1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故を受けて地元紙の日航全権デスクに指名された40歳の社会部遊軍記者悠木和雅が、社内の派閥対立、利権、嫉妬に翻弄される姿に、翌日共に谷川岳の衝立岩を登る約束をしていたが倒れ植物状態となった同僚への思い、その同僚の家族や軋んだ自らの家族との関係の模索、直前に死なせてしまった部下の家族の恨みなどを絡め、新聞記者の生き様を描いた社会派人生小説。
社内に確固とした人脈がなく、部下を死なせたことから部下を持たぬ身を選んで遊軍でいた中年記者が、いきなり人を束ね指揮することの難しさ、組織の論理というか病理で潰され、部下の渾身の原稿も活かせず部下の失望と上の嘲りに挟まれ、孤軍奮闘する悠木の姿、前半はそういった絶望的で露悪的な進行です。その悠木が遺族の姿を見て迷いを吹っ切り、足を引っ張られても叩かれても前に進もうともがく姿に、いつしか社会部がまとまっていく姿が、静かな感動を呼びます。もちろん、そうきれいな進行ではありませんが。
最終段階で悠木の運命を左右する、悠木の部下の遺族の感情的で他人の心情を逆なでする投書の掲載をめぐるエピソードで、作者が俎上に載せた「大きな命と小さな命」というテーマに加えて、遺族・被害者の声ならばマスコミはそのまま採り上げればよいのかという問題を考えさせられます。遺族・被害者が、ましてやこの作品では20歳の若い遺族が、感情的に言いたいことを言うのは自由だしそれでいい。でもマスコミはただそれを流し続けるべきなのか、それが遺族・被害者の声だからというだけの理由でマスコミはそれを正当化できるのか・・・。
日航ジャンボ機墜落事故は、あくまでも新聞社内部や記者の生き様を描く材料となっています。遺族や関係者には、事故を娯楽の材料にして・・・という思いを持たれるかも知れません。そのあたりはもう少し配慮があった方がよかったかと思います。
作者自身が事故当時地元紙上毛新聞の記者だったため、新聞社内部の描写は極めてリアルで生々しい。7月には映画も公開されます。楽しみです。

横山秀夫 文藝春秋 2003年8月25日発行
社内に確固とした人脈がなく、部下を死なせたことから部下を持たぬ身を選んで遊軍でいた中年記者が、いきなり人を束ね指揮することの難しさ、組織の論理というか病理で潰され、部下の渾身の原稿も活かせず部下の失望と上の嘲りに挟まれ、孤軍奮闘する悠木の姿、前半はそういった絶望的で露悪的な進行です。その悠木が遺族の姿を見て迷いを吹っ切り、足を引っ張られても叩かれても前に進もうともがく姿に、いつしか社会部がまとまっていく姿が、静かな感動を呼びます。もちろん、そうきれいな進行ではありませんが。
最終段階で悠木の運命を左右する、悠木の部下の遺族の感情的で他人の心情を逆なでする投書の掲載をめぐるエピソードで、作者が俎上に載せた「大きな命と小さな命」というテーマに加えて、遺族・被害者の声ならばマスコミはそのまま採り上げればよいのかという問題を考えさせられます。遺族・被害者が、ましてやこの作品では20歳の若い遺族が、感情的に言いたいことを言うのは自由だしそれでいい。でもマスコミはただそれを流し続けるべきなのか、それが遺族・被害者の声だからというだけの理由でマスコミはそれを正当化できるのか・・・。
日航ジャンボ機墜落事故は、あくまでも新聞社内部や記者の生き様を描く材料となっています。遺族や関係者には、事故を娯楽の材料にして・・・という思いを持たれるかも知れません。そのあたりはもう少し配慮があった方がよかったかと思います。
作者自身が事故当時地元紙上毛新聞の記者だったため、新聞社内部の描写は極めてリアルで生々しい。7月には映画も公開されます。楽しみです。

横山秀夫 文藝春秋 2003年8月25日発行