相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

武相総鎮護「座間神社」へ初詣・初祈願!!

2021-01-05 16:32:31 | 神社
正月三が日も過ぎ昨日4日は証券取引所の「大発会」であったが波乱の下落でスタート、また今日から一般企業も「仕事始め」と2021年もコロナ禍の中、感染拡大防止策として今週末にも「緊急事態宣言」が発出かと言われている中で動き始めた。また正月三が日の神社仏閣への初詣も一都三県の新規感染者が増加の一途を辿っていることから三が日は控えるようにのアナウンスが効いたのか明治神宮、川崎大師も大幅に少なかったようである。相模太夫も例年元日に詣でる「座間神社」は蜜、混雑が予想され本日の参拝となった。2日の南台「二宮神社」についで二か所目である。初詣の梯子(はしご)の慣習は江戸時代からあったようで、神様は「八百万(やおよろずの)の神」、仏教も最高位のお釈迦様や他の多くの仏様はそれぞれ役割が違うから大いに参るべしという。焼きもちを焼くことはないと。明治初期まで神様が仏様を守る、神様も仏様も同じような存在と考える「神仏習合」が続いたくらいである。「七福神めぐり」は7ヵ所の神社やお寺を巡り、「三社参」は自分が住む地域の3ヵ所の神社を巡るものである。今日詣でた「座間神社」は座間市座間に湧水の豊富な座間市民の飲料水の源を有し、遠く大山、丹沢連峰の山並みを仰ぎ、近くは相模の母なる川「相模川」を一望でき、また四季を通して草花の咲き乱れる座間公園に隣接する風光明媚の名勝地に鎮座している。「武相総鎮護」「相模の飯綱様」として親しまれており、凡そ1500年前、欽明天皇の頃創建(伝)の座間の古社である。祭神は日本武尊。古事記に「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」とある。6千坪という広大な神域、境内にはまず「一の鳥居」「二の鳥居」「三の鳥居」が構えられており、「三の鳥居」から本殿へ続くやや勾配のある石段(参道)が続く。上り切った正面に「本殿」がある。右に社務所と鐘楼、ご神木として樹齢300年の「椎の木」がある。また境内社(寄宮)として天神社、伊奴寝子社(かつては在蚕神社)、明王社、浅間社、山王社、道神社、飯綱稲荷大明神が祀られている。さすがに正月も5日目、参拝者はまばらであった。(2101)
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「まちだのデゴイチ(D51)」を撮る!!

2021-01-05 09:54:20 | 蒸気機関車
町田市中町2丁目(さるびあ図書館脇)に「まちだのデゴイチ」として「D51型862号蒸気機関車」(通称デゴイチ)が展示、静態保存されている。D51形蒸気機関車は日本国有鉄道の前身である鉄道省が設計・製造した「単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車」である。主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産され国鉄における所属総数は1,115両、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。町田の「D51」は昭和18(1943)11月JR浜松工場で製造され、長野県木曽福島機関区を中心に走行、貨物列車の牽引車として活躍した。何回も塗装を繰り返しているせいか表面は車歴を感じるようにごつごつしている。全長は19,730 mm、全高は3,980 mm、機関車重量は78.37 t、炭水車重量は47.40 t、総重量は125.77 t、動輪径は1,400 mm。(ウィキペディアより)総走行距離は180万Km。約28年後の昭和46年(1971)8月に役目を終え、廃車となり現役を引退した。次世代の人々にその姿を伝えたいという市民の熱意と国鉄関係者の理解により昭和47年(1972)4月に国鉄から町田市へ貸与され、同年5月から当地へ展示された。この「デゴイチ(D51)」には正面からみた形状が最上部が平面にカットされて「カマボコ形」であること、先頭部の両脇に設置された「除煙板」があるという2つの特徴がある。普通は車輪の上部あたりまで伸びている板が当「D51」は上の方にある。歴史遺産として希少な存在の「蒸気機関車」は1972年から屋根付きの特別スペースで展示保存され見学来場者を待っている。(2101)
 
 
 
 
 



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする