もう肩書きのついた名刺は御用済み、二度と持つことはないと気楽に考えていたら、本日組合の退職者会として「○○退職者会△△ブロック代表◎◎××」という肩書き付の名刺を支給されてしまった。
今の組合員で退職予定者へ退職者会への勧誘のために利用するため、ということである。まあ必要なことは充分承知をしていたが、あらためてこの肩書き付の名刺を見て、これは棺おけに足を突っ込むまでお付き合いせざるをえないんだな、とあらためて「しょうがないか」という気持ちになった。
別にしんどいわけでもないし、自然体でそのような気持ちになっているので、憂鬱とか嫌だとかいうのではない。人間、一生足が洗えないものがあるというのは、それはある意味理解できる。一方でこれが自分が生涯をかけてやってきたことの意味なのかといろいろと考えるきっかけにはなる。これがさまざまな人と培った関係に付随する感慨も、後悔も、愛憎もすべて飲み込んでいくということなのだろう。これは読んだ人にはピンと来ない感慨かもしれない。
現役を退いてみると、これまで気にもしなかった本当に些細な小さなことにいろいろな感慨がわいてくる。ひとつひとつそれを記録していったらキリがない。とても疲れてしまう。もっとのんべんだらりといかないものか、とも思うがそうはいかない性分なのだろう。
今の組合員で退職予定者へ退職者会への勧誘のために利用するため、ということである。まあ必要なことは充分承知をしていたが、あらためてこの肩書き付の名刺を見て、これは棺おけに足を突っ込むまでお付き合いせざるをえないんだな、とあらためて「しょうがないか」という気持ちになった。
別にしんどいわけでもないし、自然体でそのような気持ちになっているので、憂鬱とか嫌だとかいうのではない。人間、一生足が洗えないものがあるというのは、それはある意味理解できる。一方でこれが自分が生涯をかけてやってきたことの意味なのかといろいろと考えるきっかけにはなる。これがさまざまな人と培った関係に付随する感慨も、後悔も、愛憎もすべて飲み込んでいくということなのだろう。これは読んだ人にはピンと来ない感慨かもしれない。
現役を退いてみると、これまで気にもしなかった本当に些細な小さなことにいろいろな感慨がわいてくる。ひとつひとつそれを記録していったらキリがない。とても疲れてしまう。もっとのんべんだらりといかないものか、とも思うがそうはいかない性分なのだろう。