★ひんやりと人の影ゆく雛の家 廣瀬直人
★古雛の涙のあとの三すじほど 岸本マチ子
歳時記を紐解くと、雛、雛祭り、雛飾り、雛人形、吊し雛など多数の派生的な語が並び、そして例句もたくさん並ぶ。それだけ雛祭りは多くの家で祝われる行事なのだろう。我が家も娘が20代の頃は、本人が独立して家に寄り憑かなくなっても、妻は夫婦雛を飾っていた。しかし今はもう押入れに入ったままである。
むかし、私が小さい頃近所の家でも雛飾りを豪華に飾っていた。しかし当時は一軒家の平屋でも部屋数は多く、雛人形を飾る部屋はあまり人が出入りすることもなく、寒々しい部屋に飾っていた。それでもその家の
同じような歳の娘さんは和服を期せられ、嬉しそうに私などに飾りを見せてくれたものである。その時だけはとても大人びて見え、ちょっと不思議な感覚であった。
同時に古い雛人形は顔や着物にシミがあったのを記憶している。目の下に涙の痕のようなシミもあった。あれはどのな具合にできるのだろうか。代々その家の女性たちの思いがあの涙のあとなのだろうか。小学生のそれも低学年ながら、どこでそんなことを教わったのか、記憶にはないが、私はそんな感情を抱いていた。あるいはそれは後年の知識が入り込んだのか。はっきりしない。
★古雛の涙のあとの三すじほど 岸本マチ子
歳時記を紐解くと、雛、雛祭り、雛飾り、雛人形、吊し雛など多数の派生的な語が並び、そして例句もたくさん並ぶ。それだけ雛祭りは多くの家で祝われる行事なのだろう。我が家も娘が20代の頃は、本人が独立して家に寄り憑かなくなっても、妻は夫婦雛を飾っていた。しかし今はもう押入れに入ったままである。
むかし、私が小さい頃近所の家でも雛飾りを豪華に飾っていた。しかし当時は一軒家の平屋でも部屋数は多く、雛人形を飾る部屋はあまり人が出入りすることもなく、寒々しい部屋に飾っていた。それでもその家の
同じような歳の娘さんは和服を期せられ、嬉しそうに私などに飾りを見せてくれたものである。その時だけはとても大人びて見え、ちょっと不思議な感覚であった。
同時に古い雛人形は顔や着物にシミがあったのを記憶している。目の下に涙の痕のようなシミもあった。あれはどのな具合にできるのだろうか。代々その家の女性たちの思いがあの涙のあとなのだろうか。小学生のそれも低学年ながら、どこでそんなことを教わったのか、記憶にはないが、私はそんな感情を抱いていた。あるいはそれは後年の知識が入り込んだのか。はっきりしない。