伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

家族と刑法 家庭は犯罪の温床か?

2021-10-12 21:29:59 | 人文・社会科学系
 DV被害者の反撃による加害者の殺傷、児童の性的虐待の処罰、親による児童ポルノ製造・公表、児童の受動喫煙、家族間の財産犯と刑の免除(親族相盗例)の当否、子どもの奪い合いと誘拐・監禁罪、死体の放置と家族の葬送義務、「赤ちゃんポスト」と遺棄罪、体罰の暴行罪処罰、妊娠中絶の広告の処罰(ドイツ語圏)、予防接種の義務化と違反者の処罰を採り上げて、家庭内の行為・家族間の行為について国が介入し処罰することの是非等を論じ、併せて民事法上の問題等を説明する本。
 刑罰、刑法について論じる際には、被害者側の視点から加害者の処罰を求める方向と行動の自由の観点から刑罰の適用を限定・抑制する方向のバランスが求められ、私のような古い世代では、国家権力への警戒感が強く、市民の行動の自由を確保するためにも、刑事罰は最終手段であり限定すべきというのが学生時代の感覚では主流であり優勢でした。今自分が弁護士だから、その観点が強く残っているということはあるかも知れませんが。しかし、近年は、国家権力はお友達と考えているのか、国によって守られているという感覚を持ち、被害者保護を主張して犯罪者の処罰・重罰を求める声が優勢です。そういう声は被害者保護をいうのですが、被害者は加害者を処罰して欲しいという感情は持つでしょうけれども、すでに被害を受けており加害者を重く処罰してもそれで被害がなくなったり回復するわけではありません。実際には、(自分は加害者に/あるいは被告人に、なり得ることは想定せず)自分が同じような被害を受けることは避けたいという感情を被害者にこと寄せして声高に叫ぶ人が多いということだと思います。そういうお上に守ってもらいたい/権力は自分の味方だと思っている人たちの重罰化を求める声に押されて重罰化が進んだ結果困ったのが、最初のテーマのDV被害者の反撃問題(明らかに同情すべき反撃が、法定刑が重くて執行猶予にできない)です。これを最初に採り上げた著者の姿勢は、重罰化への反省というか、重罰化・処罰一辺倒ではうまくないという方向かと思ったのですが、著者は、すでに導入された刑事罰化・犯罪化はほぼ全面的に肯定・推進し、未導入のさらなる犯罪化は一部は不要だとも言っていますが、やはり多くの場面で推進方向の意見を述べて行きます(処罰するのは行き過ぎだと言う場面は少なく、処罰できないのはけしからんと言う場面が多く感じられます)。刑法学者も、国の政策、重罰化に流れる世論に棹さそうなどと思う時代ではないということでしょうか。4歳の子どもが飲食店内でいたずらなどをしたため店を出た後自動車内で注意するために父親が自分の方に顔を向けるように言ったが言うことを聞かないので左頬を引っ張るために1回つまんだ(つねったということでしょうね)のを有罪(罰金5万円)とした判決が紹介されています(203ページ)。私の感覚では、これを起訴する検察官も有罪判決を言い渡した裁判官も異常でやり過ぎとしか思えません。著者は、この判決を紹介しつつ、裁判所はこのように評価したものと解されるという検討はしていますが、明確な批判は避けています(とっても慎重な及び腰な回りくどい言い方で批判的な姿勢を示しているつもりなのかも知れませんが)。刑法学者が、権力や裁判所に忖度して法律や裁判を批判しないというのなら、世も末だと思います。


深町晋也 有斐閣 2021年7月30日発行
「書斎の窓」連載
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