伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

トラウマ

2013-03-26 22:36:14 | 人文・社会科学系
 過去のできごとによって心が耐えられないほどの衝撃を受け、それが同じような恐怖や不快感をもたらし続け、現在まで影響を及ぼし続ける状態(3ページ)を意味する「トラウマ」について、さまざまな観点から解説した本。
 人々がトラウマとトラウマを抱えた人に対して持つ先入観や思い込みに対して、トラウマの影響がさまざまであり得ることを、誤解を受けないようにいろいろ気を遣いながらアピールしています。危険な状況に追い込まれたときに瞬時に闘争か逃走かを選択できずむしろ固まってしまうことは自然なことで、意識や記憶を一時的に失ったり失禁してしまうことは珍しくないとか、「裁判などで『事件の次の日も平気で仕事に行ったのは不自然』ということで犯罪被害の事実が否定されることがありますが、被害者が事件の次の日に仕事に行くというのは珍しいことではありません。どうしていいかわからず、とりあえずは誰にも知られたくないので、予定通りの行動をこなすという人もいます。事件の衝撃のために思考能力が落ち、習慣的になった行動をとり続ける人もいます。あまりに衝撃が強く、感情が麻痺してしまうために、事件後の被害者や遺族が『冷静』に見えるということは、少なくありません」(12ページ)というのは、裁判関係者として頭に置いておきたい指摘です。
 医師として被害者と向き合う中でトラウマが語られることの難しさ、医師・支援者・友人の立ち位置の難しさも随所で語られています。「話をする中で、彼女は時々ぽろっと、私に話していなかった被害内容を打ち明けてくれます。私はそのたびに打ちのめされてしまいます。被害内容の重さやグロテスクさ、その果てしなさ。自分がそこまで聞けていなかった未熟さ。彼女がそれらの記憶に一人で耐えてきたこと。彼女自身も、私に語れるようになるまで、時間をかけながら、少しずつ消化を進めていったのだろうと思います。けれどまだまだ語られていない内容が多くあるに違いなく、彼女の抱え込んだ(抱え込まされた)<内海>の深さに途方に暮れそうになります」(51ページ)。そして被害者の「ただそばにいることの難しさ」を指摘し、傷ついた人のそばに「たたずむ」(寄り添うですらない)ことを語る著者の姿勢に、この問題に長く関わってきた者の経験から来る謙虚さ・慎重さそして優しさがにじみ出ているように思えます。
 後半はさまざまな観点からトラウマと被害者を固定観念から解き放って語ろうとする意図からでしょうけれども、著者の専門・経験からはみ出して無理に拡げすぎた感があり、ぼやけた印象で、前半の鋭さ、周到さとのアンバランスな感じがあります。
 はじめにで「震災のように目立たなくても、心に傷を抱えた人は、あなたのすぐそばに必ずいます。その人たちを無視しながら、震災や事件の直後だけ、被災者・被害者の『心のケア』の必要性を訴えても、あまり意味はありません」「幸い、トラウマは、誰かわかってくれる人がいて、きちんとサポートを得られ、心身の余裕が与えられれば、時間はかかるものの、少しずつ癒えていきます。…もちろん、心の片隅に傷痕や痛みは残り続けることでしょう。起き上がれない日もあれば、誰にも会わずに心を閉ざしておきたいときもあるでしょう。痛みや苦しさをなくすのが目標ではなく、それらを抱えながらも少しずつ生活範囲が広がり、生きる喜びや楽しさを時々でも味わえるようになることが、回復の現実的な目標と言えるかもしれません」と語られているのが、胸に染みました。


宮地尚子 岩波新書 2013年1月22日発行
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