Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「仏像半島」展感想(その1)

2013年05月03日 23時38分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 予定を変えて本日千葉市美術館を訪れた。ジョギングをした後、チョッと遅くなってしまったが13時に家を出て、JR千葉駅に着いたのが15時15分。美術館には15時半に着いた。初めて訪れたが、千葉市中央区役所の7階・8階に美術館が併設されている。その立派で大きな建物の造作に驚いた。ある意味では威圧するような感じを受けないではないが、周囲の現代的な大きなビルの様からはそれほどの圧迫感はない。逆に親しみが湧くという言い方も成立するかもしれない。
 案内によると1927(S2)年建築家矢部又吉の設計で川崎銀行千葉支店として建てられたネオ・ルネッサンス様式、千葉市指定有形文化財となっている歴史的建造物とのことである。美術館・中央区役所の建設にあたり、詳しくはわからないが”鞘堂方式”により保存・再生され「さや堂ホール」といわれているらしい。

         



 本日の目当ては、「仏像半島」と題された房総半島各地のお寺の仏像の展示。白鳳仏の薬師如来坐像から鎌倉時代までの仏像、ならびに房総は日蓮以来、日蓮宗の地でもあり、ゆかりの絵画・像も展示されている。同時に江戸時代の仏教関連の木彫のほか、芝の増上寺の五百羅漢(2011.4.29、同5.1、同5.11の記事参照)で有名な狩野一信の十六羅漢図も展示されている。
 15時半から1時間くらいの鑑賞時間を想定していたが、17時15分過ぎまで2時間近くかかってしまった。混雑もそれほどではなく、苦にはならなかった。それでもこれだけの時間がかかったのは、それだけ充実した展示だったと思う。じっくりと見てまわった。あと1時間くらいは欲しかったと思う。



まず会場に入って見るのが龍角寺の「薬師如来坐像」で飛鳥時代後期(7C後半~8C初頭)の銅製坐像。金色に輝く坐像は東京の深大寺の釈迦如来椅像と並んで東国最古の仏像とのことである。頭部のみが白鳳時代のもので首から下や光背は後世のものらしいが、顔は大変温和でゆったりとした表情である。



 次に印象に残ったのが、この異様に薄い胴体を持つ9世紀の薬師如来立像(小松寺)。正面から見ると横幅もあり、堂々としたふくよかな体躯に見えるが、側面からはこのように細身だ。ところが頭は通常の厚みがある。一木作りであるが、手の位置などからは胴体をこんなに細く造作する必要性は感じられない。どうしてこのように細身になったのかは解説にもないので想像するしかないが、どうもわからない。材料の木に何らかの問題があったとしか思えない。
 胴体から指先にいたる流れなどは自然である。腰は妙に前に出ていて、なまめかしい線にも見える。9Cというこの時期、すでに中国や朝鮮半島での像の真似事ではなく、材料などの制約を克服するように応用を利かせた仏像を作成していたと解釈してよいのだろうか。
 表情も奈良や京都の古い仏像に較べると様式化されていない不思議な生々しさがあるように見受けられる。解説でもそのことを指摘してある。顔全体がうつむき加減で下を見ている。ほほえましくもあり、印象に残る作品だと思う。
 さて、展示されている各寺の本尊などを見ると薬師如来が多い。図録による解説でも記しているが房総半島は関東の他の地域に較べて薬師如来の比率が高いという。薬師信仰が平安時代に早くからこの房総に根を下ろした歴史があるらしい。
 もうひとつ、私の気になったのはこの如来や諸菩薩の表情だ。仏像の表情が奈良・京都の仏像のように様式化され完成され整った顔のものもあるが、生の人間味ある表情の仏像もあり、とても親しみが湧くものも多い。



 これもそのひとつ。とても福々しい薬師如来立像だ。12C平安時代末期の小松寺のもの。奈良や京都の寺で見るものは、私の偏見でなければやはり鎮護国家の仏教であるのだろうか、この房総の仏像の表情に較べると庶民とはかけ離れたところにいるような感じがする。この房総の仏像の顔は、どこか身近な感じだ。文化の中心地からは遠い東国の果てで、土着の中で生きているような仏像に感ずる。

 鎌倉時代以降の仏像の感想は次回以降に掲載予定。