ここ一番というときに、あるいはそうでもない日々の場面であれ、パフォーマンスを上げるための心がけなどについて、さまざまな側面・観点から語るエッセイ。
各章ごとにタイトルが定められ、それだけではなく章末にはその章の「キーポイント」がまとめられており、内容としては著者の専門領域の脳科学の話・説明、達人、特にスポーツ分野の成功者の話などがちりばめられているのですが、今ひとつテーマに向けて順を追って論じていき論証していくという感じよりも、関連することを思いつくままに並べているエッセイ(集)という読後感を持ちます。著者自身が、「私は無理をせず、自然体で、練習即本番という生き方を続けていくことに決めました。」(96ページ)、「これまでは、練習と本番は別物だと考えられてきました。準備期間があって、その準備期間は人に見せるものではなく、本番を迎えたときに、本番でのパフォーマンスだけを見せるのがよいとされたきた。しかしもう、そんな悠長なことをやっていられる時代ではないのかも知れません。」(96ページ)、「私は、自分の書くテキストは、個人的なメールを除いて全て公開されるものだという意識を持っています。練習のために書くものはないし、密かに練習しているという状態がないのです。」(102ページ)、「書き下ろしている本の原稿は、ツィッターに比べて、完成させるまでに多くの時間がかかるけれども、やはり公開することを前提で書いています。文章の長さや深さは違えど、本番であることについては、本とツィッターで差がないのです。」(102ページ)と述べているように、ツィッターよりも多くの時間をかけ深さは違えど、そう詰めて書いたものではないと見るべきでしょうか。
無理をせずに自然体でといってみたり、綿密・周到極まる準備を勧めたり、無意識の境地を誉め讃えたかと思うと必死さや合理性を超えた精神論・根性論を持ち上げるといった具合で、1つの方法論ではなく、たくさんのポケットを持つことが大事だという観点でのチップス集だと読み取るべきなのでしょう。
茂木健一郎 河出新書 2021年2月28日発行
各章ごとにタイトルが定められ、それだけではなく章末にはその章の「キーポイント」がまとめられており、内容としては著者の専門領域の脳科学の話・説明、達人、特にスポーツ分野の成功者の話などがちりばめられているのですが、今ひとつテーマに向けて順を追って論じていき論証していくという感じよりも、関連することを思いつくままに並べているエッセイ(集)という読後感を持ちます。著者自身が、「私は無理をせず、自然体で、練習即本番という生き方を続けていくことに決めました。」(96ページ)、「これまでは、練習と本番は別物だと考えられてきました。準備期間があって、その準備期間は人に見せるものではなく、本番を迎えたときに、本番でのパフォーマンスだけを見せるのがよいとされたきた。しかしもう、そんな悠長なことをやっていられる時代ではないのかも知れません。」(96ページ)、「私は、自分の書くテキストは、個人的なメールを除いて全て公開されるものだという意識を持っています。練習のために書くものはないし、密かに練習しているという状態がないのです。」(102ページ)、「書き下ろしている本の原稿は、ツィッターに比べて、完成させるまでに多くの時間がかかるけれども、やはり公開することを前提で書いています。文章の長さや深さは違えど、本番であることについては、本とツィッターで差がないのです。」(102ページ)と述べているように、ツィッターよりも多くの時間をかけ深さは違えど、そう詰めて書いたものではないと見るべきでしょうか。
無理をせずに自然体でといってみたり、綿密・周到極まる準備を勧めたり、無意識の境地を誉め讃えたかと思うと必死さや合理性を超えた精神論・根性論を持ち上げるといった具合で、1つの方法論ではなく、たくさんのポケットを持つことが大事だという観点でのチップス集だと読み取るべきなのでしょう。
茂木健一郎 河出新書 2021年2月28日発行