八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

4,257!

2016年06月16日 23時21分08秒 | プロ野球・高校野球

イチロー選手が日米通算で4,257安打とし、ピート・ローズ氏のメジャー記録4,256安打を抜きました。だいぶ前から話題になっていましたが、イチローらしく足踏みすことなく一気に抜き去りました。

 

日本で1,278安打、メジャーで2,979安打ですから、当然メジャー記録ではありません。メジャー記録ではないということは、アメリカ的には世界記録ではないということです。王さんの868本塁打が世界記録と認められないのと同じです。それは、王さんもイチロー選手も理解も納得もしていると思います。

 

しかし、今日のイチロー選手の記者会見は、複雑な心境が垣間見えました。

 

それは、一方の当事者であるピート・ローズ氏が盛んに自分の記録はメジャー記録であり、イチロー選手の記録と比べるものではないということを主張していたことと関係があると思います。このこと自体は、イチロー選手も異論はないと思います。イチロー選手が複雑だったのは、ローズ氏が、日本のプロ野球はメジャーよりレベルが低いために、自分の記録が上だと主張したいたことにあるのではないかと思います。ここにイチロー選手の実力への敬意はありません。

 

イチロー選手を野球選手としてリスペクトしていれば、メジャーで3,000本近くのヒットを重ねてきた選手が放った日本での1,278本にも、プロ野球のレベルとは関係ない価値があると認めたと思います。しかし、ローズ氏がそうした側面を見ず、イチロー選手自身を見てくれていないことが寂しかったのではないかと思います。

 

国やリーグが違えば、当然同じように記録は比べられませんし、同じメジャーリーグでも、イチロー選手が約80年前のシスtラーの年間安打記録を破ったとしても、これだけ時代が違うと単純比較はできません。しかし、同じ選手だったのであれば、今そこにいる選手のプレーを見れば、単純に感嘆し敬意を表するもの。それがスポーツマンなんだとイチロー選手は口にこそ出しませんでしたが、思っていたのではないでしょうか。

 

イチロー選手は、50歳まで現役を続けると言っていますが、さすがに最近年間フル出場できないように、かなりハードルが高い目標です。ということは、さすがに、イチロー選手自身が、メジャー記録としてローズ氏の記録を抜くことはほとんど不可能だということはイチロー選手は分かっているでしょう。しかし、たらればはないものの、もし最初からメジャーにいればローズ氏の記録も破れたとも思っていると思います。

 

そんな思いが、「メジャーでローズ氏の記録を破る選手が出てきてほしい。もっと見たいのは、日本でローズ氏の記録を破ること。そちらの方が難しいと思う」という言葉になったのではないかと思います。

 

比較は出来ないものの、一つの目安として、イチロー選手の4,257本はすごい記録ですし、私自身はイチロー選手ならメジャーのみで同じ記録も作れたと思います。自身で言っているように、これは一つの通過点として、次はメジャー3,000本の金字塔に向かって加速してほしいですね。

 

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リハビリ&復帰!

2016年06月16日 22時30分17秒 | Jog&Walk,Health

手術が決まった時、「退院したらすぐ仕事してもいいですか?」とお医者さんに聞いたら、とんでもないという表情で「たいていの方は1週間くらい休まれますよ」と言われました。

 

そして、手術後、執刀医の先生に同じことを聞くと、「1~2日でも大丈夫ですよ。どんどん動いてください」と言われました。こちらの体力と経過を見ての判断でしょうから、こちらの方が確かです。ということで、3日くらい休んで木曜日に出社する目論見でいましたが、自分的にはこれでもだいぶ余裕を持ったつもりでした。

 

日曜日に退院しましたが、この日は都心の病院から帰ってくるので、結構疲れたので、クロの散歩に行ったくらいで無理はしませんでした。

 

月曜日からリハビリを兼ねた運動をしたかったのですが、強い雨が降ったため、この日も夕方雨があがってからクロの散歩に行っただけでした。しかし、体調はだいぶ良い感触でした。

 

そして、迎えた火曜日です。前日、ほとんど動けなかったため、この日はやる気まんまんです。しかし、今年度人事異動で新部署を移ったのを機にジョギングをやめてしまいましたし、手術明けで走るどころではありません。

 

ということで、あまり私の性分ではないのですが、ウォーキングです。

 

散田架道橋を抜けて、甲州街道に出ると、ずっと工事をしていた歩道の整備が終わってきれいになっていました。

 

高尾駅までいきました。

 

高尾駅で引き換えし、浅川沿いを戻ります。張り切って歩いていたのですが、この辺りではだいぶ疲れてきたのと、左足の付け根の方に痛みも出てきました。だいぶ身体がなまっていたのだと思います。

 

このまま帰宅すれば良かったのですが、前日動けなかったので、ちょっと無理をしました。結局、西八王子駅の近くまで行って戻ったため、2時間近く、9km弱を歩きました。

 

すると、夕方からどっと疲れが出て、微熱も出ました。明らかに「やりすぎ」でした。リハビリというのは、やはり徐々に負荷をあげていかなければいけませんね。体調を過信したのと、自分で設定した3日に縛られて無理をして、却って悪い結果を招きました。

 

カミさんからは、もっと休んだ方が良いのではと言われ、自分でも体調が戻らなければ、それも仕方ないと思い迎えた水曜日。この日も霧雨混じりだったので、クロの散歩をしただけで、運動は控えました。とはいえ、家でゴロゴロしてもこれも良くないので、電車に乗って無理のない軽い外出をしました。そして、夜も早めに寝て、翌日に備えました。

 

結果、今朝は目覚めも快調で、出勤にはまったく差支えない体調だったので、予定通り出社しました。しかし、ここで無理しては元も子もないので、周囲の気遣いに遠慮なく甘えて、結構控え目な滑り出しをさせてもらい、比較的早めに退勤しました。それでも、やはりちょっと疲れました。

 

完全復帰までは、もう暫くかかりそうです。

 

 

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人間の品位

2016年06月13日 13時07分48秒 | 管理人のこと、雑感

舛添東京都知事の政治資金流用疑惑問題が佳境を迎えています。今日と20日の総務委員会での追及を挟んで、都議会は閉会するため、今回の都議会中に知事を辞任に追い込むのは無理かと見られていましたが、世論の厳しい声は燎原の火のごとく広がり、静まることなく、辞任までは求めていなかった与党の自民党・公明党もそれを無視できなくなってきています。

 

舛添知事は品性は下劣ですが、悪知恵だけはよく働く男です。

 

当初、ファーストクラスや公用車問題が発覚した時は、自信満々に都知事はどこでも仕事をしなければならないので当然と発言していました。確かにちょっとした国の国家予算並みの財政規模の東京都知事の権限は絶大で、その仕事量も大変なことは理解できます。

 

しかし、問題はこれだけにとどまりませんでした。過去のさまざまな政治資金の私的流用疑惑が次々に明らかになり、追及されると、今度は「第三者機関の厳正なる調査をお願いしたい」一点張りで、自分で答えられるはずのことですら、一切答えないという戦法に出ました。姑息ですが、悪知恵の働く男です。

 

そして、出てきた(舛添知事が雇った)「第三者」の弁護士2人の調査結果は、想定された通りのものでした。まったく厳正ではなく、雇い人に寄り添った調査とも言えないレベルのもので、すべての疑惑が(適切ではないものもあるが)「違法ではない」というものでした。政治資金規正法が元々「ざる法」で、何に使おうが違法でないことは分かっていることで、国民・都民が聞きたかったのは、そんなことではなく、国民の一般常識(Common Sence)に照らしてどうかということでした。しかし、そんなことは一向にお構いなく、抜け抜けと「この『厳しい』調査結果を受け、反省すべきは反省し、これからしっかり仕事をしていく」と述べて、幕引きを図ろうとしました。

 

本当に厚顔無恥の悪知恵の働く男で、与党の思惑も計算し、これで逃げ切れると思っていたのでしょうし、ある程度、そうした流れになりそうでしたが、この男にとって誤算だったのは、国民の怒りがそれ以上だったことです。

 

冒頭述べたように、本当は都知事選までしたくない与党・自民公明ですら、舛添知事を追及しなければ、自分たちに火の粉が飛んできかねない事態になり、状況が変わってきたのだと思います。

 

これほど都民・国民の怒りが大きいのは何故か。これまでも政治家の収賄事件や不祥事などもありましたが、容認はできないものの、政治にかかっている金を賄おうとするケースが多かったのに対し、舛添知事の場合は、政治資金で自分の生活を賄っていたという疑惑で、あまりに品位・品格がなさすぎるからだと思います。

 

まだ疑惑とはいえ、家族と正月に泊まったホテルを会議と称していること、クレヨンしんちゃんやミステリー小説の購入、回転寿司などの飲食費、趣味である美術品の購入、チャイナ服の購入などなど、普通の家庭の家計簿のような内容で、こうした私的な生活費・嗜好品に政治資金を充てるとは、あまりに品位・品格がなさすぎです。情けなくなります。

 

こうしたことを都民・国民は怒っているにもかかわらず、まったく悪びれることなく、「真摯に反省して」とか、「生まれ変わったつもりで」とか、「死ぬ気で都民のために働く」とか言っていることがまた、怒りに火を注ぎます。

 

67歳の大の大人が、子どもでも分かるような非常識なことを真摯に反省すること自体が非常識ですし、67歳の大の大人が今更生まれ変われるものなのかと思いますし、67歳の大の大人が今頃死ぬ気になる前にもっとやるべきことをやっておいてくれと思います。

 

そもそも真摯に反省しているように見えない慇懃無礼な態度にも腹が立ちますが、百歩譲って仮に本当に反省したとしても、そもそもこんなことしている人ダメでしょ、とその人間性にレッドカードを出されているのだと思います。面の皮がよほど厚いと見えて、なかなかそこに気づいていないようですが、そろそろ都民・国民の真意に気づいてほしいと思いますね。

 

今日の総務委員会、どうなりますか。

 

 

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入院日記!

2016年06月12日 21時23分59秒 | 管理人のこと、雑感

生まれて初めての入院と手術の経緯です。そもそもきっかけは昨年秋に受診した人間ドックでした。専門病院で診てもらった方が良いとのことで、今回入院した病院で検査した結果、1月初旬に病気が見つかり、それから半年、やっとと言うか、人事異動や散ドラ退団などもあったので、あっと言う間と言うか、とにかくその時がやってきました。

  

 

6月6日(月)
入院は昼過ぎでした。場所が入院するにはあまり似つかわしくない都心のお洒落な場所だったので、これから入院するとはとても思えない感じでした。

 

↓ 病院の談話室からの景色です。


人のお見舞いや倅の入院も経験しているので(「全治3~6ヶ月!」「手術終了!」)、入院の様子も何となくは分かりますが、すべてを経験したわけではないので、やはり緊張します。

 

昼過ぎに入院手続きして、部屋(5人部屋)に案内され、看護師から簡単な説明を受け少ない荷物を整理してしまうと、あとはすることもありません。カミさんとベッドに腰掛けていると、隣室から何やら音がします。かなりの音量のいびきです。カミさんもすぐに気づいたようで、二人で顔を見合わせます。

 

すぐに二人で売店に向かい購入したのが、こちらです ↓ 。


 

そうです。耳栓です。入院生活では、テレビ、スマホ、本などが、重要なグッズでしたが、一番役に立ったのは、この耳栓かもしれません。隣室の方は私の一日前の入院だったので、6日間のおつきあいでしたが、その間、この耳栓は大活躍でした

 

カミさんもほどなく帰り、ピンピンしているのに、パジャマに着替え、執刀医さんの挨拶、薬剤師からの説明や事務担当に診断書を依頼しただけで、この日は本を読んだり、テレビを見たりして、終了。なかなか寝付けず、夜中も何度も目が覚めました(環境変化への戸惑い)。

 

 

6月7日(火)

入院中のルーティンは、朝昼晩の検温、尿・便の回数の記録です。この日もそうしたルーティンの他は、執刀医が簡単な検査をしたり、手術室の看護師が来て、チェック表に従って質問したりというくらいしかなく、淡々と過ぎました。この二日間は、手術に向けての体調整備という位置づけで、タバコを喫う人は禁煙しなければなりませんし、私もそれまでの宴席続きが嘘のように禁酒二日目です。これって、お酒を飲むようになって初めてのことじゃないかと思います。

 

午後の面会時間に来たカミさんが帰ってしまうと、することもなく、本、音楽、テレビのローテーションです。12時自室の消灯後、この日もなかなか熟睡とはいかず、2時間おきくらいに目が覚めましたが、初日よりはましでした(少し適応)。

 

 

6月8日(水)

いよいよ手術の日です。前日の21時以降は禁食なので、朝食はありません。また、8時以降は飲むのも禁止です。この日は、カミさんと新入社員の娘が休みをとって来てくれました。しかし、午前中に手術室に入室予定なので、話も早々にこちらは準備に入ります。

 

バースショーツという頼りない手術用紙パンツだけを履いて、手術着と帽子をかぶりスタンバイです。時間になって呼ばれると、看護師さんと一緒に歩いて、手術室に移動です。手術室に入ると、専門病院だけあって、ベルトコンベアーのように鮮やかな手際で、テキパキと準備が進められ、印象としては、入室して5分後には記憶がない感じです。全身麻酔で当然手術の記憶はありません。ここまでは良かったのですが、問題はその後です。

 

気がついたのは、3時間後くらいの病室です。たぶん、手術室で反応はしていたのでしょうが、記憶があるのは、病室に移された時です。ここでは、口には酸素マスク、胸に心電図、右上腕に血圧計、左腕に点滴、両足には血栓防止の間欠的空気圧迫器、左指先には脈拍計を挟まれ、ナースコールを握らされてと、がんじがらめの状態です。この状態で3時間安静にしなければならないのですが、これが辛かった。。。

 

というのも、手術中の姿勢のせいで、首の後ろがとても痛く同じ姿勢をとるのがとてもつらい上、喉にもつばなどがからみ、じっとしているのが難しかったからです。寝返りは打っても良かったのですが、横になっても首の痛みは変わらず、ここからは時間との闘いでした。じっと我慢しては時計を見ての繰り返しでしたが、遅々として時間は進みませんでした。地獄の3時間でした。その上、私の病室は談話室と隣り合わせで、私の場所は入口近くだったので、ちょうど面会時間真っ最中で談話室のけたたましい声が響いてきて、弱った身体にこたえます。カミさんを通じて、看護師さんに部屋の扉を閉めてもらうまで、本当に心身ともにきつかったです。

 

そして、時計を睨むこと数時間、17時過ぎにようやく点滴を除く各種機器が取り外されました。あわせて、看護師さんの助けを借りて手術着からパジャマに着替えるのですが、どうするのかと思っていたら、下着とパジャマのズボンを途中まで上げて準備し、それを自分で上にあげながら看護師さんがバースショーツ(紙パンツ)を引き抜くという方法で、うまいことやるなぁと感心しました。

 

こうして身体の自由がきくようになり、着替えてすっきりしたものの、事態は一向に改善しませんでした。手術中の姿勢に起因する首の後ろの痛みはまだ続いており、自由な姿勢をとれるようになっただけで状況は変わらなかったからです。この日一日中食事はありませんんが、とても食事どこではなく、空腹は感じませんでした。水は飲めるようになりましたが、これも最初はストローを使って恐る恐るでした。

 

七転八倒する痛みではないですが、じっとしていることが出来ないような、じんわりした痛みが続き、読書はもちろん無理ですし、音楽を聴くのも実は神経を使うのでとてもそんな気になれず、テレビで何とか気を紛らわします。しかし、自室の消灯後は、それも叶わず、暗闇の中でひたすら楽な態勢を探し悪戦苦闘しましたが、この夜はほとんで寝られませんでした(体調影響)。うとうとしそうになる瞬間もありましたが、夜中に3回くらい夜勤の看護師さんが様子を見にやってきてくれるので、結局眠りに落ちることはありませんでした。

 

 

6月9日(木)

前夜はほとんど寝られなかったものの、明け方に少しうとうとし、起きてみると、首の後ろもだいぶ楽になっていました。ほとんど寝ていませんが、手術中全身麻酔で寝ていたせいか、不思議と眠気はありません。食事も再開しますが、ここから丸2日間はうどんが1回あっただけで、基本的にお粥です。おかずが柔らかいものから固形物、タンパク質と少しずつ変わっていきました。

 

この日は、朝から検温・血圧測定・採血をし、薬をもらい、執刀医の回診もあり、術後の生活がスタートしました。お昼で点滴も抜け、午後には身体を拭いて少しさっぱりしました。本を読む気力も戻り、夜は何度か目が覚めたものの、そこそこ寝られました(体調回復と適応)。

 

 

6月10日(金)

午前中には、傷口から血を抜いていた管(ドレーン)を抜いて、身体には何も付いておらず、ようやく本当に身体が自由になり、午後には下半身シャワーを浴びることができました。夕方にはパジャマ姿のまま下の階の外来に検査に行き、異常なしの診断。

 

病室には新しい患者が二組入院し、家族も一緒に来ているため、賑やかでした(手術直後の弱っている時期だったら、たぶん「うるさい」と表現していたと思いますが、だいぶ回復に向かっていたのだと思います)。この夜は、ほとんど起きずに結構寝ることが出来ました(適応)。

 

 

6月11日(土)

起床直後の談話室からの景色です。だいぶ体調が回復し、気持ちが外に向かいます(手術前や手術直後は、あまり談話室には来ていませんでした)。

 

朝一で、採血がありましたが、後は執刀医や看護師、薬剤師から、退院後の説明を受けるなど、どんどんベクトルが退院後の方に向かいます。

 

日曜日は会計が出来ないため、午後にはカミさんが来て、会計を済ませます。また、娘と倅も見舞に来てくれました。

 

この日は、隣室の患者が退院し、嘘のように病室が静かになりました。入院以来大活躍だった耳栓をせずに初めてゆっくり寝られると思いましたが、今度は静かすぎるのがかえって気になり、またまたよく寝られませんでした(周囲の環境変化への戸惑い)。

 


6月12日(日)

そして、いよいよ退院の日です。曇り予報でしたが、晴れで良かったです。支払も済んでいるので、本当にもうすることもなく、朝食を食べたら退院していいのですが、カミさんが来るというので、カミさん待ちです。ラグビー日本代表のカナダ戦を見終わっても、テレビカードの残数がまだ少し残っていたので、テレビをつけたままにして見るともなしに見てカードを使い切ったあたりで、カミさんが到着したので、ナースセンターに挨拶し、10時過ぎに退院しました。

 

金曜日あたりからは体調はだいぶ良いと思っていましたが、いざ病院から娑婆に出てみると、結構身体がフラフラしました。やはり、1週間引きこもっていた影響があるのだと思います。大抵の人は退院後1~2週間休むそうですが、そこまでではなくても、明日からいきなり出社というのは無理そうなので、会社には木曜日くらいから出社すると連絡しました。

 

1週間ぶりの帰宅も特別な感慨はありませんでしたが、やはりちょっと疲労感があったからかもしれません。夕方にはリハビリを兼ねてクロの散歩に行きました。お医者さんからもどんどん動いて良いと言われており、必要なのは体力を戻すことですから、明日からしっかりリハビリせねばと思います

 

 

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2週間あまり。

2016年06月02日 21時25分00秒 | 管理人のこと、雑感

今日は16日ぶりの休みでした。特に仕事が忙しかったというわけではないのですが、何やかやと用事が入るため、丸々休むわけにはいかなかった結果です。この間、公私両面の宴席も多く、そういう意味ではハードな毎日でした。

 

世の中には、もっと過酷な就労環境で働く人がいるのが実態ですし、バリバリの営業職の夜の宴席も私の比ではないと思いますが(私の宴席は営業職のそれとは違いますが)、これまで比較的規則正しく休み、夜の宴席もほとんどなかった私としては、大きな環境変化です。

 

その上、散ドラも卒団し、ジョギングも実質的に休止状態なので、休みの過ごし方も困ります。おまけに、今日は昼頃に銀行関係で手続きしなければいけないことがあったので、どこかに行くわけにもいかずに、せっかく休日も何事もなく過ぎていきました。今後の過ごし方を何か開発しなければとも思うのですが、いつ休めるかも分からない感じだと、なかなかそうしたモチベーションも働きません。

 

そんな感じだったので、この2週間あまりは、好きなスポーツをTV観戦することも、結果をフォローすることもあまりできませんでした。そんな中でも、ニュースなどで目にして記憶に残っているのは、以下のようなニュースです。

 

・東京大学が勝ち点こそ挙げられなかったものの3勝目をあげたこと。

 

・早実清宮幸太郎が松商との招待試合で高校通算47本塁打を放ったこと。卒業まであと1年以上を残し、一体何本本塁打を放つのでしょうか。

 

・怪物・大谷翔平がパシフィックの試合で投手として先発し、打者としても出場し、投打ともに活躍したこと。そして、打者としても昨日まで13試合連続安打を放っていること。

 

・控えである42歳のイチローが連続先発し、マルチ安打を連発し、メジャー3,000本安打に着実に前進していること。

 

などでしょうか。やはりこんな状況だと、突出した選手や、意外性がある、劇的な結果しか記憶に残りませんね。

 

そして、そんな中、交流戦が始まりました。昨年の交流戦では、パシフィック・リーグが圧倒し、セントラル・リーグは一時全チームが負け越しという不名誉な状況になりました。出足は互角のようですが、今年はどうなりますか。

 

そして、明日は続いていた宴席の最後の回です。その数日後から、入院する予定なので、今度は逆に1週間程度酒抜きの生活になります。大人になってからはなかった経験なので、ちょっと想像がつきません。入院本来の目的よりも、肝臓が健康になりそうです

 

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