伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したのか

2013-03-18 20:01:36 | ノンフィクション
 福島原発事故後、東京電力と政府の記者会見に足を運び続けた2人の著者が、記者会見場でのやりとりから判明した東京電力と政府の情報公開の姿勢と両者がいかに情報を隠し誤った情報を流し続けたかをレポートした本。
 第1章では、事故直後の時点でメルトダウンの可能性が高いことを予測しながら、初期にメルトダウンの可能性を素直に認めた中村幸一郎審議官を広報担当から外し、交代した西山英彦審議官に炉心溶融を否定する発言を続けさせた保安院と、保安院と歩調を合わせて松本純一原子力立地本部長代理に炉心溶融ではなく炉心損傷と説明させ続けた東京電力の姿勢が描写されています。ここでは、メルトダウンを予測しつつそれを隠蔽して虚偽の情報を流し続けた保安院と東京電力の姿勢があらわにされていますが、5月中旬に東京電力と保安院が立て続けにメルトダウンを認めたことについては、マスコミ同様に、「ついに認めた」という評価になっているのはちょっと残念な気がします。保安院と東京電力が2011年5月中旬になって一転してメルトダウンを認めるとともに事故発生直後にメルトダウンしていたと主張し始めたのは、そういうストーリーにしないと特に1号機で地震による配管損傷を否定しつつ早い時期に格納容器圧力と原子炉圧力が同レベルになったことを説明できないからではないかと私はずっと疑い続けています。保安院と東京電力が早期のメルトダウンを認めたことは、潔さではなく、新たな別の隠蔽ではないかと。まぁ、そこは「記者会見場でのやりとりから」は明らかにされていませんからこの本の範囲外ですが。
 第2章では「SPEEDI」の放射性物質拡散予測等のデータを公表せずに住民の被ばくを増やしながらその責任の所在を曖昧にし続ける政府の姿勢を、第3章では現実には以前から各所から設計の基準としている津波よりも高い津波が来る可能性を指摘され自身でもその解析をしていた東京電力が「想定外の津波」と言い続けた姿勢を追及しています。
 また、東京電力が賠償指針を検討する原子力損害賠償紛争審査会に対して要望書を提出した問題が報じられた際に記者会見でその要望書の公表を求められて、そのような約束がないのに「先方との関係があるため公表できない」と意図的な虚偽説明をした事実も書かれています(149~150ページ)。調査すればすぐ露見するような嘘をつくはずがないから意図的な嘘と考えることはできないとかいう報告書を出した「第三者委員会」もあったようですが、東京電力は調査すればすぐ露見するような嘘を平気でつくんですよね。もう少し東京電力というところがどういうところか調査してから報告書を出して欲しいものです。まぁ、私も、この本が出てすぐに読んでいれば、広報部長でさえ記者会見で平然と意図的な嘘をつくのなら企画部部長も嘘つきだろうと考えることができて、騙されずにすんだかと思えますから、東京電力の嘘つき度についての調査不足に関しては他人のことはいえませんが。
 そういった点も含め、東京電力や政府、そしてまたマスコミが福島原発事故をめぐる情報についてどのような姿勢をとってきたのか、これらをどの程度信用できるのかなどについて示唆に富む一冊でした。


日隅一雄、木野龍逸 岩波書店 2012年1月20日発行
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原発と裁判官

2013-03-17 17:02:54 | 人文・社会科学系
 朝日新聞記者が、これまでに原発訴訟に関与した裁判官に対して行ったインタビューなどをとりまとめた本。
 住民側が勝訴した2判決を書いた裁判官のインタビューでは、審理の過程でのできごとについて、次のようなことが語られています。「原発のような危険な施設を扱っている電力会社としては、多くの地震学者が集まって調査した結果、M7.6の地震がありうると言うのであれば『念のためそれを前提とした耐震設計をしましょう』という謙虚な姿勢になって当然だと思うんです。ところが、政府の地震調査委員会の分析の方が間違っている、自分たちが正しい、と主張する。甘い想定で『安全だ、安全だ』と声高に言っても裁判官はそれに乗るわけにはいきません。そのこと自体が、電力会社の姿勢としていかがなものかと思いました」(102ページ:志賀原発2号機訴訟1審裁判長)、「申請者がさまざまな場面で計算した多数の解析について原子力安全委員会が『これをもっと厳しい条件下で計算し直したらどうなるのか』と要求したことがあるのかどうかを、証人である原子力安全専門審査会委員に聞いています。すると『そういうことを指示したことは一度もない』というのですから、驚きました。国は、『極めて厳しい条件でやってますから、それ以上の厳しい条件を設定して、計算させる必要はなかった』という。だけど、設計時に動燃がおこなったナトリウム漏れ事故の解析は甘く、不十分なものであったのですから、こんな審査のあり方で大丈夫かという不安を持ちました。このあたりが原子力安全委員会に不信感を持つ一因となりました」(141~142ページ:もんじゅ訴訟2審裁判長)。このあたりの電力会社と国の傲慢さ、杜撰さが裁判所の心証に強く影響したのですね。裁判官の受け止め方として、ごく普通の素直なものと思えます。この2つの判決は、裁判官が、通常の民事事件で裁判官が持つ素直な心証を維持できたから実現したものだということがわかります。ほかの原発訴訟でも、同じようなことはあるのですが、そこでは担当した裁判官が同じようには考えてくれなかったか、そのような考えがどこかにしまい込まれたかしたのでしょう。
 住民敗訴の事件を担当した裁判官のインタビューでは、福島原発震災後に今だったら…と語る裁判官よりも、女川原発訴訟と志賀原発1号機訴訟の上告審を担当した元原利文元最高裁判事が「事件の詳細はよく記憶していません」(172ページ)、「2件の原発訴訟についても審議した記憶はありませんからおそらく調査官の意見通りに『上告棄却』となったケースだろうと思います」(174ページ)と述べていることに、私は衝撃を受けました。原発訴訟の上告審判決が、いわゆる持ち回り審議事件で、事実上調査官報告書だけで裁判官が議論することさえなくなされていたようなのです。最高裁が原発訴訟で国策に反した判断をすることまでは期待できないでも、せめて裁判官が議論を尽くして判断して欲しいし、またせめて裁判官がこの判決は原発訴訟なのだということを意識した上で判決をして欲しかったと思います。その程度のことでさえ、贅沢な希望だったのでしょうか。


磯村健太郎、山口栄二 朝日新聞出版 2013年3月30日発行
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希望(仮)

2013-03-11 23:51:42 | 小説
 1978年春の入試で東大を受験する山下幸司が受験前にさまよい歩いた山谷で知り合った手配師からもらった名刺を試験中にポケットから出してカンニングを疑われて失格し、うちに帰れず山谷を放浪するが仕事にもあぶれ、名刺を頼りに連絡して福井県の原発に作業員として送り込まれ、その後沖縄の山奥での道路工事の作業をする中で、底辺の労働になじんで行く様子を描いた小説。
 冒頭の1978年春の大学受験という設定に、その当事者であった私(受験した大学は違いますけど)はまず引き込まれ、次いで、しかし私とは年齢が明らかに違う作者がどうしてその年に設定したのかという疑問を持ちました。単行本の小説につけられた仰々しいあとがきに、「この作品では『原発ジプシー』というすばらしいテキストを借りて底の底から日本を描き」とある(350ページ)ように、前半の原発でのエピソードと描写は『原発ジプシー』からほぼそのまま持ってきています(以下『原発ジプシー』のページ数は現代書館の単行本旧版:「増補改訂版」でないもので示します。手元にある本がそれなもので(^^ゞ・・・増補改訂版や文庫本ではページ数が違うかと思います)。ホールボディカウンターでの測定のエピソード(100~101ページ)は『原発ジプシー』23~26ページ、熱交換器での作業(105~109ページ)は『原発ジプシー』30~36ページと46ページ、放射線管理教育(110ページ)は『原発ジプシー』43ページ、食堂の差別のエピソード(120ページ)は『原発ジプシー』74ページ、ピンハネの話(122ページ)は『原発ジプシー』84~85ページ、管理区域入域のエピソード(123~124ページ)は『原発ジプシー』76~80ページ、プール内作業の説明(124ページ)は『原発ジプシー』67ページ、洗濯と赤ランプのエピソード(125~127ページ)は『原発ジプシー』114~116ページ、使用済み燃料ピット除去工事付属品除染・片付け作業とその際に水漏れの拭き取り作業もさせられたというエピソード(128~130ページ)は『原発ジプシー』101~105ページに、それぞれディテールまでほぼそのままのエピソードが書かれています。『原発ジプシー』の、この作品が「借りた」美浜原発でのエピソードはすべて1978年のエピソードで、原発での労働も時期によって条件が異なってくるため、この作品の時代設定は1978年になったのだと納得できました。いかに小説であり、あとがきで断っているとはいえ、ここまでディテールまでそのままということには、ちょっとあきれました。
 この作品で作者は、「原発ジプシー」のエピソードをほぼそのまま書き並べて原発労働の過酷さを描きながら、他方で「原発反対を訴える人は、とりあえず自動車の運転をやめてほしい」(104ページ)、「正直なところ、反原発運動に対しても、僕は微妙な違和感を覚えてしまうのだ」(156ページ)などと主人公に語らせ、あとがきでは「同時に私は反原発運動とやらに邁進する人たち、とりわけ市民を自称する人たちにも言い様のない薄気味悪さを覚えさせられた」「ともあれ私の仕事は、正論を吐いて悦に入ることではない」(350ページ)と述べています。よほど反原発運動が嫌いらしく、あるいは自分が反・脱原発側と見られることを避けたいらしい。しかし、それなら、自分は1970年代から「原発ジプシー」に感銘を受け、原発を荒廃の象徴と考えてきたとあとがきで強調している作者が、30年以上もそのことを書かずに今になってこういう作品を書くのはなぜかと思います。リアリティがあり問題提起を感じる部分は『原発ジプシー』を「借りた」部分ばかりというきらいはありますが、それでも『原発ジプシー』を知らない人に感じさせるところはあるだろうと思われます(この機会に『原発ジプシー』を読んでもらえればもっと本物の感銘を受けられるでしょうけど)。せめてこういう言い訳がましいあとがきがなければと思いました。


花村萬月 角川書店 2012年9月30日発行
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学問の技法

2013-03-09 20:39:29 | 実用書・ビジネス書
 読書の仕方や勉強の仕方など大学で学ぶコツについて解説した本。
 学問は勉強とは根本的に異なり、答えの確定していない新しい問いを発すること、自分で問いを立てその問いに対して創造的な応答を挑むところに醍醐味がある(17~19ページ)と述べ、「哲学を志す人たちは、どこか不良で、言葉に凄みがある。・・・学問というものが『勉強の否定の上に成り立つ』ことを示してくれるのは、かっこいい不良少年タイプの哲学者たちではないだろうか。彼らの生き方から学ぶことは多い」(31ページ)などという、独創的な学問ワールドへの誘いかと思える導入部は、なかなか魅力的です。
 しかし、この本の本質は学習のテクニックで、tips/小技集として読むべきものです。志を語る部分はありますが、それも後半では大学の先生に認められる手堅さへと傾斜していき、しぼんでいく印象があります。そのあたりは、導入部でも「大学で学ばなかった人は、企業でも使えない」(26ページ)なんて太字で就職志向の学生に脅しと媚びを示しているあたりにも垣間見えますけど。
 全体を通じて共通するように見えるスタイルは、型から入ることのようです。読書法でも「大学のキャンパスでは、読書に適した場所を、ぜひとも見つけたい。木陰に座って、かっこよく本を読む。あるいは、長椅子に腰掛けて、夕暮れ時に孤独に読書する・・・読書する自分の姿に酔うことができる人は、読書力と読書量を伸ばしていく」(106ページ)という下りは、ちょっと目からウロコ感があり、感心しました。もっとも、そういった後でまた「環境や気分に囚われないようにする」「いつでもどこでも読書できるだけの野生を身につけたい」(115ページ)なんていわれると、場当たり的というかつぎはぎ感がありますけど。
 それにしても、大学生を読者に想定したこの本の、最初の言葉が「あしたのために(その1)」です。一般的な言い回しとしてじゃありません。著者自身、私は丹下段平の役割を引き受けたい(13ページ)、パンチのある感情がどのようなものであるかを知るためにはたとえばマンガ「あしたのジョー」を読まなければならない(212ページ)とまでいっています。たまたま読んだ本が2冊続けて1960年代生まれの40代男が若者相手に書いた本で「あしたのジョー」を引用してるのは、どういうことなんでしょう。若者の間で「あしたのジョー」がブームなのか、1960年代生まれの男には「あしたのジョー」が人生のバイブルなのか・・・


橋本努 ちくま新書 2013年1月10日発行
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魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?

2013-03-07 21:20:31 | 物語・ファンタジー・SF
 39歳独身の美貌の上司に蹴られたいと妄想するどM変態若手刑事が、殺人事件の度になぜか遭遇する襟元と袖口に純白のレースのついたレトロな濃紺のワンピースを着た三つ編みの美少女魔女といがみ合いながら魔法の力と若干の推理で事件の謎を解く、ミステリー小説。
 犯人は最初から明らかにされ、犯人の工作を主人公と魔法少女がどうやって暴くかということと、魔法少女と主人公の絡みを読ませるタイプの小説です。
 主人公のキャラ設定、魔法少女の(ロリータっぽい)設定を見ても、ターゲットは若年のオタクだと思われるライトノベルなんですが・・・「マリィは右手の人差し指を高々と掲げ、ワンラウンド、いや一分だ!と力石徹の名台詞を口にするかと思いきや」(49ページ)とか、「ワゴン車はまるで星飛雄馬投じるところの大リーグボール三号が相手のバットを間一髪避けるがごとく、特殊な軌道を描いて蛇行した」(89ページ)とか、作者の年齢はさておき、どういう読者層を想定して書かれてるんだこれはと思ってしまいます。60年代少年漫画で育った中年おじさんがこれを読むかって、まぁ私は読んでるわけですが、決してそれは多数派ではあり得ないだろうに。


東川篤哉 文藝春秋 2012年9月30日発行
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過労死のない社会を

2013-03-05 22:52:28 | 人文・社会科学系
 過労死防止法の制定を求めるグループがシンポジウムでの発言等をまとめて過労死について問題提起する本。
 休まず働くことを美徳とする日本社会で作られた道徳観への疑問や、一方で非正規雇用の増加や「サービス残業」により労働時間が統計上は減少していながら現実にはリストラや就職難を背景に正社員は過酷な長時間労働を強いられ職場の精神的ストレスも強くなって過労自殺が増えているという状況が解説され、労働時間規制があっても36協定(労働基準法36条により労使間で協定をすると法定労働時間を超えて労働させられる制度)により骨抜きにされたり不払残業がまかり通るなどの労働関係法規の違反への制裁が実効的になされない現状への問題提起から過労死防止法の制定を求めるアピールにつながっています。
 「日本海庄や」の従業員の過労死や「和民」の従業員の過労自殺の事例とそれに対する使用者の冷酷さが紹介され(24~28ページ)、遺族の悔しさに涙しますし、こういった企業への対処は考えさせられます(個人的には、利用は避けています。もっともほかの居酒屋も似たり寄ったりかもしれないとは思いますけど)。


森岡孝二編 岩波ブックレット 2012年12月6日発行
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公務員の窓口・電話応対ハンドブック

2013-03-04 22:40:51 | 実用書・ビジネス書
 公務員が窓口で訪問者への応対をするときや電話で応対するときの対処法について説明した本。
 窓口では応対を始める前から見られている(休憩時間も気を抜くな、職員間の会話にも気をつけろ)、表情や話し方・声の大きさ・トーンや態度(肘をつくな、足を組むな)・身だしなみ等の第一印象の重要性、1人1人が役所の顔だという意識など、客の目線を使用者側から意識したアドヴァイスが最初に置かれ、重要視されています。それ自体は、客への影響という観点からは正しい指摘ですが、労働者に対する労働と管理の強化でもありますし、顧客の苦情をうわべの印象と労働者の奉仕で緩和しろという使用者側の要請でもあります。
 顧客の苦情自体については、「公平・誠実な対応」とはいうものの要するに基本的に役所が決めたことは断固として押し通すということで、妥協はせず、丁寧に説明して諦めさせろということになっています。窓口としては、誤解を与えない(むしろ言質を与えないでしょうね)ということに努め、あとは客が気を悪くしないようにという点を言い方や態度について事細かに指示しているというように、私には読めました。
 言い方や態度で無用の反感を買ったり顧客の不快感を増すことはあります(現にそういう態度の人は少なからず見受けます)から、それをなくすということは、役所にとっても企業にとっても、そして顧客の側にとっても、有益なこととは思いますが、そこが重視されることは、慇懃無礼な役人の作法を完成させるだけという気もします。


関根健夫、鈴鹿絹代 学陽書房 2013年1月25日発行
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スマートフォン仕事革命

2013-03-03 20:42:41 | 実用書・ビジネス書
 スマートフォン未体験の人を対象にスマートフォンのメリットを説明して切替を薦める本。
 ビジネス書の通例ですが、基本的にはわかりやすく書かれていますけど、読まなくてもわかる話を延々とくどく繰り返し、肝心なところ、読んでいて知りたいと思うところはあまり詳しくない印象です。スマートフォンの登場する前の経緯は何度も繰り返してさまざまなたとえ話も入りわかりやすく説明されていますが、それはもともとこの本で読まなくたって大方わかる話です。それも知らない人向けに書かれているのだとして、肝心のスマートフォンで何ができるか、使い勝手はどうかというあたりは、抽象的な説明が多く具体的な話とか自分の体験談の類が見られず、読んでいてスマートフォンに切り替えたときのメリットが具体的にイメージしにくく思えました。
 親切に書こうとする意思は見えるのですが、それぞれの項目で、あと少し具体的に説明してもらえれば、あと一歩踏み込んで書いてもらえればという思いが募り、私には、この本を読むことでスマートフォンを使おうという気持ちは生じませんでした。


永田一八、飯塚直 マイナビ新書 2012年1月31日発行
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欧州のエネルギーシフト

2013-03-02 21:36:26 | 人文・社会科学系
 EU諸国の原発とエネルギー政策についての過去と現在の決定・方向性とそれにまつわる諸事情をレポートした本。
 国民の賛否では原発反対の方が多いのに水力・風力資源に乏しくロシアへのエネルギー依存からの脱却を優先して原発を推進するフィンランド、1980年の国民投票で原発の段階的廃棄を決めながら不況と政権交代で脱原発が形骸化しているスウェーデン、技術系エリートと中央集権に支えられた原発推進一辺倒から福島原発事故後意見の対立が表面化し原発依存度の抑制の議論が出て来たフランス、サッチャー政権下の民営化で大手電力会社は外資系になり政府は地球温暖化対策で原発推進を志向しながら市場原理の結果四半世紀原発の新設がなく他方で明確な脱原発を宣言するスコットランド自治政府を抱えるイギリスといった、現在脱原発をいわない国々の事情が最初に紹介されています。次いで、社民党・緑の党連立政権下での脱原発政策を転換しようとしていた中道保守政権が福島原発事故を見て2022年までの全原発閉鎖を閣議決定するに至ったドイツ、国民投票で脱原発を(再び)決めたイタリア、国民投票をせず2034年までの全原発閉鎖を閣議決定したスイスの、福島原発事故後に脱原発を決定した各国の事情が紹介されています。
 脱原発に舵を切らない国でも、スウェーデンでもイギリスでも政府は原発に資金援助をしないことを決めています。またどの国でも温暖化ガスの削減に厳しい目標を立てていますし、風力発電、太陽光発電などの再生エネルギー促進を政策として掲げ推進している様子がうかがえます。地球温暖化対策を原発延命の免罪符程度にしか考えず風力発電などの再生可能エネルギー促進を真剣に行わずいまだに原発に多額の財政援助を続けながら、脱原発は現実的ではないといいたがる政権は、世界的には今や特異な存在に思えます。
 原発の運転停止を免れるために点検記録を捏造したり偽造ビデオを検査官に見せた「ひび割れ隠し問題」のときにも思いましたが、送電線の独占と地域独占がなければ当然潰れて然るべきとんでもない電力会社が、今もなお、一地方の社会さえも潰すような国民に大きな犠牲を強いる大事故を起こしながらウソと傲慢な姿勢で原発存続を平然と言い続けるようなことが、日本ではなぜできるのか、改めて考える必要があると再認識しました。


脇阪紀行 岩波新書 2012年6月20日発行
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