Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

牙の研ぎ方

2013年05月28日 22時25分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は神奈川大学の市民向け講座の「歴史の中の日中韓関係」3回連続講座の最終回。講師は田畑光永氏、講座としてはとても面白かった。また私の知らない歴史的な展開も含めて説明があり勉強になった。以前にも記したが、講座の内容では個人的には多少の違和もあるが、それはそれとして素直に勉強できたと思う。

 現実に進行している日・中・韓、無論台湾も含めるが、この各国の政治の舵取りの難しい時に、各国の政治のトップこそが常に冷静に事態を見極めなければならないところだが、各国ともトップが冷静とは思えない、危うい事態であることが私にはとてももどかしい。そんな折の講座であった。
 内容についてはここでは触れずに、いろいろの人との話の中で活用していきたいと思う。


 さて、箱根湯本での泊まり、それぞれに懐かしい方ばかりでとても有意義であった。そして参加者の中に組合役員になる以前、就職した頃からいろいろ組合活動について助言をいただいたIさんがおられた。早速メールやブログのお互いの情報を交換して、このブログも紹介した。今でもIさんのブログは、盛んに社会に対して発信をしておられるようで、懐かしく且つすごいなと感じた。私などはその手のことはかなり後景に追いやってしまい、趣味の世界にどっぷりと浸かってしまったような観を呈している。

 そんな現状を見て時々昔の仲間から、「お前さんはすっかり牙を抜かれたのかい?」などと揶揄されることがある。私としてはそんなことはないし、現役の頃と今とは決して断絶なんぞしていない。そのまま繋がっていると思っている。昔も今も、自分は何ら変わっていないと自負している。ただ現れる仕方が変化しただけと思っている。あるいは牙の造形が変わって見えるのかもしれない。しかし牙は牙だ。
 そう、牙は常に、今も研ぎ続けているつもりだ。

 しかし牙を研ぎ続けることが人生なのかといわれれば、そうではない。自分の納得する人生の結末のつけ方、充実した人生のための牙であって、牙を研ぐための人生ではない。そこら辺の若干のすれ違いが、昔から代わりばえせずに私の周りに多いのではないか、と最近自嘲気味である。

 明日は、講座と退職者会の予定が朝からお昼過ぎまで重なってしまっている。退職者会の予定を優先せざるを得ない。午後の予定がはっきりしない。朝からの予定が長引かなければ行ってみたい展示があるのだが‥。

 先日触れた入院中のNさん、無事明日退院する運びとなった。仕事は来月第2週くらいから再開とするらしい。何とか早めに社会復帰してもらいたいものだ。長い付き合いの友人、というよりも大切な先輩なので引き続き体をいたわってもらいたい。

 本日も少々内容のない、曖昧な話が続してしまったが、ご容赦を。