本日上野の東京国立博物館の「新指定国宝・重要文化財」展を見てきた。根津美術館も行く予定だったが、この展覧会を見終わったのが16時過ぎだったので本日は諦めた。またの機会にすることにした。
上野駅を降りるとものすごい人波にびっくり。駅員が公園口の改札口に大勢出て、案内におおわらわであった。これはどうしようかと思ったが、ほとんどの人は動物園に吸い込まれていった。科学博物館と国立博物館に行く道ではとても少なくなった。西洋美術館もそれほどの人出ではなかった。
国立博物館、平常展示はやはりいつもよりは人は多いが、特に気になるほどではなかった。いつもより多いのは外国人とくに欧米からと思われる観光客と、子連れの家族連れ。私も国内旅行でも、韓国やベトナムに行ったときも、必ずその土地の博物館・歴史資料館・美術館を訪れるようにしている。私はそれがその土地・国の文化・歴史への敬意の表し方だと思っている。子供を連れて来るというのも私にはいい教育だと感じる。今回騒ぐ子供もいなくてとてもよかった。
さて今年度の国宝指定の目玉は「木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像」(快慶、文殊院蔵) と3体の「木造阿弥陀如来坐像」「木造不動明王及び二童子立像」「木造毘沙門天立像」(運慶、願成就院蔵)。
特に快慶の像は残念ながら写真展示で大きさも細部もわからないのだが、動きがいい。幾度が雑誌か何かで見たような気がするが、確実な記憶ではない。しかしこれは是非実物を見たい。運慶の作品では「不動明王及び二童子立像」が気に入った。背の光背も多分当時のものと思うが、像の表情と光背の関係がとてもいい。憤怒の相と、目くるめくような炎の形象が見る人に迫ってくる。圧倒される。
そしてこの不動明王の脇侍のとりすましたような顔が、不動明王と光背を見た人には対照的な静かな世界を暗示させるように立っている。三体でひとつの動的な宇宙を垣間見るようで面白かった。また衣服の形象がとても自然だ。慶派の特徴でもあると聞いたことがあるが、衣服の線とくに衣紋が美しいと思う。
運慶といい快慶といい、このような完成された作品が今頃に国宝指定というのも不思議な気がした。
もうひとつ、福島の長福寺というお寺の「木造地蔵菩薩坐像」。地蔵菩薩の坐像というのにまず私は珍しいと思ったが、今回の東日本大震災で被災して修復のための修理中に鎌倉時代の「元亨四年」の銘が見つかったとのこと。何が原因で由緒いわれが確定するがわからないものがある。
さらに彫刻の部で「木造摩多羅神坐像」(覚清、鎌倉時代、清水寺)というのがあった。摩多羅神というのは初めて聞く名で、日本の神像ではなく、仏教とともに伝来したインド由来の神なのかと思われるが、これはこれから調べてみることにする。なかなか不思議な表情でどのように表現していいかわからない。
絵画作品で見落としてはいけないのが長谷川等伯の「紙本墨画老松図襖貼付」と「紙本墨画猿猴捉月図襖貼付」(桃山時代、泉涌寺)。残念ながら写真での展示だった。後者は有名なのでこれも「今頃ようやく」という思いがする。「老松図」ははじめてみたような気がするのだが、なかなか面白い。
狩野探幽の「紙本金地着色四季松図 六曲屏風」(江戸時代、大徳寺)は二本の松だけだったが、壮年期の松と老松と思しき松が左右に一本ずつ描かれている。
壮年期の松の幹と葉には雪が積もっていてそれが松の盛んな生命力を演出している。枝に対する葉の割合も多い。老松には赤く染まった蔦が太い幹全体にからまり年季を思わせる。一木に対する葉の割合が心なしか少ない。幹の高さも低め。人間の老境をも感じさせる。幹の写生と葉の緑の対比、老壮の対比、雪と蔦の対比、ここら辺が見所。
土佐光吉の「紙本金地著色源氏物語図」はとにかく細部まで丁寧に描かれている。美しい彩色だけでなく、色の配置、構図のとり方など西洋美術にはない描き方や、細部までの驚くべきこだわりに驚いた。ことに緑色が美しく感じた。実際は読めないのだが、流麗なかな文字の美しさに見入った。
展示期間が極端に短いのはとても残念。普段はなかなか人の眼に触れることは少ないので、多くの人の眼に触れてもらうには、いろいろな制約はあるだろうが、もう少し長めの展示であって欲しい。
今回の指定されたものの一覧表は用意をされていたが、できれば図録までとはいわないが解説の一覧なども欲しい。実費程度の負担は揶揄無を得ないと思う。
贅沢を言えばキリがないが、写真も撮影できないのだから、A4で数ページのパンフなどがあればさらにうれしい。
上野駅を降りるとものすごい人波にびっくり。駅員が公園口の改札口に大勢出て、案内におおわらわであった。これはどうしようかと思ったが、ほとんどの人は動物園に吸い込まれていった。科学博物館と国立博物館に行く道ではとても少なくなった。西洋美術館もそれほどの人出ではなかった。
国立博物館、平常展示はやはりいつもよりは人は多いが、特に気になるほどではなかった。いつもより多いのは外国人とくに欧米からと思われる観光客と、子連れの家族連れ。私も国内旅行でも、韓国やベトナムに行ったときも、必ずその土地の博物館・歴史資料館・美術館を訪れるようにしている。私はそれがその土地・国の文化・歴史への敬意の表し方だと思っている。子供を連れて来るというのも私にはいい教育だと感じる。今回騒ぐ子供もいなくてとてもよかった。
さて今年度の国宝指定の目玉は「木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像」(快慶、文殊院蔵) と3体の「木造阿弥陀如来坐像」「木造不動明王及び二童子立像」「木造毘沙門天立像」(運慶、願成就院蔵)。
特に快慶の像は残念ながら写真展示で大きさも細部もわからないのだが、動きがいい。幾度が雑誌か何かで見たような気がするが、確実な記憶ではない。しかしこれは是非実物を見たい。運慶の作品では「不動明王及び二童子立像」が気に入った。背の光背も多分当時のものと思うが、像の表情と光背の関係がとてもいい。憤怒の相と、目くるめくような炎の形象が見る人に迫ってくる。圧倒される。
そしてこの不動明王の脇侍のとりすましたような顔が、不動明王と光背を見た人には対照的な静かな世界を暗示させるように立っている。三体でひとつの動的な宇宙を垣間見るようで面白かった。また衣服の形象がとても自然だ。慶派の特徴でもあると聞いたことがあるが、衣服の線とくに衣紋が美しいと思う。
運慶といい快慶といい、このような完成された作品が今頃に国宝指定というのも不思議な気がした。
もうひとつ、福島の長福寺というお寺の「木造地蔵菩薩坐像」。地蔵菩薩の坐像というのにまず私は珍しいと思ったが、今回の東日本大震災で被災して修復のための修理中に鎌倉時代の「元亨四年」の銘が見つかったとのこと。何が原因で由緒いわれが確定するがわからないものがある。
さらに彫刻の部で「木造摩多羅神坐像」(覚清、鎌倉時代、清水寺)というのがあった。摩多羅神というのは初めて聞く名で、日本の神像ではなく、仏教とともに伝来したインド由来の神なのかと思われるが、これはこれから調べてみることにする。なかなか不思議な表情でどのように表現していいかわからない。
絵画作品で見落としてはいけないのが長谷川等伯の「紙本墨画老松図襖貼付」と「紙本墨画猿猴捉月図襖貼付」(桃山時代、泉涌寺)。残念ながら写真での展示だった。後者は有名なのでこれも「今頃ようやく」という思いがする。「老松図」ははじめてみたような気がするのだが、なかなか面白い。
狩野探幽の「紙本金地着色四季松図 六曲屏風」(江戸時代、大徳寺)は二本の松だけだったが、壮年期の松と老松と思しき松が左右に一本ずつ描かれている。
壮年期の松の幹と葉には雪が積もっていてそれが松の盛んな生命力を演出している。枝に対する葉の割合も多い。老松には赤く染まった蔦が太い幹全体にからまり年季を思わせる。一木に対する葉の割合が心なしか少ない。幹の高さも低め。人間の老境をも感じさせる。幹の写生と葉の緑の対比、老壮の対比、雪と蔦の対比、ここら辺が見所。
土佐光吉の「紙本金地著色源氏物語図」はとにかく細部まで丁寧に描かれている。美しい彩色だけでなく、色の配置、構図のとり方など西洋美術にはない描き方や、細部までの驚くべきこだわりに驚いた。ことに緑色が美しく感じた。実際は読めないのだが、流麗なかな文字の美しさに見入った。
展示期間が極端に短いのはとても残念。普段はなかなか人の眼に触れることは少ないので、多くの人の眼に触れてもらうには、いろいろな制約はあるだろうが、もう少し長めの展示であって欲しい。
今回の指定されたものの一覧表は用意をされていたが、できれば図録までとはいわないが解説の一覧なども欲しい。実費程度の負担は揶揄無を得ないと思う。
贅沢を言えばキリがないが、写真も撮影できないのだから、A4で数ページのパンフなどがあればさらにうれしい。