4年前の夏、佐賀北と広陵の決勝戦は見たはずですが(「筋書きのないドラマ…高校野球」)、恥ずかしながら試合展開についてはよく覚えていません。予想外に勝ち進み資金が足りなくなって困っているということや、公立らしい質素な施設などが報道され、そちらの方がよく記憶に残っています。桑田・清原のKKコンビ、松井の5敬遠、松坂対PL学園の死闘、斎藤佑樹対田中将大の死闘など、どうしても素人は絶対的なエースや四番に目がいってしまいます。
しかし、野球はやっぱりチームスポーツだということを思い知らせてくれる一冊ですし、世間が言っていたような「公立高校ならではの伸び伸び野球」なんかではないことも、かと言って、優勝がまぐれなんかではなかったこともよく分かる一冊です。そして、ここに書いてあることが正解とは言いませんが、指導者にも、高校球児にも非常に得るところのある一冊ではないかとも思います。
百崎監督は、私が思っていたイメージとはまったく違いました。私も大方の世間の人と同様、あまり厳しいことは言わず、自主性に任せる温厚な監督だと思っていました。ところが、豈はからんや、厳しく(を通り越して怖い存在で)、生徒に隙は見せず、でも冗談は好きで、生徒との個人日誌を通じて徹底的にコミュニケーションをするという、豪放磊落なタイプが多そうな高校野球監督の中では、異色なタイプのように感じます。もっと言えば、子どもには分かりづらいなかなか複雑な性格なようです。
でも、野球が誰よりも好きなことは分かります。先生としても優秀なようですが、一刻も早く練習にいくために、最後のホームルームはカットしたりと、野球に注ぐ情熱は職業監督と変わらないか、それ以上です。それと、生意気な問題児タイプも嫌いじゃないクールな百崎監督と素直で従順なタイプが好きな熱血派の吉富部長の組み合わせも良かったのかもしれません。
いずれにしても、いくつかの条件が重なった幸運があったかもしれませんが、そうした幸運を招き寄せるのも、決して偶然ではなく、優勝という結果も決して偶然やまぐれではないということをこの本は教えてくれます。佐賀北は公立ながらスポーツ推薦枠もあり、世間で思っているような公立高校のイメージと違うことや、過密日程の試合運営を円滑にするために、甲子園ではストライクゾーンが明らかに広いということ、決勝では佐賀北の明らかなホーム状態になり、主審の判定が佐賀北寄りになっていたという見方があったことなどの裏話も書かれていますが、著者が言っているように、それで佐賀北の優勝の価値が下がるとは、私も思いません。
やはり、野球って人間がやるもので、だから面白く、正解もなく、これで終わりっていうものもないのだということがよく分かります。以下、読んでいて、本に折り目をつけたところの要約です。
「運は宿命的なものだと思っていたが、全員でひたむきに戦う姿勢を見せれば、ベンチも、スタンドの空気も変わり、相手チームもミスをしたりする」
「試合に向かう時のルールは、寝てはいけない、騒いではいけない、音楽も漫画もダメ。弱い時は大抵行きのバスで騒いだり、寝ていたり、緊張感がないもの。そのかわり帰りのバスでは力を使い切って寝静まっていなければおかしい」
(帝京戦の勝因の一つに挙げられる、送球までの速さと正確さがプロ並みだった捕手市丸の言葉)「普段から持ち替えの練習はしていたし、わしづかみでもコントロールできる。肩の強さは関係ない。ベース上に放れば山なりでもアウトにできる」
「シーズン真っただ中で、ただでさえ練習時間も短いのに、毎日1時間近くトレーニングに時間を費やすのはセオリーに反するように見えるが、夏は体力勝負になるため、選手に不満があっても徹底してトレーニングを行った(それが甲子園での再試合や連戦の中でも戦えた要因)」
(日誌で不満をぶつけた選手に対する監督のコメント)「サインに不満を持つより、サインをしっかりこなす力をつけよ。何回も言う、我々は可能性を求めて様々な試みをしている。選手は監督、部長を信じて動く。その繰り返しから揺るぎない関係、攻撃ができる」
(監督と他校で監督の実績がある部長との関係について)「吉富が赴任すると決まった時に活かす方法を考え抜き、出した結論が任せるということだった。任せた以上は、ん?と思っても任せ、しっかりコミュニケーションをとる。頻繁にコミュニケーションをとっていると、翌日意見が逆になることもある。おかげで独りよがりになることがなくなった。」
「優勝で話題になって野球日誌を真似しようとする人もいるが、中途半端な気持ちだったらやめた方がいい。ありきたりなコメントしか書かなくなったら、向こうも手を抜く」
(かつて野球でも勉強でも非の打ちどころのなかった教え子が自殺してしまった時から)「選手の投票で尊敬できる人を選び、その選手を無条件でベンチ入りさせる新しい制度を設けた。野球でも、勉強でも、なんでもいいからがんばっていると思える人を選ばせ、亡くなった生徒が最後につけていた13番をつける決まりにした」
「その子のことがあるまで、きちんとした子を育てようとし、言うことに従わない子は認めなかった。しかし、ノートで監督を批判したり、ふて腐れて練習途中で帰ったりすることは、ムカっとするけど大したことではない。何も問題がないからいいわけじゃない」
(期待されながら秋、春と負け、夏の前哨戦となる市長旗大会を前に)「負けたら、三年生はユニフォームを脱げと厳命した。自分が監督になってから、その下でやりたいと入ってきた選手たちに厳しくしているようで、どこかで妥協していた。だからもう妥協は一切しないと決めた。かわいそうだなと思ったら見ないようにすればいい。信頼を失ってもいい、やれといったらやれと。鬼になろうと決めた。そこから甲子園まで一度も負けなかった。あれで選手も、監督も変わった」
「監督は口を出さずに自主性を尊重しているなどと言われたが、そんなことはきれいごとで、徹底して管理してチームを作ってきた。楽しんでやるなんて好きじゃない。練習中だって、殺気立って、死ぬ気でやれって言う。公式戦ではガミガミ言っても意味はないので、ニコニコしているが、そこだけ見ても分からない」
(部長の吉富が)「百崎先生はいろいろ制限する囲いは作る。でも、その中で自由にさせる。だから、うちは怒る回数は少ないけど、緊張感があり、統率がとれる。監督が常にガミガミいっているチームは怖くない」
(秋、春と勝てなかった頃)「ずっと見ていてくれている人から、昔はもっと相手にプレッシャーをかける野球をしていた、と言われて、ヒントになった。神埼の時は選手がいないから、役割分担をするしかなかった。佐賀北は選手層が厚いから、知らず知らずにスケールの大きなチームにと野球が変わっていた。役割分担をしっかりして、相手がバントをするとわかっていてもしつこくやるのが佐賀北の野球だった」
「佐賀北の取材では、高校野球にありがちな『監督を胴上げしたい』という種類の空気を感じなかった。百﨑は常々言う。この監督のためにってチームが羨ましくもあるが、俺のガラでもないし、無理だと開き直っている」
これが正しいとか、正しくないとかではなく、野球や生徒たちと真摯に向き合い、悩み、苦闘してきた一人の人間の記録として価値があると思います。
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