相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

下鶴間宿に江戸幕府の取り締まり公示の「高札場」

2021-01-24 10:00:18 | 史跡・遺跡
下鶴間の「ふるさと館」(旧小島家住宅)の前に古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させた「高札場」(跡)がある。「高札場」は幕府や領主が決めた「法度」や「掟書」など記載した「木の板札」である。情報伝達手段の一つで今風に言えば掲示板であろあか。高札場の形・大きさは、高さが約3mから4m、間口は約3mから5m、風雨を防止に屋根が設けられていた。神奈川県の東海道では9つの宿場に各1ヶ所ずつ「高札場」があり、いずれも江戸から京都に向って各街道の右側に設置され、幕府の権威を示すように石垣や土盛の上に建てられ柵をめぐらせられた。東海道ではないがここ「矢倉沢往還」は、江戸から三島へ至る街道で「大山街道」、「富士道」と呼ばれ、ここ鶴間は交通の要で「宿場」が置かれた場所でもある。そこに建てられたのが「下鶴間宿 高札場」である。3つの板面には右から慶応4年太政官高札「徒党、強訴、逃散の禁止」、中が慶応4年太政官高札「キリシタン禁止」、左が明治3年の太政官高札「犯罪者通報」を公示したものである。こうして今でも多くの「高札」が残っているが幕府は当時「高札場」の管理を藩に厳命した。その為「高札」一つ捨てるのも大変だったため多く残っているようである。「高札場」は各宿村間の里程測定の拠点ともされ距離を表示する時の原点となっており集落の単位にもなっていた。(2101)
 
 
 

 



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坂下の毘沙門天と呼ばれる「大徳山潮音寺」

2021-01-24 09:36:35 | 寺院
小田原市久野に小田原七福神の一つ毘沙門天を祀ることから「坂下の毘沙門天さま」と呼ばれている曹洞宗寺院の古刹「大徳山潮音寺」はある。創建は天文23年(1554)。本尊は聖観世音菩薩。当時はこの辺りまで海の音が聞こえ潮の香りが風に乗って漂ってきたことから「潮音寺」とした。小田急線足柄駅より数分のところに構えられた「山門」「寺号標」を抜けると平和観音像、参道両側に「毘沙門天」の赤い幟がたなびく階段を上ると正面に入り母屋づくりの「本堂」がある。内陣中央に釈迦牟尼仏と本尊の観世音菩薩を祀っている。本堂左側に「鐘楼」と堂内の中央に毘沙門天、脇侍として吉祥天と禅尼子童子の尊像を祀る「毘沙門堂」がある。毘沙門天は北方を守護するインドの神で財宝、智慧福徳を授け仏法加護の天王として篤い信仰を集めている。(2001)
 
 
 
 
 
 
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