Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「仏像半島」展(感想4)

2013年05月18日 16時54分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 日本では涅槃図、寝釈迦は極めて珍しいと図録に記載されている。
 確かに釈迦の周囲に菩薩・弟子、天人、各種動物などを書き込んだ絵画は幾つも見た記憶があるのだが‥。日本でもこのような像が作られていたのかと興味がわいた。東南アジアなどでは良く見る像だと思う。
 鎌倉時代中期、13世紀の作で匝瑳市の所蔵とのこと。
 私は衣の衣紋の何重にも重なった同心円状の曲線がとても美しいと感じた。また台の蓮華紋の繰り返しも美しい。これも決まったポーズで作られていると思われるが、顔の表情も惹かれる。私もこのような柔和な顔が身についたらいいなと思う。



 この仏頭に展示室でであったときはビックリした。高さが113センチの鋳物の頭がのっと出てきた。鎌倉時代、13~14世紀の作でいみす市郷土資料館蔵。これは模造品ということであった。
 頭に残る髪形からは菩薩の形と思われたが、完成品ならば推定3丈≒9メートル以上ということで、菩薩の形状をとる大日如来らしい。図録によると地元でも「大門の大日様」といわれているとのこと。
 無論慶派の仏師が原型をつくり鋳物師が手がけたのであろうが、胴体はどうしたのであろう。頭部のみ残っているとのことだ。
 鉄の鋳造仏は「鎌倉時代東国に多いため造像の背後には武士団の鉄に対する殊更なる思い入れがあったと推定される」。出来たと思われる年代は上総鋳物師の活動期と重なり、その記念碑的な作例と見なされる。上総鋳物師は鎌倉時代中期、上総中央部で活動し、梵鐘などに在銘作例が多く、仏像の製作にも携わった」と書かれている。
 鉄の精錬・生産集団と武士団との関係など歴史的に貴重なものらしい。
 私は大きい割に端正で静かな思念の様相に見えるこの顔が気に入った。温かみのある表情ではないだろうか。見ていてとても静かな心持になる。仏像の持つ不思議な魅力を備えていると思った。

   

 その他にもいろいろと興味を惹くものが多かった。仏像のほか、10点ほどの絵画が展示されている。なかでも4組の十六羅漢図などが面白かったが、そのうちの一組にビックリした。狩野一信の十六羅漢図と対面した。そういえば一昨年の今頃江戸東京博物館で狩野一信の五百羅漢図を見た際に図録の解説に成田山新勝寺に十六羅漢図があると書いてあった。狩野一信という画家がこだわりつづけた羅漢に、今回図らずも対面することが出来た。
 まず展示されていたのは、江戸時代、17世紀のもので大慈恩寺像。これは一説には中国明の時代ともいわれるようだ。16幅の墨絵だが、それぞれ一緒に描かれている武人・童子なども丁寧に表情豊かに描かれていてとてもおもしろい。
 二組目が時代が遡り、中国元時代の彩色の作品で法華経寺蔵。かなり損傷があり表情がはっきりしない。一幅に一人の羅漢だけが描かれており、動きも無く表情の多様さを見るという感じではない。もともとの羅漢図はこのようなものだったのだろう。
 三組目は、室町時代15世紀の中国のものの日本での模造品で4幅のみ。弘法寺蔵。各幅に羅漢一人と幾人かの童子が書き込まれているが、表情は温和なものである。全体がこの表情で統一されているのかはっきりしないのが残念。
 四組目が狩野一信の二幅に描かれた十六羅漢。彩色は無く水墨画であるが、他の三組とは違って表情・仕草が実に自由闊達、さまざまな格好をしている。議論する者、瞑想するもの、縫い物をする者、座禅を組む者、読んでいる者、何かの術をしている者などなど。一組目のものといい、江戸時代にこのように羅漢の表情・仕草か豊かになり、庶民性を獲得したのかもしれない。その集約点に狩野一信の画業があるような気がしてきた。

 最後の展示が日蓮とその後継者たちの像を描いた絵を中心にした一室だったがこれについては省略させてもらう。


「仏像半島」展(感想3)

2013年05月18日 00時38分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 千葉市美術館で開催されている「仏像半島」展の感想の3回目。今回は鎌倉時代の仁王像と四天王像。

   

 鎌倉時代の部屋に入ると、等身大の四天王像が部屋からはみ出んばかりの大きさで立っている。会場は広いのだが、思わず後ずさりしてしまいそうな迫力であった。鎌倉時代後期13世紀後半から14世紀前半の作品で勝覚寺蔵。4体とも像高が2mを大きく越える。
 図録の解説にあるとおり体のバランスが良く、いかめしい顔の迫力満点の四天王であると思った。ここに展示されている平安時代のどこか控え目で、都から東国の「鄙びた」というのがあたっているかどうかはわからないがそんな感じもする像から、目と鼻の先の鎌倉が政治と仏教文化の大きな中心となってその力がそのまま房総半島に影響を与えてるような感じの像に変化したのかなと感じた。政治、それも力を全面に押し出した政治の、表舞台の影響を直接に受けるようになったためだと思う。それがこの像の迫力の源ではないだろうか。
 慶派の仏像は衣の彫りが深いことなどがあるが、同時に造形のより人間的なリアルさを追求するような感じがする。また全体に動きがある。それはなかなか魅力的なのだが、それでも下半身と上半身のバランスが不釣合いだと私は感じている。別の言い方をすればこれらの闘いの場面のような姿態にもかかわらず、腰が高い。人間がこのような力を貯めた姿勢をとったり、格闘技で次の動作を想定するときはもっともっと腰が低くなくてはいけないはずだ。腰高なのである。上半身にだけ力と動きがある。下半身は力はこもっているが、動きがなくその力が上半身の力と関連がないように見える。仏教の伝来した世界でも例がないほどその造形は進化したが、それでも日本の仏像に対する私なりに違和を感ずる。同時に親しみもわく。不思議な感覚だ。
 しかしそのような違和感を吹き飛ばすようなこの4体の四天王像の迫力である。これが薄暗い本堂にあり、蝋燭の照明に照らし出されている光景を想像すると、ある意味とても怖い存在だろう。人を大きく威嚇し、恐れさせて、それで信仰を迫るような力がある。一方で、踏みつけられる邪鬼の諦念のような、「しょうがないな、四天王の顔を立ててやるか」とでも言い出しそうな、あるいは眠っているような表情が何ともいえずいい。
 


 この2体の金剛力士像は高さ170センチメートル余ある。鎌倉時代13世紀前半の作らしい。薬師寺蔵。
 この2体は寺の門の左右に立っていたのだろうか。それにしては小さいから本堂の中で、仏像を守るように配置されているのだろうか。ともに両肩の筋肉が異様に強調されているが、それほどの違和感はない。
 あえて違和感のあるところを探せば、阿吽両像ともに右の手が迫力がなく、すこし不自然な形に見える。吽行像でいえば指を開いた形右手、阿行像でいえば手を下に伸ばした右手、ともに力が入った造形には今ひとつ。別の誰かが後期にいじったかもしれないと感じた。
 吽行像の右手はもっと前に突き出した方が正面から見るものにも実在感がある。阿行像の右手は肘に丸みをつけた方が力がみなぎって感じるのではないだろうか。いづれもあるいは型があるのであろうが、素人目にはその方がリアルで迫力が向上するようにおもった。鎌倉時代の仏師に文句をいっても意味は無いのだが。
 しかしそれに較べてともに指を握っている向かって左の手はなかなか力がこもっている。
 この足、先ほども書いたとおりもう少し腰高を解消したらもっといいと思う‥。ただし両足の指がすべて下側に曲がっているように見えるが、それがこの像のポイントに思えた。元のままの造形なのかどうかはわからないが、足の指で大地を力強く踏みしめている形になっている。強調さていなくてさりげない曲がりだが、この指の曲がり具合にも見とれた。



 最近は仏像といっても如来・菩薩像、不動明王像などのように単体で安置されたり、拝まれたりする像を見る機会が多かった。このように幾つもの眷属をしたがえたセットの像を見るのも楽しい。特に眷属は、十二神将や四天王、二十八部衆などは表情にいろいろなものがあり、仕草も人の仕草を真似ているので、見飽きることはない。上半身と下半身のバランスで違和感があるとは書いたが、それでも鎌倉時代の作品の力にあらためて心惹かれた。
 今回の展示、このようなことにも配慮した展示となっており、好ましい展示方法だと思いうれしかった。