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日本では涅槃図、寝釈迦は極めて珍しいと図録に記載されている。
確かに釈迦の周囲に菩薩・弟子、天人、各種動物などを書き込んだ絵画は幾つも見た記憶があるのだが‥。日本でもこのような像が作られていたのかと興味がわいた。東南アジアなどでは良く見る像だと思う。
鎌倉時代中期、13世紀の作で匝瑳市の所蔵とのこと。
私は衣の衣紋の何重にも重なった同心円状の曲線がとても美しいと感じた。また台の蓮華紋の繰り返しも美しい。これも決まったポーズで作られていると思われるが、顔の表情も惹かれる。私もこのような柔和な顔が身についたらいいなと思う。
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この仏頭に展示室でであったときはビックリした。高さが113センチの鋳物の頭がのっと出てきた。鎌倉時代、13~14世紀の作でいみす市郷土資料館蔵。これは模造品ということであった。
頭に残る髪形からは菩薩の形と思われたが、完成品ならば推定3丈≒9メートル以上ということで、菩薩の形状をとる大日如来らしい。図録によると地元でも「大門の大日様」といわれているとのこと。
無論慶派の仏師が原型をつくり鋳物師が手がけたのであろうが、胴体はどうしたのであろう。頭部のみ残っているとのことだ。
鉄の鋳造仏は「鎌倉時代東国に多いため造像の背後には武士団の鉄に対する殊更なる思い入れがあったと推定される」。出来たと思われる年代は上総鋳物師の活動期と重なり、その記念碑的な作例と見なされる。上総鋳物師は鎌倉時代中期、上総中央部で活動し、梵鐘などに在銘作例が多く、仏像の製作にも携わった」と書かれている。
鉄の精錬・生産集団と武士団との関係など歴史的に貴重なものらしい。
私は大きい割に端正で静かな思念の様相に見えるこの顔が気に入った。温かみのある表情ではないだろうか。見ていてとても静かな心持になる。仏像の持つ不思議な魅力を備えていると思った。
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その他にもいろいろと興味を惹くものが多かった。仏像のほか、10点ほどの絵画が展示されている。なかでも4組の十六羅漢図などが面白かったが、そのうちの一組にビックリした。狩野一信の十六羅漢図と対面した。そういえば一昨年の今頃江戸東京博物館で狩野一信の五百羅漢図を見た際に図録の解説に成田山新勝寺に十六羅漢図があると書いてあった。狩野一信という画家がこだわりつづけた羅漢に、今回図らずも対面することが出来た。
まず展示されていたのは、江戸時代、17世紀のもので大慈恩寺像。これは一説には中国明の時代ともいわれるようだ。16幅の墨絵だが、それぞれ一緒に描かれている武人・童子なども丁寧に表情豊かに描かれていてとてもおもしろい。
二組目が時代が遡り、中国元時代の彩色の作品で法華経寺蔵。かなり損傷があり表情がはっきりしない。一幅に一人の羅漢だけが描かれており、動きも無く表情の多様さを見るという感じではない。もともとの羅漢図はこのようなものだったのだろう。
三組目は、室町時代15世紀の中国のものの日本での模造品で4幅のみ。弘法寺蔵。各幅に羅漢一人と幾人かの童子が書き込まれているが、表情は温和なものである。全体がこの表情で統一されているのかはっきりしないのが残念。
四組目が狩野一信の二幅に描かれた十六羅漢。彩色は無く水墨画であるが、他の三組とは違って表情・仕草が実に自由闊達、さまざまな格好をしている。議論する者、瞑想するもの、縫い物をする者、座禅を組む者、読んでいる者、何かの術をしている者などなど。一組目のものといい、江戸時代にこのように羅漢の表情・仕草か豊かになり、庶民性を獲得したのかもしれない。その集約点に狩野一信の画業があるような気がしてきた。
最後の展示が日蓮とその後継者たちの像を描いた絵を中心にした一室だったがこれについては省略させてもらう。