鎌倉時代中期の旅芸人叉香、家族を武者に皆殺しにされて落ちのびた元農民いぬ、西域に生まれ禅僧とともに渡来してさすらう行者沙依拉夢、北条に攻め滅ぼされた三浦一族の残党で復讐に燃える武者らの生き様を交差させながら、中世の庶民の悲惨さとしたたかさを描いた小説。
唄いを売りながら客の要望で夜伽もしたり、山賊にさらわれたりしながらも、その場その場で運命を受け入れつつ、人生は遊びと割り切っていく叉香と、家族を殺されてうちひしがれ、仇討ちのみを心の支えに思いつめていくいぬを対照的に描きつつ、その2人が心を寄せていく様子が読みどころです。
そして、前半若干冗長さを感じますが、高僧の言動に一面では正しいと思いつつも、結局は権力者のためだけの教えではないかと違和感を感じて独自の道を歩む沙依拉夢が別のストーリーを加えて絡みます。沙依拉夢の庶民指向と、それでもなお求めてきた道が破綻して自分の独善を悟ったときに、庶民の女の姿に教えられるのも、心地よく思えます。
私たちが歴史を学ぶとき、支配者側の記録しか学ばず、武家の世として知る鎌倉時代が、横暴な武士の下で庶民がいかに辛い思いをさせられてきた時代だったかを考えさせられます。とりわけ、いぬが平和に暮らしてきた村を武者に蹂躙されて落ちのび、子どもも失って生きる気力もなくなっていたところへ、10年近くが過ぎて夫が山賊として生き延び武者への復讐を続けてきたことを知って山を越えて会いに行ったらその直前に縛られているところを仇の武者に斬り殺されて会えなかったというシーンなど、あまりにも哀しい。この武者もまた一族の仇討ちに執念を燃やしているわけですが、それでもどうしてもこいつだけは斬り殺して欲しいと思ってしまうほど。
ただ、庶民の生き様と思いがメインストリームであると同時に、最高権力者の北条氏も高僧も無傷で進むのが、釈然としない思いも残ります。
坂東眞砂子 集英社 2008年5月30日発行
唄いを売りながら客の要望で夜伽もしたり、山賊にさらわれたりしながらも、その場その場で運命を受け入れつつ、人生は遊びと割り切っていく叉香と、家族を殺されてうちひしがれ、仇討ちのみを心の支えに思いつめていくいぬを対照的に描きつつ、その2人が心を寄せていく様子が読みどころです。
そして、前半若干冗長さを感じますが、高僧の言動に一面では正しいと思いつつも、結局は権力者のためだけの教えではないかと違和感を感じて独自の道を歩む沙依拉夢が別のストーリーを加えて絡みます。沙依拉夢の庶民指向と、それでもなお求めてきた道が破綻して自分の独善を悟ったときに、庶民の女の姿に教えられるのも、心地よく思えます。
私たちが歴史を学ぶとき、支配者側の記録しか学ばず、武家の世として知る鎌倉時代が、横暴な武士の下で庶民がいかに辛い思いをさせられてきた時代だったかを考えさせられます。とりわけ、いぬが平和に暮らしてきた村を武者に蹂躙されて落ちのび、子どもも失って生きる気力もなくなっていたところへ、10年近くが過ぎて夫が山賊として生き延び武者への復讐を続けてきたことを知って山を越えて会いに行ったらその直前に縛られているところを仇の武者に斬り殺されて会えなかったというシーンなど、あまりにも哀しい。この武者もまた一族の仇討ちに執念を燃やしているわけですが、それでもどうしてもこいつだけは斬り殺して欲しいと思ってしまうほど。
ただ、庶民の生き様と思いがメインストリームであると同時に、最高権力者の北条氏も高僧も無傷で進むのが、釈然としない思いも残ります。
坂東眞砂子 集英社 2008年5月30日発行