町田市野津田町に「新東京百景」、「日本の歴史公園100選」、「東京都指定名勝」に指定され町田を代表する公園「薬師池公園」はある。七国山に隣接しており谷戸地形を生かした園内中心部に池が配され古民家、植物園(万葉草花苑)があり、その周りに梅、桜、新緑、菖蒲、アジサイ、大賀ハス、椿、藤の花々が咲き乱れ、そして今の紅葉と四季を通じて色んな花、木々の植物で彩られる。当園はモミジ、ニシキギ、サクラなどが一斉に色んな色に色づき四季の中で最も華やいだ紅葉景色を創り出す。秋のまちだを彩る紅葉を主役とした「紅葉まつり 2017」が12/3まで開催されている。見所はしょうぶ園の一番奥、薬師堂の手前のイチョウ、薬師池まわり、やくし茶屋そばのモミジ、桜などの紅葉で、ついついうっとりしてしまうほどの幻想的な美しさである。(1711)
熊本・人吉市土手町に大本山總持寺の直末寺で「幽霊寺」の異名で知られる曹洞宗寺院「蓬莱山永国寺」はある。創建は応永15年(1408年)、17年(1410年)ともいわれ600年の寺歴を誇る古刹である。人吉・球磨地域の曹洞宗寺院16箇寺の本寺で人吉城主相良家と所縁がある。本尊は釈迦如来。当寺は明治10年の西南戦争の際「西郷隆盛の本陣=本営」を置いた。人吉駅より人吉橋(球磨川)を渡り進むと右側に「山門」、「鐘楼門」があり正面に明治24年(1891)に再建の「本堂」がある。本堂内の左側には実底超真和尚が描いた「幽霊の掛け軸」が掛けられており説明の録音が流れている。本堂周りには「秋葉大権現」、千手千眼観音を安置する「千手観音堂」、「開山堂」、「庫裡」、「書院」が建ち並ぶ。寺の背後には掛軸にも描かれている幽霊が出たという池がある。また「人吉二番隊士の碑」や「西郷隆盛先生之遺跡の碑」、五重石塔(現在四重)、人吉・球磨地方で最も古い在銘重層石塔 、千人塚石塔(耳塚)、海軍大将山本英輔書、人吉二番隊士の碑が建っている。当寺は肥後三十三観音第9番札所で御詠歌は「ゆふつく日入る山の端をなかくにの つゐのすみかと兼てしるべし」。(1711)
あと3日で師走、いよいよ秋も深まり木々たちが朱、黄の葉を纏うように紅葉・黄葉に彩られている。当麻に「時宗」の旧本山であり古くは「当麻道場」で11ケ寺の末寺を擁していた一遍上人ゆかりの寺院「当麻山無量光寺」はある。創建は弘長元年=1261、本尊は一遍上人。紅葉が一際美しい当寺は毎年訪れる寺院の一つである。重厚な構えの「外門」より石畳の参道の先にある「山門」を抜けると深い木立の包まれた境内には「経堂」、「東権現」の建造物、「芭蕉の石碑」、「徳本念仏塔」、「歴代廟所」、「御影の池」、「御髪塚」、「笈退の泉」、「金光院の跡」がある。紅葉は美しいのは「庭園と池」、「本堂」横の「一遍上人像」、「鐘楼」の周りである。カエデ、モミジ、落葉樹が深紅に、真黄、橙色に染まって境内全体が七色のグラデーションとなっている。(1711)
相模原市南区下溝に都市公園の一つで市民の憩いの場となっている「県立相模原公園」はある。当園の目玉は何といっても噴水広場の中央にあるフランス風庭園の両サイドに並んだ100本の「メタセコイアの並木」である。「生きた化石」と言われ和名は「曙杉」である。10日前に訪れた時は、まだ全体的には緑色で各所に薄いオレンジ色に色づき始めていたが、今日は全体が茶褐色に色づきはじめ完成間近である。青空に向かってまっすぐ伸びる相模原公園のシンボル「メタセコイア」もう数日すればも真赤に染まり、幻想的で壮観なメタセコイアの並木姿を見ることができそうである。雄大なシルエットが噴水広場の水鏡に映し出されていた。(1711)
各地で紅葉見頃の報せ、霊峰「雨降山」を望む緑豊かなここ新戸に建長寺の末寺、曹洞宗寺院「本鏡山常福寺」はある。創建は約700年前、本尊は釈迦如来である。春は桜、秋は紅葉と年に2期間にわたって寺域=境内は美しく彩られる。境内に入る石段の前には樹齢400年を越える古木「しばの木」が聳え悠久の時を刻んでいる。当寺は禅寺として江戸時代には「寺子屋」を開き、当地の学問の中核をなしていた。山門前にある数本の「モミジ」も赤く色づき始め華やかな錦秋の世界を創り始めている。紅葉、枯山水の庭園、本堂横の竹林と四季の移ろいが感じられる。(1711)