にしようということかもしれません(菅総理とて責任はとらないでしょうが)。そして、大きな問題なくオリンピックが終わった暁には、それこそ「私の手柄」と喧伝するのでしょう。

 

そんなこんなでモヤモヤした日々を送る毎日ですが、そんな中、単身赴任も3ケ月になりました。やっていることは特に1ケ月目と変わらずですが、要するに単身赴任生活にもだいぶ馴染んだということが言えそうです。

 

それよりも新たな変化は、コロナ対策ではありませんが、お酒をやめて今日で13日目になることです。発端は健康診断結果です。今回の検査では、ピロリ菌の有無を調べる項目があり、ピロリ菌ありとなっていました。若い頃から胃が痛くなることがよくあり、ピロリ菌がいるだろうとは思っていました。最初は、ガスター10という強めの胃薬のお世話になっていましたが、そのうち、LG21というピロリ菌に効くというヨーグルトが発売され、それを利用するようになってからは、胃痛は治まり、薬の世話になることもなくなりました。なので、特に気にもとめていなかったのですが、もともとバリウムではなく、胃カメラを選択していたことから、せっかくの機会なので胃カメラをすることにしてみました(ここ数年、どちらかを選択できるようになっていたのですが、自分で病院を予約する胃カメラは面倒くさく結局受診せずに終わっていました)。

 

ということで、近所のクリニックで胃カメラの予約をし、前日からお酒抜きになりました。そして、当日は鎮静剤を使ってもらい、寝ているうちに調べてもらったところ、先生からは「お腹が痛くなることありませんか。潰瘍や潰瘍の跡が結構あり、ピロリ菌も多いです」と言われ、ピロリ菌の除菌をすることになりました。

 

その時には、お酒をやめるようにとの指示はなかったのですが、経験者の同僚たちは口々に「お酒はダメだと言われた」と言います。で、いろいろ調べてみると、1回目の除菌に失敗した場合、薬を変えて2回目の除菌をするそうですが、その時の薬は、アルコールとの相性が悪く「禁忌」ということで、本当にダメなようです。1回目の薬は、そうした禁忌はないものの、通常、アルコールは「控えるように」という扱いのようでした。いつもの私なら、だったらいいやとなるところでしたが、さすがに歳も歳ですし、今回は控えることになったわけです。

 

で、6月8日から朝夕の薬を飲み始め、14日で7日間の除菌は終了しましたが、せっかくなので、どこまで続くか禁酒を続行しています。もちろん、コロナが終息すれば、付き合いなどもありますから、このまま断酒となることはないと思いますが、そういう付き合いも今はないので、どこまでいけるかチャレンジです。

 

飲酒は習慣なので、それをやめるには別の習慣が必要です。ということで、炭酸を飲んだり、紅茶を飲んだり、おやつを食べたりと、これはこれであまり良くない習慣が始まっています。しかし、除菌のせいか、禁酒のせいか、お腹の調子も良いので、暫くはこの新習慣を続けようと思います。

 

 

 

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何も決まらない国、決められない国、だけど五輪だけは決まっている国、日本。

2021年06月12日 14時39分11秒 | 管理人のこと、雑感

山縣選手のことを書いたら、オリンピックを出来たらと思ってしまいます。最近では、全米女子オープンで笹生優花選手が優勝して、フィリピン代表としてオリンピックを目指しているそうですし、白血病から復活した池江璃花子選手や、ケガに悩まされ鉄棒一本に絞り最後のオリンピック代表に滑り込んだ内村航平選手、稀にみる激闘の選考を制した阿部一二三選手、黄金期を迎えた女子バトミントン、東京で復活したソフトボール、野球など、オリンピックに出してあげたい選手、チームを数え上げたら、枚挙に暇がないくらいです。

 

しかし、緊急事態宣言が継続している現在は、どう考えても、皆が安心して、オリンピックを楽しめ、応援するような状況ではないと思います。にもかかわらず、政府も、東京都も、組織委員会も、誰もやめるとは言い出さず、このままオリンピックになだれ込むようです。結果はどうなるか分かりません。それほどの感染拡大を招かずに終わることもあるかもしれません。しかし、それはあくまで結果論で、そんな蓋然性の低い期待に国民の命をかけるなど、政治家のすることではないと思います。

 

そして、こんな状況を招いているのは、為政者の不作為とも言える無能さのためです。

 

今になってワクチン、ワクチンと大騒ぎをしていますが、そもそも最初のワクチン確保競争に完全に遅れをとったという失敗がそもそもの発端です。そして、遅れたのであれば、その時間にしっかりに準備をしていたかと言えばそうでもなく、予約に電話とインターネットで先着順とするなど、誰が考えてもパンクをするやり方をする始末です。また、大規模接種センターの小池都知事の思い付きのドタバタも笑止千万です。最初はやらないと言っていたのに、各県が設置を始めると急遽築地ではじめたものの五輪までしか使えないということから、今度は批判を浴びた代々木のPV会場を「有効活用」すると言い始めました。真夏の屋外の接種会場って何なんでしょうか。

 

そもそもワクチンの接種がこれだけ遅れているにもかかわらず、日本の新規感染者数は、接種が進んでいる国よりもはるかに少ないのです。にもかかわらず、医療体制がひっ迫して緊急事態宣言を出さざるを得な状況になっているのです。1年以上も経っているにもかかわらず、なぜこの状況を改善できないのでしょうか。

 

新型コロナウイルスの感染拡大の初期の頃は、日本人の規律正しさやモラルが感染爆発を防ぎ、それは誇らしいことだと思いました。しかし、それが1年以上も続き、政府や行政の言い草が相変わらずの「お願い」だけで、しまいには「人流をとめる」という理由で、大して効果が見込めない百貨店や映画館など特定業界を分かり易い標的にした休業要請など、愚の骨頂の施策しかありません。小池都知事ときたら、くだらないフリップ芸をするだけです。

 

真面目な日本人も、さすがにこの国は一体何なのだと思い始めていると思います。1年以上が経って、何も変わっていないではないかと。その間にも、政治家、官僚、医師会会長などの不祥事は後を絶ちません。しかし、こうした政治家を選び、その存在を許しているのも国民なのです。国民は、もっと怒った方がいいと思います。

 

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3度目の緊急事態宣言と、対象区域外での休日!

2021年04月27日 16時37分03秒 | 管理人のこと、雑感

4月25日(日)から大阪、京都、兵庫、東京に3度目の緊急事態が発出されています。大阪を中心とする関西地区での感染者激増が続き、それを追いかけるように東京も増えてきたため、乗り遅れたくないかのように小池百合子都知事が追随した感じです。そして、大阪吉村知事や小池知事が、人流を止めることが重要だとして、これまでの飲食店に加えて、百貨店やテーマパークなどを休業対象にするように要請をしました。百貨店でクラスターが発生した例がないなどとして、百貨店の業界団体が休業要請をしないように要望しましたが、政府は知事の要請そのままに休業対象としました。そして、この休業に対する協力金が、何と20万円だということで、さすがにこれに対しては、批判を通り越して呆れるようなコメントがメディア、ネットで溢れています。従来の飲食店への要請でも、1日最大6万円の協力金となっていましたが、自前の物件で家族経営の小規模な店舗などでは十分に保障されるのに対し、大規模なチェーン店ではまったく採算が合わないという批判が言われていました。今回のケースの都心の百貨店の売上規模は、大規模チェーン飲食店の比ではありません。「人流を止める」ことを大義名分に特定業種を狙い打ちにした休業要請をしましたが、その対価がこれではまったく大義名分が立ちませんしかも、緊急事態宣言が発出されても、劇的に人流が減ってはいませんこれに対して、この政策を立案し、実施した、吉村知事、小池知事、政府関係者はどう責任を取るのでしょうか。吉村知事や小池知事は、協力金を決めるのは政府だと責任転嫁をするのでしょうが、無責任にもほどがあります。本気で人流を止めるのであれば、こんな個別業種を狙い打ちした休業要請ではなく、公共交通機関を止めてロックダウンに近いことをしないと仕方がありません。飲食業にも酒の提供の中止を要請をしましたが、屋外での立ち飲みが増える始末です。こうした事象を取り締まる条例でも準備しなければ、そうなることは想像が付いたはずです。本当に、政府、自治体は、この1年以上何をしていたのでしょう。本当に腹が立ちます。

 

それはともかく、私も東京で働いていたら、また緊急事態宣言に振り回されて大変だったと思いますが、3月から北関東の事業所に転勤になったので、現段階では、まだ普通の日常を過ごしています。東京から通勤していたら、それも気がひけるところですが、先月下旬から単身赴任しているので、まったく問題ありません。

 

赴任先を北関東とぼやかしていましたが、もったいぶるようなところでもないのではっきり言えば、群馬県です。群馬県と言えば、言わずと知れた温泉大国です。そこで、ゴルフもしない私としては、休日の過ごし方の一つとして、温泉巡りをしようかと思っています。

 

昨日も15km弱ジョギングしたあと、前橋のとんかつの有名店で昼食を食べてから、近くの日帰り温泉に行きました。そして、今日も休みだったため、峠越えしてかつては隣町だった吉井町まで17km弱ジョギングしました。峠越えで足の疲労はマックスだったので、絶好の温泉日和です。ということで、今日は有名な伊香保温泉に行ってきました。地元出身ですが、家族旅行をするような家庭ではなかったので、子どもの頃に行ったことはなく、大人になってから帰省の際に近くのグリーン牧場に行った時に寄ろうとしましたが、あまりの渋滞で断念したため、行ったことがなく、初の訪問となりました。

 

 
 



伊香保と言えば、当然石段です。上の方まで車で行けるのでしょうが、やはりここは石段を行かねばです。ちょうど365段ある石段は、17km走った足にはきつかったですが、何とか登り切り、そこから湯元の露店風呂の案内があったので、そのまま奥に進みました。ちょっと距離はありましたが、人も少なく、緑が心地良く、足の疲れも気になりませんでした。最近の日帰り温泉は綺麗なところが多いですが、着いた露天風呂は、野趣溢れた雰囲気で相当渋かったです。これで単身赴任後、3軒目の温泉です。100軒以上の温泉が載っている「ぐんまの源泉パスポート」という本を買ったのですが、単身赴任中に制覇できるかどうかチャレンジです。

 

4月のジョギング

107.1km 5:58/分

 

 

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1ケ月!

2021年04月20日 17時45分47秒 | 管理人のこと、雑感

これまでも何度か「1ケ月」について書いてきましたように思います。10数年前に禁煙をしてから1ケ月経った時のこと、それから暫くしてからジョギングを始めてから1ケ月経った時のことなどです。

 

今回は、単身赴任をしてからの「1ケ月」です。最初の頃は、細々した足りないものなどが日々判明したりして、なかなか落ち着きませんでしたが、気がつくたびメモしていた追加買い足しリストもほとんどなくなり、だいぶ生活のリズムも出てきました。

 

朝は以前と同じように6時に起きるようにしていますが、以前は6時のアラームでいったん起きるものの、まだうとうとしていて、スヌース機能で10分、15分後に起きるのが常でした。しかし、今は東向きの部屋なので、カーテンをしていても隙間から朝日が入りばっちり目が覚めます。それどころか、前の晩に早めに寝落ちなどしてしまうと、5時起きなんてこともあります(今朝もそうでした)。

 

で、朝起きてカーテンを開けると、朝陽が入り爽やかなのですが、難点は床の埃が目立つことです。なので、朝一番でまずは掃除です。フローリングで大してモノもないので、そんなに時間はかかりません。掃除が終わると朝食です。朝食は、パンとコーヒーです。引っ越す時にやかんも買ったのですが、家から持ってきたティファールを使ってみたら、あまりに便利で、やかんは一回も使っていません。パンは、ピザトーストにするか、ゆで卵を作ってタマゴサンドにするかなので、10分くらいはかかりますが、新聞を見ながら食べても大した時間ではありません。そして、洗い物をして、ゴミの日ならゴミ出しの準備をして、それぞれゆっくりと、歯を磨き、髭をそり、着替えをしても、まだ7時過ぎといったところです。八王子の時はあたふたと家を出ている頃ですが、今は会社まで歩いて15分なので、まだまだ余裕がありすぎです。そこで、最近では本を読んだり、テレビを見たり、音楽を聴いたりして、少し時間をつぶしてから家を出るようにしています。それでも、始業の1時間半くらい前に出社している感じです。ちなみに、水曜日木曜日はワイシャツのクリーニングが安いので、出勤途中に少し遠回りして出しています。10時までに出せば、17時には出来上がっているので、帰りには受け取れて便利です。仕事終わりで、夕食の総菜などが買えれば買うのですが、会社の近くでは欲しいものがないことも多く、スーパーは歩いて寄るにはちょっと遠いので、最近は家で簡単なものを作ることと半々くらいな感じです。一人暮らしになると、冷蔵庫の中にあるものをいかに効率的に消費するか考えるようになりました。まるで、仕事の延長のようです。

 

休みの日はというと、朝の掃除、食事のあとは、ジョギングに出て、帰ってきてからジョギングのウェアも一緒に洗濯です。そして、夕方前に洗濯を取り込み、買い物、夕食準備といったところですが、今日は休みですが、昼前から少し出社する用事があったので、買い物、クリーニング出しまでを済ませました。先に書いたように、5時起きしてしまったので、がっつり14km弱ジョギングをして、家事をすっかり済ませても、まだ9時半でした。こちらの同僚は、休みの日にゴルフをする人が多いですが、この歳からまたゴルフをやるつもりもなく、私は日帰り温泉巡りでもしようかと思い、先日は近場の温泉に行ってきました。しかし、もともとカラスの行水的な私としては、着替えの時間も含めて30分がいいところなので、車での移動も考えても、なかなか休日のメイン行事にはなりそうもありません。ジョギング+トレーニング+疲れた体を癒す近場の温泉、または、ジョギング+観光地的なところで観光(グルメ)+温泉、なんてパターンになるのでしょうか。

 

二か月、三カ月経った頃には、こうした休みの過ごし方も定まっているでしょうか。

 

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休みの日課!

2021年04月10日 20時58分15秒 | 管理人のこと、雑感

2月14日に右手小指を脱臼してから2カ月近くになります。3月18日に最初にかかったクリニックに3度目の通院をしましたが、その時に「これからリハビリですね」と言われましたが、既に転勤していたので、「実は転勤して、単身赴任することになりました」と告げると、「では、転勤先で整形外科か、接骨院を探してください」と言われました。

 

しかし、引っ越したばかりでいろいろ落ち着かず、医者を探すどころではありませんし、そもそも慌てて変な医者にも行きたくありませんから、しばらくは自主練習でのリハビリとなりました。しかし、この段階ではまだ患部が結構痛かったので、くっつく包帯で指を保護していて、入浴後に指を動かすような状態でした。しかし、日中包帯で固定していると、指はなかなか思うように動きませんでした。

 

そこで、4月になったのを機に、包帯を外すことにしました。最初はおっかなびっくりでしたし、ふとした瞬間に小指に力が入ったりしたら痛みが走ったりしましたが、昨日くらいからだいぶ指が動くようになってきました。まだ腫れていて痛みもありますし、指は完全には曲がらないので、正確には「動くようになった」とは言えないかもしれませんが、こぶしを握るのにおっかなびっくりせずに握れるようになり、精神的には「自由に動くようになった」感覚です。

 

病院でのリハビリも、基本的には治療ではなく、機能回復の訓練ですから、これなら自主練の継続で良いような気がしてきました。

 

ということで、4月からはジョギングを再開していますし、今日はスポーツ店に行って、ヨガマットとゴムのチューブを買ってきました。単身赴任先は、2LDKですが、普段はリビングで過ごしており、もう1部屋はほとんど使っていないので、そこをトレーニング部屋にすることにしました。

 

4月に入ってからの休みの日課は、まず朝起きてから掃除をして、朝食を食べてから、ジョギングに出て、帰宅後たまった洗濯物とジョギングウェアをまとめて洗濯し、あとはまだまだ足りないものを買い足しに、ホームセンターなどに買い物にいくことが多いですが、それもそのうちなくなるでしょうから、これからは、その時間をトレーニングや、温泉巡り、親の様子見などに充てていきたいと思います。

 

ちなみに、前回のジョギングでは、中学1年生の時に通った中学校までジョギングに行き(2年から新設中に移りました)、今日はその頃に住んでいた家と小学校を見にいきました。37年以上前にこの地を離れているので、だいぶ変わってしまって、記憶に合致するところもほとんどないのですが、今後もゆかりの地を巡ってみたいと思います。

 

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単身赴任後、実質的に初休日!

2021年04月03日 21時05分23秒 | 管理人のこと、雑感

3月20日に単身赴任し、最初の休日は連休で、残りの荷物を取りにいったん自宅に帰ったので、今日が実質的に初休日となります。

 

今までよりは、はるかに時間的余裕がありますが、習慣は変えられず、いつもと同じように6時過ぎには起床しました。そして、洗濯して、掃除して、ゆっくり朝食をとってもまだ8時前です。ということで、2月14日に転倒して右手小指を脱臼してから中断していたジョギングに出ることにしました。学生時代は、部活でグランドを走ったりしましたが、故郷をジョギングをするのは初めてです。

 

まずは市街地を抜け、川を渡り、母校の高校を目指しました。その後、暫く川沿いを走った後、再び川を渡り市街地に戻り、今度は駅の反対側に向かいました。今度は、母校の中学です。中学をクリアしたら、今度は小学校というところですが、中学の段階で既に1時間を過ぎていて、1ケ月半のブランクがある身にはこたえます。ので、今日はここで、退却し、新しい自宅に戻りました。

 

15.4km  1:31:08

 

帰宅をして、シャワーを浴びてもまだ10時頃で、ホームセンターに買い物に行きました。引っ越す前から何度もホームセンターなどに買い物に行っていますが、微妙な買い忘れなどがちょこちょことあったためです。ホームセンターで結構吟味して買い物し、その後、ジョギング中に見つけた業務スーパーに寄りました。というのも、単身赴任以来、夜はだいたい出来合いの総菜や弁当で、野菜をほとんど摂っていないのですが、生野菜を買って毎日摂るのも面倒です。そこで、業務スーパーの冷凍野菜を買って、それで野菜を摂ることにしました。さらに、この日の食材などをスーパーで買って、帰宅し、昼食を作ろうとした時です。何と、油がありませんでした。

 

単身赴任以来、出来合いの総菜が多かったですし、数少ない自宅での調理も、炊飯器で炊き込みご飯を炊いたり、パスタを茹でたくらいで、フライパンは使っていなかったのです。スーパーはちょっと離れているので、油だけを車で買い物に行く気にもなれず、近くのコンビニで用を足すために、再び外出しました。そして、コンビニにつくと、油が見当たりません。そもそも、関連する調味料などが、1点ずつくらいしかありません。あまり買う人がいないんでしょうね。で、よく見ると、一番下の棚の奥の方に、横倒しになった油がありました。少し埃をかぶったような感じで、ちょっと怪しい感じだったので、買うのはやめました。いったん戻って、車でスーパーに行くのもまた時間がかかるので、そのまま駅前の会社の近くまで歩いていき、駅前のスーパーで油を買いました。往復30分で、1時間半ジョギングした身には結構こたえました。

 

この後も、結構忙しく過ごしましたが、今後はもう少し落ち着いた休日を過ごしたいと思います。

 

 

 

 

 

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23年ぶりの引っ越し!

2021年03月20日 21時40分45秒 | 管理人のこと、雑感

本日、北関東の街に引っ越しをしました。約23年前に八王子に転居をして以来の引っ越しです。それまでは数多くの引っ越しを経験していました。中野で生まれ、幼い頃に相模原に転居し、小学校中学年で茨城県に引っ越し、1年後に今回引っ越した北関東の街に転居しました。そこでも近くに1回引っ越しましたが、高校生まで過ごし、大学生で上京してからも、途中の2年間姉と同居していたことから、東急線沿線で3ヶ所に住みました。そして、就職を機に千葉方面に転居し、結婚を機に再び東急線に転居し、長女の誕生を前に中野の社宅に引っ越し、長男の誕生後、八王子に転居しました。何と11回の引っ越しをこれまで経験をしています。

 

そして、今回単身赴任で、高校まで過ごした地元へ12回目の転居というのも何か不思議な縁を感じます。

 

緊急事態宣言はまだ解除されていませんが、既に世の中は解除モードで、ここ数日の新幹線通勤でも帰りは多くの若者で賑わっていました。ということで、連休の今日も高速は結構な渋滞でした。なので、当初考えていたよりも若干早く家を出ましたが、通常の渋滞以外に事故渋滞もあり、10時を若干回って不動産屋に到着し、重要事項説明を受け、鍵の受け渡しを行いました。

 

同行してくれたカミさんと物件に向かうと、照明設備が付いていないことが発覚しました。そこで、私が慌てて家電量販店に買いに行き、その間にカミさんが掃除や家から持参した荷物の整理をしてくれました。そして、照明器具を買って帰り、設置を終え、昼飯を食べると、お値段以上のN社の荷物が届き、カミさんがカーテンを取り付け、私は組み立て家具的な作業をするなど、手分けして部屋を整えます。

 

ここでカミさんは帰宅し、入れ替わるように家電量販店の方が荷物の搬入とセッティングに来てくれました。冷蔵庫、洗濯機、テレビなどを丁寧にセッティングしてくれて、その途中でガス会社が開栓の手続きにきました。結局、15時から1時間半くらいかかり、16時半くらいにすべての作業が終了しました。しかし、家電製品以外に自宅からの荷物やN社の段ボールまで持って帰ってくれて助かりました。

 

その後、近くのクリーニング店にクリーニングを出したり、スーパーで最小限の食材を買い物したりして、一応引っ越し完了です。まだまだ完全な状態ではありませんが、何とか明日から仕事に集中していけそうです。

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単身赴任準備!

2021年03月11日 21時39分17秒 | 管理人のこと、雑感

3月1日付けで北関東の事業所に異動となりました。内示を受けた時から単身赴任をするつもりでしたが、時期的に物件が見つかりづらいということで、定期を買って1ケ月は通うことにしました。最初、ルートは中央線でえ東京駅まで行って、新幹線と思っていましたが、これだと気が遠くなるほど時間がかかります。しかし、調べてみると、武蔵野線経由で大宮から新幹線というルートだと、だいぶ時短になることが分かり、そのルートの定期を買い、通勤しています。しかし、このルート、通常だと4路線乗り継ぎ(運良く大宮~八王子間を結ぶむさしの号があれば3路線)という面倒くさいルートです。時間によっては、武蔵浦和駅か南浦和駅か、乗り継ぎ駅も変わります。しかも、今までの中央線と違って、ルート本数が少ないというプレッシャーからか異常に早く目が覚めてしまうため、乗り継ぎ駅の手前で眠くなり、うっかり寝過ごしてしまいそうになります(実際、西国分寺と、武蔵浦和をそれぞれ1回寝過ごしています)。また、帰りの新幹線の時間のタイミングが悪く、就業時間からだいぶ経ってからでないと乗れないため、普通に帰宅しても10時頃になります。

 

私と同じようなルートで通勤している人もいるのですが、とても私には長く続けられそうにありません(単に、お酒を飲む時間が減るのが耐えられないだけなのかもしれませんが…)。なので、急ぎ物件探しに乗り出しました。会社の仲介会社からの物件だけでは、帯に短し襷に長しだったので、自分でネットで調べた物件を何件か問い合わせると、そのうちの1件にだいぶ空きがあるとのことでした(昨年夏竣工の新築物件ですが、駅からちょっと遠いのがネックだということでした)。最初5日(金)に内見しようとしていましたが、予定が合わず7日(日)に延期となりました。で、7日に行ってみると、6日(土)は相当数のお客さんが見えたということで、空きが多かった物件も埋まり出しているということでした。空きが多いということで油断していましたが、本気モードで内見し、その場で物件を決めました。

 

で、次は、単身赴任の準備です。30年ぶりくらいの一人暮らしですし、高校を卒業して東京に出てくる時は親が用意したものをそのまま持たされただけなので、ゼロから自分で準備するのは初めてのことです。家電関係、家具・家庭用品関係、日用品関係の3つに分類し、準備に取り掛かります。

 

まずは、家電です。生活の必需品としては、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、掃除機がありますが、一人暮らしで、それほど長期ではないことを想定すると、必要最低限の機能で良しとします。嗜好品であるCDプレーヤーもたいしたこだわりがないので、程々のものをチョイスします。テレビは、一人暮らしの重要なアイテムとなりそうなので、HDD内蔵で録画ができるものにしました。これが一番高額でした。さらにテレビだけでなく、休みの日にすることなくDVDなどを見たいと思った時に必要だと思い、DVDプレーヤーを購入しました。これも録画機能がなく、再生するだけなら、5,000円以下であるということを今回始めて知りました。そして、私の上京時と違って、現在最も重要なのがインターネット環境です。今回の物件選びで最もこだわったのが、ここでした。職場から歩いて3分という好物件もありましたが、最近の物件でないため、自分でインターネットの契約が必要だったので、断念しました。そして、決めた物件は新築ですから、インターネット環境は整っていて、使用料不要となっています。そこで、PCだけでなく、スマホも使えるように無線ルーターを購入しました。ほかに必需品として、ドライヤーやシェーバーがありますが、小さいものですし、貯まったポイントも使えるので、後日購入として、家電は終了です。

 

次に、家具・家庭用品です。仕事のための仮住まいなので、ここはこだわりなく、お値段以上のN社で全て揃えるつもりで、左入町の店舗に行きました。もともとソファーベッドを買うつもりでいたので、最初に、寝具セットをピックアップしました。次に目についたのが、レースと普通のものが4枚セットになったカーテンでした。効率よく揃えたい会社員には、セット、セットはとっても便利です。一人暮らしでそれほど食器が必要なわけでもなく、置き場所もないため、どうしようかと悩んでいたのが、食器棚です。と思っていたら、可動式で、多目的に使えるラックがあったので、それをチョイスしました。続いて、お風呂の椅子、ゴミ箱と順調に決めた後に、食器や調理道具となり、ここで暫し悩みます。で、いったん、2階に行って、先にソファーベッドとテーブルを決めました。再び1階に戻って、まな板・包丁セット、スプーン・フォークセット、箸5膳セット、お玉、菜箸、湯切りザル、木ベラ、水切りカゴなど、細々したものを先に決めました。鍋窯、食器は、悩めばどれだけでも悩むところですが、最後に残したことで、もうどうでもいいやということで、かなり適当にピックアップです。時間が出来たことで、料理にはまったりしたら、買い直すことになるかもしれませんが、現状では問題なしです。

 

配送手続きをして、やれやれと帰宅しましたが、帰る道々、買い忘れたことに気づきました。衣装ケース、洗濯道具、物干ざお、などです。で、仕方がないので、帰宅後、イイアスのN社の店に行き、細々した掃除道具、水回りの小物などと一緒に買いました。

 

そして、その帰り道、ドラッグストアで、絶対なくては困るトイレットペーパー、ティッシュ、歯ブラシ・歯磨き粉、シャンプー、ボディーシャンプー、洗剤、バンドエイド、葛根湯等々、生活日用品を買いあさりました。

 

これである程度、一人暮らしになっても困らない状態になったかと思いますが、まだまだアジャストしなければならないことが多々あると思います。少し落ち着いたら、またご報告したいと思います。

 

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