Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

お見舞い2回目

2013年05月19日 23時16分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 入院している友人、というよりも先輩といった方が正しいのだが、本日二回目のお見舞いに出かけた。本日は私一人ではなく、二人の先輩Aさん、Iさんと一緒に三人で行った。
 前回の手術翌日の時と変わらず顔色はとてもいい。かえって入院前よりはお酒も煙草も禁止されている分、良いのかもしれない。栄養剤と痛み止めの点滴もはずされ、かなり自由に動き回れるようだ。昨日から重湯、そして本日からお粥と、食事の回復も早め早めに行われている。
 20年前に私の父親がやはり同じ病気で手術したときなどは、大きく開腹した手術でまるまる1ヵ月入院した。翌朝から歩行などとはまるで考えられなかった。無論70代後半で体力に恵まれていなかった私の父とは較べものにならないほどNさんは体力は備えている。そして10歳以上若い。 今回は小さな傷跡しかないようで、手術の方法も技術もずいぶんと進化したのだなぁとつくづく感心した。
 本日は体の休養日と考えていた。お見舞いに行く前にも出歩いたのは近くの園芸店まで荷物持ちとして妻のお供で往復しただけ。園芸店はとても混んでいた。この時期、園芸には良いじきなのだろうか。この買い物の後、お見舞いに出かける間を利用して退職者会のブロック版の会報を必要数打ち出し・印刷を終了。印刷は順調に処理できて助かった。
 さて、お見舞いにわざわざ出かけたのだからと、病院の帰りがけに三人で川崎駅前で軽くお酒を飲んだ後、川崎から横浜の自宅まで歩いてみた。途中雨が本格で気になり、時間もかかるようだったので新子安駅から東神奈川駅の間は電車を利用した。国道15号線を2時間かけて、ひたすら南下したのだが、特に車の交通量が多いわけでもなく、排気ガスに悩まされることなく(雨の煩わしさを除けば)快適に歩くことが出来た。
 病気見舞いにかこつけてお酒を飲み、運動がてらウォーキングにいそしむなど不謹慎といえば不謹慎だが、まぁ許してもらおう。

老いを実感する瞬間

2013年05月19日 12時45分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 老いを実感するというのは、40代半ばになった頃からか、同年代の友人たちとの語らいの中でよく会話に出てくるようになった。特に体や髪の変化、体力の衰えなど、自分の老いに対する戸惑い、驚きなどどう対処するか、どう頭の中で整理するか、笑いながらの会話が多かったのだがみんな切実だったのだと思う。。
 しかし最近はもうそのような話はあまりでなくなった。すでに体調について充分に自分の「老」に対して構えが出来てきたのかもしれない。あるいは諦念となっているのかもしれない。ただしこれからますます体調については「老」が切実になってくると思う。体の変化だけでなく、精神的に気力なども当然俎上に上がってくる。会話の俎上に上がらないからといって、そのことが各自の頭の中から消えたわけでは断じてない。ますます真剣に頭の中で処理・対応しているのだと思う。

 さてこんなことを述べたのは、今朝私に訪れたある瞬間がひっかかっているのだ。

 朝食がおわり、インコの世話をする直前にいつものとおり、顔を洗い口をすすぐために洗面所に向かった。ここでいつものとおり洗面台に向かったのだが、次の動作が出てこない。「あれ?何しに来たんだっけ」ではなくて、口をすすぐための歯磨きをするというのは頭の中ではわかっているのだが、そのための動作が出てこない。
 歯ブラシを手に取る、歯磨きのチューブを取るということがうまく関連付けることが出来なくて、15秒ほどだが、オロオロしてしまった。まず洗面台の横の棚の上にある歯磨きチューブ、アフターシェービングローション、ヘアジェル、果ては妻のハンドクリームこの4つの容器が並んでいるのだが、歯磨きチューブ以外に手が伸びかけて4つの周りを逡巡。次にいつもは最後に使う、目の前にある洗口液の器にまで手が伸びた。どれも違う違うと思っても正しい選択である歯磨きチューブで手が止まらない。どうしてこれではいけないのか、と他の三つの容器の前で逡巡してしまう。正しい選択に行き着かないもどかしさと苛立ちがわいてくる。ふと何となく歯ブラシの立てかけてある金属のコップの上に手が行ってようやく我に返ったように思考がもどった。歯ブラシを取って歯磨きチューブを手にするという順番と、意識が戻ってきた。
 
 この後いつものとおり、歯磨き・洗口液、顔洗いとつつがなく進めることができた。とてもほっとはしたが、この15秒くらいと感じられた逡巡の時間、とても長く感じられた。あの焦りともどかしさと苛立ちの不快感だけが心にいつまでも残っている。そして最初に述べた15年前からのことをふと思い出したのだ。
 体調や体力での老いの体験は、共有する場があればそれは共通の課題として納得しながら、笑い飛ばしながら、自分の心の中で着地点が見つかる。しかし今朝のこのこのような体験は、現役の頃なら同じように共有できるのかもしれないが、退職して一人で噛み締めるにはちょいとつらい。それでも多くの人が一人で対処してきているのだろう。
 このようなことが今まで皆無かといえばそんなことはない。あまり見ないテレビに出てくる人の名前はもともと興味がないからほとんど覚えないが、それでも若い頃は一度聴けば覚えたが、40代のころからまず何回聴いても覚えなないのでもう聞かない。いつもあっている人の名前が出てこなくなる場面が50代を過ぎてオ行ってきた。現役を離れると会う機会もなくなるので、会話していても人の名前が出てこなくなる場面はもっともっと増えるだろう。
 しかし今朝のようなもどかしさ、苛立ち、不快感は初めてのような気がする。記憶にない。妻に話したら「一瞬次のことが出来なくなるって、危険だよ」と不安な顔をした。妻は「妻や子どもの顔がわからない、道路を歩いていて信号の意味が一瞬わからなくなる。危険回避のとっさの行動がとれない。」などのことを大きく飛躍して想像したのかもしれない。

 実は、半年ほど前からいつも持ち歩くリュックのポケット、小銭入れ、カードケース、ジョギング中の薬・鍵入れなどに、氏名・住所・電話番号・妻や子供の連絡先などを記載した名刺を入れることにした。妻は「出かけるときは氏名・住所・連絡先を書いたカードを首からぶら下げなければならなくなるよ」と飛躍して心配している。わたしから言わせるとそれはお互い様の状況だよと思うのだが、それは口には出してはいわない。