本日は午後から三井記念美術館で開催中の「河鍋暁斎の能・狂言画」展を見てきた。河鍋暁斎については骸骨のや幽霊・おばけの絵の印象ばかりが先にたってしまう。しかし暁斎という人、一筋縄ではいかないとんでもない大きな巨人のような画家であるらしい。らしい、というのは私もその全体像を理解していないからだ。どうも暁斎の世界に足を踏み入れると、その豊穣な世界で溺れてしまうかもしれない、足を洗うことが出来なくなるような画家であるらしい。
河鍋暁斎は、7歳から9歳まで歌川国芳に浮世絵を学び、10歳から狩野派の絵を学んだという。かなりの早熟で才能を早くから発揮していたたらしい。真実かどうかはわからないが、9歳で神田川の洪水でながれついた生首を写生したという逸話があるという。写生ということに対する暁斎の執着を言い伝えた逸話のようだ。
狩野派の修行時代に能・狂言を本腰を入れて学んだという暁斎の能・狂言を題材にした絵は、幽霊やおばけの絵の世界とはうって変わった「まじめ」な世界だ。狩野派が能・狂言を描くのは、お家芸でもある。
今回は図録を買わなかったが、舞台での役者の仕草が実に生き生きとした写実である。しかも大きなダブダブの能衣装の下にあると思われる人体の形までもが想像できるようにリアルな姿態である。それは下絵の線描をみるとさらに納得する。人間の体の線を髣髴とされるような線の美しさがある。昔見た自由に動き回る骸骨が衣装の下に隠れているかのようだ。演者や演目の緊張感も伝わってくる。
そしてもうひとつ感じたことは、これらの絵と、あの骸骨やおばけの絵はけっして別々のものではなく、浮世絵的な世界と、狩野派の世界は暁斎の絵の中では一体のものとなっていると言うことが了解される。統一された世界なのだということがわかる。
舞台の一場面、一瞬を切り取っているのだが、演者の緊張、視線の方向が伝わる。そして、次の動作の方向なども想像することが出来る。
葛飾北斎が北斎漫画で世の中のあらゆるものを貪欲に写生つくそうとしたのと同じくらい、あるいはそれ以上の執念を持ってこの世のすべて、すべての人間の姿態を描きつくそうとしたように見受けられる。能・狂言の所作を描きつくそうとしかのような画帳など実に丁寧に仕上げてある。ヨーロッパに百科全書派とか博物学とかの膨大な事物を集成しようとした動きがあったが、まさに日本の江戸時代というのは絵も書物もそのような時代だったのかもしれない。事物・社会・自然に対する飽くことのない人間の関心の深さを思い出させてくれる。
原宿の太田記念美術館での「北斎と暁斎 奇想の漫画」展もやはり見に行かねばならないようだ。
しかしあまりのめりこんで足が抜けなくならないように用心して、暁斎の世界を覗かなければならない。同時にすこしはキチンと勉強しないと何も語ることが出来ないのも事実だと思う。このエネルギーにはキチンと敬意を表さないと大やけどを負いそうである。
絵の迫力にたじろいでしまった。取り合えず今日のところはここまでにしないといけない。