1978年春の入試で東大を受験する山下幸司が受験前にさまよい歩いた山谷で知り合った手配師からもらった名刺を試験中にポケットから出してカンニングを疑われて失格し、うちに帰れず山谷を放浪するが仕事にもあぶれ、名刺を頼りに連絡して福井県の原発に作業員として送り込まれ、その後沖縄の山奥での道路工事の作業をする中で、底辺の労働になじんで行く様子を描いた小説。
冒頭の1978年春の大学受験という設定に、その当事者であった私(受験した大学は違いますけど)はまず引き込まれ、次いで、しかし私とは年齢が明らかに違う作者がどうしてその年に設定したのかという疑問を持ちました。単行本の小説につけられた仰々しいあとがきに、「この作品では『原発ジプシー』というすばらしいテキストを借りて底の底から日本を描き」とある(350ページ)ように、前半の原発でのエピソードと描写は『原発ジプシー』からほぼそのまま持ってきています(以下『原発ジプシー』のページ数は現代書館の単行本旧版:「増補改訂版」でないもので示します。手元にある本がそれなもので(^^ゞ・・・増補改訂版や文庫本ではページ数が違うかと思います)。ホールボディカウンターでの測定のエピソード(100~101ページ)は『原発ジプシー』23~26ページ、熱交換器での作業(105~109ページ)は『原発ジプシー』30~36ページと46ページ、放射線管理教育(110ページ)は『原発ジプシー』43ページ、食堂の差別のエピソード(120ページ)は『原発ジプシー』74ページ、ピンハネの話(122ページ)は『原発ジプシー』84~85ページ、管理区域入域のエピソード(123~124ページ)は『原発ジプシー』76~80ページ、プール内作業の説明(124ページ)は『原発ジプシー』67ページ、洗濯と赤ランプのエピソード(125~127ページ)は『原発ジプシー』114~116ページ、使用済み燃料ピット除去工事付属品除染・片付け作業とその際に水漏れの拭き取り作業もさせられたというエピソード(128~130ページ)は『原発ジプシー』101~105ページに、それぞれディテールまでほぼそのままのエピソードが書かれています。『原発ジプシー』の、この作品が「借りた」美浜原発でのエピソードはすべて1978年のエピソードで、原発での労働も時期によって条件が異なってくるため、この作品の時代設定は1978年になったのだと納得できました。いかに小説であり、あとがきで断っているとはいえ、ここまでディテールまでそのままということには、ちょっとあきれました。
この作品で作者は、「原発ジプシー」のエピソードをほぼそのまま書き並べて原発労働の過酷さを描きながら、他方で「原発反対を訴える人は、とりあえず自動車の運転をやめてほしい」(104ページ)、「正直なところ、反原発運動に対しても、僕は微妙な違和感を覚えてしまうのだ」(156ページ)などと主人公に語らせ、あとがきでは「同時に私は反原発運動とやらに邁進する人たち、とりわけ市民を自称する人たちにも言い様のない薄気味悪さを覚えさせられた」「ともあれ私の仕事は、正論を吐いて悦に入ることではない」(350ページ)と述べています。よほど反原発運動が嫌いらしく、あるいは自分が反・脱原発側と見られることを避けたいらしい。しかし、それなら、自分は1970年代から「原発ジプシー」に感銘を受け、原発を荒廃の象徴と考えてきたとあとがきで強調している作者が、30年以上もそのことを書かずに今になってこういう作品を書くのはなぜかと思います。リアリティがあり問題提起を感じる部分は『原発ジプシー』を「借りた」部分ばかりというきらいはありますが、それでも『原発ジプシー』を知らない人に感じさせるところはあるだろうと思われます(この機会に『原発ジプシー』を読んでもらえればもっと本物の感銘を受けられるでしょうけど)。せめてこういう言い訳がましいあとがきがなければと思いました。
花村萬月 角川書店 2012年9月30日発行
冒頭の1978年春の大学受験という設定に、その当事者であった私(受験した大学は違いますけど)はまず引き込まれ、次いで、しかし私とは年齢が明らかに違う作者がどうしてその年に設定したのかという疑問を持ちました。単行本の小説につけられた仰々しいあとがきに、「この作品では『原発ジプシー』というすばらしいテキストを借りて底の底から日本を描き」とある(350ページ)ように、前半の原発でのエピソードと描写は『原発ジプシー』からほぼそのまま持ってきています(以下『原発ジプシー』のページ数は現代書館の単行本旧版:「増補改訂版」でないもので示します。手元にある本がそれなもので(^^ゞ・・・増補改訂版や文庫本ではページ数が違うかと思います)。ホールボディカウンターでの測定のエピソード(100~101ページ)は『原発ジプシー』23~26ページ、熱交換器での作業(105~109ページ)は『原発ジプシー』30~36ページと46ページ、放射線管理教育(110ページ)は『原発ジプシー』43ページ、食堂の差別のエピソード(120ページ)は『原発ジプシー』74ページ、ピンハネの話(122ページ)は『原発ジプシー』84~85ページ、管理区域入域のエピソード(123~124ページ)は『原発ジプシー』76~80ページ、プール内作業の説明(124ページ)は『原発ジプシー』67ページ、洗濯と赤ランプのエピソード(125~127ページ)は『原発ジプシー』114~116ページ、使用済み燃料ピット除去工事付属品除染・片付け作業とその際に水漏れの拭き取り作業もさせられたというエピソード(128~130ページ)は『原発ジプシー』101~105ページに、それぞれディテールまでほぼそのままのエピソードが書かれています。『原発ジプシー』の、この作品が「借りた」美浜原発でのエピソードはすべて1978年のエピソードで、原発での労働も時期によって条件が異なってくるため、この作品の時代設定は1978年になったのだと納得できました。いかに小説であり、あとがきで断っているとはいえ、ここまでディテールまでそのままということには、ちょっとあきれました。
この作品で作者は、「原発ジプシー」のエピソードをほぼそのまま書き並べて原発労働の過酷さを描きながら、他方で「原発反対を訴える人は、とりあえず自動車の運転をやめてほしい」(104ページ)、「正直なところ、反原発運動に対しても、僕は微妙な違和感を覚えてしまうのだ」(156ページ)などと主人公に語らせ、あとがきでは「同時に私は反原発運動とやらに邁進する人たち、とりわけ市民を自称する人たちにも言い様のない薄気味悪さを覚えさせられた」「ともあれ私の仕事は、正論を吐いて悦に入ることではない」(350ページ)と述べています。よほど反原発運動が嫌いらしく、あるいは自分が反・脱原発側と見られることを避けたいらしい。しかし、それなら、自分は1970年代から「原発ジプシー」に感銘を受け、原発を荒廃の象徴と考えてきたとあとがきで強調している作者が、30年以上もそのことを書かずに今になってこういう作品を書くのはなぜかと思います。リアリティがあり問題提起を感じる部分は『原発ジプシー』を「借りた」部分ばかりというきらいはありますが、それでも『原発ジプシー』を知らない人に感じさせるところはあるだろうと思われます(この機会に『原発ジプシー』を読んでもらえればもっと本物の感銘を受けられるでしょうけど)。せめてこういう言い訳がましいあとがきがなければと思いました。
花村萬月 角川書店 2012年9月30日発行