スポーツ選手の競技中やその前後の胸や下半身などをアップにするなど性的な意図を持って写真や動画を撮影しインターネットで拡散する行為について、実態を取材して共同通信が配信した記事をベースに実情をレポートし被害防止の必要性をアピールした本。
弁護士の立場からは、赤外線透視カメラでの撮影やスカートの中を撮るようなまさしく「盗撮」というべき撮影はもちろんのこと、この本で中心的に取り上げられているユニフォームの上から胸や下半身をアップにして撮影し、それをそのままないしは性的なコメントをつけてネットにアップする行為は、それ自体が肖像権侵害(コメントによっては名誉毀損・侮辱)となり違法とされていることをまず指摘しておきたいと思います。著者の選手に対する選手のインタビューで「肖像権が自分にあったわけでもないので」というのがまったく否定されないままに掲載されています(219ページ)が、それは誤りです。業界では有名な判決として「『街の人』肖像権侵害事件」とか「ドルチェ&ガッバーナ事件」と呼ばれているものがあり(こちらのサイトで判決全文を読むことができます)、一般人が銀座でドルチェ&ガッバーナの胸部に大きく「SEX」と書いたシャツを着て歩いていたのを本人の承諾を得ずにアップで撮影してWebサイトに掲載したことが肖像権侵害とされて損害賠償(35万円ですけど)が認められています。この判決の基準からすればこの本で問題とされているような撮影とネットへのアップは、おそらくすべて民事上違法なものと評価されます。一選手には肖像権がないかのような誤った記述を放置するのではなく、まずはこのことを明記して欲しかったと思います。
私がこの問題について以前から疑問を感じているのは、例えば陸上競技で何故女子選手がヘソ出しのユニフォームを着ているのかということです。「どんなユニフォームでも性的な画像やコメントをネットに拡散される筋合いはない」(71ページ)、「被害を受ける側が対策を講じ、従来の衣装を変えなくてはならないというのは本来おかしな話」(109ページ)というのはそのとおりで、私はそういう格好をしている選手が悪いというつもりはまったくありません。しかし、果たして本当に選手が望んでそういう露出度の高いユニフォームを着ているのでしょうか。日本陸連のアスリート委員会の委員長のインタビューでは「例えばセパレートのユニフォームも機能性を求めている面もあるので一概に否定せず、嫌なのであれば違う選択もできることが重要」(71~72ページ)と、選手が自発的に選択しているという前提です。セパレート(ヘソ出し)が機能的(例えばそれで記録が伸びる)というなら何故男子は誰もセパレートのユニフォームを着ないのでしょう。規則で強制していないとしても何らかの圧力が本当にかかっていないのでしょうか。元バレーボール選手のインタビューで、2005~6年頃に女子ゴルファーがヘソ出しで話題になり「その流れで女子バレーも、となって、急にユニフォームの丈が短くなって、スパイクを打つときに、おへそが見えるようになりました」、自分はそれがすごく嫌だったということが書かれています(241ページ)。しかしここでインタビュアーは選手が嫌だったというのに誰がどのようにそのへそが見えるようなユニフォーム着用を求め進めたのかについて聞きもしないし何ら問題にもしません。水泳で体を覆う水着が流行ったりハイレグでなくなると途端に隠し撮り被害が減少したと書かれています(48ページ)。競技団体と、そしてマスコミが、女性選手の性的な側面を利用・強調して、競技そのものよりも性的な面への興味で群がる人びとを呼び寄せたことが、この本が取り扱うようなアスリート盗撮被害を増やしたという側面は、きっとあると私は思うのです。競技団体やマスコミの問題点にはまったく触れずに、ただ撮影する個人とWebサイト運営者の問題(もちろん、この人たちが悪いのはそのとおりで、免罪するつもりもその必要もないのですが)だけをいうことには、私は違和感を持ちます。
被害を取り上げて報じることは大切なことだと思うのですが、競技団体とマスコミの問題にはまったく触れず、盗撮罪の創設と処罰を性急に求めるという姿勢には、警察権力の拡大に賛成し、権力者や大組織には楯突かずに、権力のない者を批判非難しておこうという志向を感じます。もちろん著者たちはそういう意識で書いているのではないでしょうけれど、共同通信にはもう少し権力を監視する矜持を持っていて欲しかったなと寂しく思えました。
共同通信運動部編 ちくま新書 2022年9月10日発行
弁護士の立場からは、赤外線透視カメラでの撮影やスカートの中を撮るようなまさしく「盗撮」というべき撮影はもちろんのこと、この本で中心的に取り上げられているユニフォームの上から胸や下半身をアップにして撮影し、それをそのままないしは性的なコメントをつけてネットにアップする行為は、それ自体が肖像権侵害(コメントによっては名誉毀損・侮辱)となり違法とされていることをまず指摘しておきたいと思います。著者の選手に対する選手のインタビューで「肖像権が自分にあったわけでもないので」というのがまったく否定されないままに掲載されています(219ページ)が、それは誤りです。業界では有名な判決として「『街の人』肖像権侵害事件」とか「ドルチェ&ガッバーナ事件」と呼ばれているものがあり(こちらのサイトで判決全文を読むことができます)、一般人が銀座でドルチェ&ガッバーナの胸部に大きく「SEX」と書いたシャツを着て歩いていたのを本人の承諾を得ずにアップで撮影してWebサイトに掲載したことが肖像権侵害とされて損害賠償(35万円ですけど)が認められています。この判決の基準からすればこの本で問題とされているような撮影とネットへのアップは、おそらくすべて民事上違法なものと評価されます。一選手には肖像権がないかのような誤った記述を放置するのではなく、まずはこのことを明記して欲しかったと思います。
私がこの問題について以前から疑問を感じているのは、例えば陸上競技で何故女子選手がヘソ出しのユニフォームを着ているのかということです。「どんなユニフォームでも性的な画像やコメントをネットに拡散される筋合いはない」(71ページ)、「被害を受ける側が対策を講じ、従来の衣装を変えなくてはならないというのは本来おかしな話」(109ページ)というのはそのとおりで、私はそういう格好をしている選手が悪いというつもりはまったくありません。しかし、果たして本当に選手が望んでそういう露出度の高いユニフォームを着ているのでしょうか。日本陸連のアスリート委員会の委員長のインタビューでは「例えばセパレートのユニフォームも機能性を求めている面もあるので一概に否定せず、嫌なのであれば違う選択もできることが重要」(71~72ページ)と、選手が自発的に選択しているという前提です。セパレート(ヘソ出し)が機能的(例えばそれで記録が伸びる)というなら何故男子は誰もセパレートのユニフォームを着ないのでしょう。規則で強制していないとしても何らかの圧力が本当にかかっていないのでしょうか。元バレーボール選手のインタビューで、2005~6年頃に女子ゴルファーがヘソ出しで話題になり「その流れで女子バレーも、となって、急にユニフォームの丈が短くなって、スパイクを打つときに、おへそが見えるようになりました」、自分はそれがすごく嫌だったということが書かれています(241ページ)。しかしここでインタビュアーは選手が嫌だったというのに誰がどのようにそのへそが見えるようなユニフォーム着用を求め進めたのかについて聞きもしないし何ら問題にもしません。水泳で体を覆う水着が流行ったりハイレグでなくなると途端に隠し撮り被害が減少したと書かれています(48ページ)。競技団体と、そしてマスコミが、女性選手の性的な側面を利用・強調して、競技そのものよりも性的な面への興味で群がる人びとを呼び寄せたことが、この本が取り扱うようなアスリート盗撮被害を増やしたという側面は、きっとあると私は思うのです。競技団体やマスコミの問題点にはまったく触れずに、ただ撮影する個人とWebサイト運営者の問題(もちろん、この人たちが悪いのはそのとおりで、免罪するつもりもその必要もないのですが)だけをいうことには、私は違和感を持ちます。
被害を取り上げて報じることは大切なことだと思うのですが、競技団体とマスコミの問題にはまったく触れず、盗撮罪の創設と処罰を性急に求めるという姿勢には、警察権力の拡大に賛成し、権力者や大組織には楯突かずに、権力のない者を批判非難しておこうという志向を感じます。もちろん著者たちはそういう意識で書いているのではないでしょうけれど、共同通信にはもう少し権力を監視する矜持を持っていて欲しかったなと寂しく思えました。
共同通信運動部編 ちくま新書 2022年9月10日発行