やっぱり…というのが、素直な感想です。
小池都知事が、希望の党の代表を辞任しました。「希望の党はフレッシュでなければならない」とか、「国政のことは、国政の方に任せる」とか、それらしいことを言っていましたが、選挙後に「創業者として辞任はしない」と言っていたのは、何だったのかと思います。しかし、これも想定通りです。選挙直後の辞任では、引責が明瞭すぎて、自分へのダメージが大きすぎるので、いったん時間を置いて、現段階での辞任となったのです。
そして、今回の辞任も決して責任をとってのことではありません(現に、会見でのそんなこと一言も言っていませんし)。もはや希望の党が自分にとって何のメリットもないからです。都議選の時に「いずれ国政に進出して、都政を放り出すのでは」と書きましたが(「都議選の結果、良いんだか悪いんだか」、「日本の状態を表わす衆議院議員選挙結果。」)、結果は逆ですが、方向性は概ね想定通りになりました。都民も、国民もどうでも良く、結局、自分ファーストということです。
小池都知事が希望の党を立ち上げ、国政に打って出たのは、(どこまで本気だったかは別ですが)大阪都構想を掲げていた橋下府知事のような大義名分のためではなく、自身の政治的野心としか思われません。成功すれば、間違いなく、国政にシフトし、都政は放り出していたと思います。しかし、結果は、周知の通り、自身が擁立した候補はほとんど当選せず、当選議員の大半が「選別した」民進党出身者です。しかも、民進党出身でも落選議員は多数いて、怨嗟の声が満ちていました。マスコミを含めた論調も厳しく、もはや現時点で国政に関与するメリットは何もなく、希望の党を放り出したのです。
しかし、大歓迎されていた都政でも、もはや同じような空気ではなく、葛飾区議選では都民ファーストは惨敗しています。都民もようやく小池都知事の本性に気づいたというところでしょうが、もう少し早く気づいてほしかったというのが正直な感想です。都政も、国政も、この人の野心で大きくひっかきまわされただけで、何の変化も生まれていないどころか、かえって混迷を深くしました。本当に罪は大きいと思います。
政治でも、経済でも、最近「倫理観」が強い人をあまり見ないように思いますが、リーダーに求められる資質は、野心や能力以前に、倫理観であり、私心なく、使命を果たすことではないかと思います。そうしたリーダーを生むのも、国民の民度であると思いますので、国民もしっかり政治家を見る目を養いたいものです。