アイコンタクトという言葉があります。「目と目で通じ合う」というヤツです。テレパシーは科学的に証明はされていませんが、目(を含む表情)を読むということは、密接な間柄では不可能ではありません。犬などの動物がいろんな芸をしますが、これも飼い主の表情や声音を読んでいると言われています。むしろ、感情については、言葉よりもこうした表情の方が多くのことを伝えると言われます。
しかし、誰でもが「目と目で通じ合う」(表情だけで理解できる)わけではありませんし、感情ではない情報を伝達するには、表情だけでは困難です。だから、コミュニケーションには、「言葉」(声)が必要になるのです。その言葉をきちんと伝えるために、日頃の生活の中で、「挨拶」したり、「掛け声」を出すことで、自然に声が出るようになるのです。だから、挨拶しよう、声を出そうと言っているのです。挨拶や掛け声は、無駄な用ではありません。
そして、先日の練習で、凡打で走らない部員がいました。滅多にエラーしないプロだってチンタラ走れば怠慢プレーですし、ましては途中までしか走らなかったら、罰金ものです。凡打を打って走ることに意味がないなら、実力が劣るチームが上位チームと試合をすることだって意味はありません。散ドラは試合なんてしなくていいということになってしまいます。
性格の違いで、失敗を恐れず積極的に行動するタイプと、失敗を恐れ慎重に行動するタイプとがあります。状況や役割で求められるものが違いますから、慎重派が一概にいけないとは言えません(私自身、慎重派です)。しかし、それが昂じてがむしゃらにやることが格好悪いと思ったり、やるべきことをしないというのは、明らかに間違っています。
こうしたことも、いくら言ったところで、自分自身が気づかなければまったく意味はありません。何とか自分自身のために、一見無意味に見えるプレーの大切さに気づいてほしいものです。
一球一球の打球にきちんと反応するから、いざ自分のところに飛んできて反応できる。いくらエラーをしなくても毎回毎回きちんとカバーするから、いざエラーをした時にきちんとカバーできる。すべての打席で全力疾走するから、滅多にないエラーで出塁できたり、逆にエラーや内野安打を誘えたりするのです。
世の中に雑用はありません。雑にしたものが雑用になるだけです。
今日のジョグ
電車の遅延でお休み。