鎌倉市材木座に浄土宗の関東大本山、関東十八檀林の第一位の寺として栄えた「天照山光明寺」(蓮華院)はある。創建(伝)は寛元元年(1243)。本尊は阿弥陀如来。開基以降浄土宗が関東以北に広がる礎となり、江戸期には徳川家康が浄土宗の「学問所」として関東の寺院を十八壇林と定め光明寺をその筆頭にしたことで大いに栄えた。朝廷との関係も深く「山門」には後花園天皇直筆と伝えられる「天照山」の額が掲げられている。境内にはまず「総門」、そして正面に鎌倉最大の規模といわれ弘化4年(1847)の再建。鶴岡八幡宮から移築された壮大な構えの「山門」、その奥正面に元禄11年(1698)の建立、入母屋造、銅板棒瓦葺きで間口奥行ともに約25メートルの鎌倉地方では最大級の「本堂」がある。本堂の左横に「開山堂」、その前に「善導大師像」、「記主庭園と大聖閣」、本堂右前に「鐘楼」、本堂右側の回廊より「三尊五祖の石庭」を見ることができる。「客殿」、「庫裏本坊」、「書院」、「寺務所」からなる。「繁栄稲荷社」の奥には延岡藩歴代藩主、その正室など200基以上の石塔が立つ「内藤家墓所」がある。当寺は鎌倉三十三観音18番、鎌倉二十四地蔵22番札所である。また東国花の寺百ヶ寺 鎌倉2番。当寺は建長寺、円覚寺、遊行寺と並び鎌倉最大規模の大寺寺院(鎌倉四大寺)の1つに列させられている。その寺域の広さと言い、国宝、重文級の文化財といい、数々の重厚な伽藍には大寺に相応しい風格が漂う。記主庭園に咲くハスは「かながわの花の名所100選」に選ばれたハスの花の名所で、来月には「観蓮会」のイベントも開催される。(1706)










