Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「河鍋暁斎の能・狂言画」展を見る

2013年05月15日 22時59分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は午後から三井記念美術館で開催中の「河鍋暁斎の能・狂言画」展を見てきた。河鍋暁斎については骸骨のや幽霊・おばけの絵の印象ばかりが先にたってしまう。しかし暁斎という人、一筋縄ではいかないとんでもない大きな巨人のような画家であるらしい。らしい、というのは私もその全体像を理解していないからだ。どうも暁斎の世界に足を踏み入れると、その豊穣な世界で溺れてしまうかもしれない、足を洗うことが出来なくなるような画家であるらしい。
 河鍋暁斎は、7歳から9歳まで歌川国芳に浮世絵を学び、10歳から狩野派の絵を学んだという。かなりの早熟で才能を早くから発揮していたたらしい。真実かどうかはわからないが、9歳で神田川の洪水でながれついた生首を写生したという逸話があるという。写生ということに対する暁斎の執着を言い伝えた逸話のようだ。
 狩野派の修行時代に能・狂言を本腰を入れて学んだという暁斎の能・狂言を題材にした絵は、幽霊やおばけの絵の世界とはうって変わった「まじめ」な世界だ。狩野派が能・狂言を描くのは、お家芸でもある。
 今回は図録を買わなかったが、舞台での役者の仕草が実に生き生きとした写実である。しかも大きなダブダブの能衣装の下にあると思われる人体の形までもが想像できるようにリアルな姿態である。それは下絵の線描をみるとさらに納得する。人間の体の線を髣髴とされるような線の美しさがある。昔見た自由に動き回る骸骨が衣装の下に隠れているかのようだ。演者や演目の緊張感も伝わってくる。
 そしてもうひとつ感じたことは、これらの絵と、あの骸骨やおばけの絵はけっして別々のものではなく、浮世絵的な世界と、狩野派の世界は暁斎の絵の中では一体のものとなっていると言うことが了解される。統一された世界なのだということがわかる。
 舞台の一場面、一瞬を切り取っているのだが、演者の緊張、視線の方向が伝わる。そして、次の動作の方向なども想像することが出来る。
 葛飾北斎が北斎漫画で世の中のあらゆるものを貪欲に写生つくそうとしたのと同じくらい、あるいはそれ以上の執念を持ってこの世のすべて、すべての人間の姿態を描きつくそうとしたように見受けられる。能・狂言の所作を描きつくそうとしかのような画帳など実に丁寧に仕上げてある。ヨーロッパに百科全書派とか博物学とかの膨大な事物を集成しようとした動きがあったが、まさに日本の江戸時代というのは絵も書物もそのような時代だったのかもしれない。事物・社会・自然に対する飽くことのない人間の関心の深さを思い出させてくれる。
 原宿の太田記念美術館での「北斎と暁斎 奇想の漫画」展もやはり見に行かねばならないようだ。
 しかしあまりのめりこんで足が抜けなくならないように用心して、暁斎の世界を覗かなければならない。同時にすこしはキチンと勉強しないと何も語ることが出来ないのも事実だと思う。このエネルギーにはキチンと敬意を表さないと大やけどを負いそうである。
 絵の迫力にたじろいでしまった。取り合えず今日のところはここまでにしないといけない。

ウィンドブレーカー

2013年05月15日 11時45分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 この時期、朝・夜と昼間の温度差が大きく、着る物に悩むことが多い。夜遅く帰る時や、朝早く出るときは長袖が欲しくなる時がある。昼間は半袖がいい。そしてズボンも昼間は半ズボンが欲しいくらいだ。
 しかし一番困るのは、クーラーだ。クールビズということで設定温度も高くなってきたし、特にこの二年間、震災以降は節電ということでクーラーの稼動も弱くなっている。ところが客商売の店、特に飲食店は難しい。ランチタイム時、厨房の熱もあり従業員は汗をかいて走るまわっている。客のほうも食べると汗をかきやすくなる。クーラーの設定温度やクールビズの意義についてもアルバイトの高齢の女性たちの多くは極めて無頓着である。客もまた、暑い・寒いといいたいことをいう。オフィスでの我慢がランチタイムの店で爆発するかのようだ。しかも不思議なことに背広を着たまま汗を拭いているサラリーマンが多い。着脱な面倒なのだろうか。単に融通が利かないだけなのだろうか。そしてだいたいクーラーを強くする事を要求する。すると従業員は待ってたとばかりにクーラーを強くする。彼女たちにしてみれば動き回ることで暑さがこたえているのだろう。でもその措置にいやな顔をする客も多い。
 私はあの空調やクーラーの風が極めて嫌いなのだが、その風が当たる場所に案内するのがサービスだと勘違いしている従業員が多い。私が「風が来て嫌だから場所を変えてくれ」というと不思議な顔をされることが多い。弱いとはいえオフィスの空調でつらい思いをしている女性にとっても、せめてランチタイムくらいは空調の風が来ないところを望む方も多いようだが、この意識の落差はなかなか埋りそうもない。
 この時期いつも軽くて小さくたためるウィンドブレーカーをリュックに入れて持ち歩いている。女性たちが羽織るものを持ち歩くように。私は夏の間中、このウィンドブレーカーとタオル2枚が手離せない。ハンドタオルやハンカチでは間に合わないので、梅雨が明ける前からオジサンらしく堂々とタオルで頭から滴り落ちる汗を拭っている。そして店に入れば、汗がひいたらすぐに長袖のウィンドブレーカーを着る。なんとも無駄なことをしているのかと思う。
 高層ビル街のビル風は冬場はつらいが、30度位ならば夏場はうれしい。その程度ならば照り返しはつらいが日差しの陰を歩けば何とかなる。それでも35度越えなどというのは殺人的な暑さである。こんな中を60歳を越えてわざわざ歩いているなんていうのは、我ながらあきれる。しかし65歳を越えてまだまだ仕事をしてこのビルの間を歩きまわっている人、歩き回らざるを得ない人に較べたら、私などは酔狂の部類だろう。

 本日はこれから三井記念美術館の「川鍋暁斎の能・狂言画」を行く予定。帰りに入院した友人のN氏を見舞いに行くつもり。