Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

鶯の初音

2018年03月04日 23時26分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日はずいぶん歩いた。風が強かったが、ベスト1枚だけを上に着て新横浜駅前の喫茶店までちょうど1万歩を往復。喫茶店で30分だけだが、読書タイムののち、再びウォーキングで帰ってきた。気持ちのいい汗もたくさんかいた。

 さて、先ほど歳時記を見ていて気がついたが、昨年の今ごろはわが団地の中でウグイスが盛んに鳴いていた。しかし今年はまだウグイスの声を聞かない。ちょっと待ち遠しい。

★また来てはうぐいす舌の足らず啼く    岡田守生
★鶯の初音に風の膨らみぬ         三浦克實


 鶯の声というのは聞き飽きるということがない。瑕疵なく鶯の声もいいが、どこかスムーズではなかったり、変な鳴き方であっても、舌足らずの啼き方であっても次の鳴き声を待ってしまう魅力がある。舌足らずな鳴き方を聞くと多くの人が若い鶯が練習をしてうまく鳴くのが待ち遠しい、という。しかし私は若い鳥というのではなく、毎年鶯のオスは歌を忘れているのではないか、と思っている。毎年練習をして思い出しているのではないか。毎年最初から鶯らしく啼く鶯の声を聞いたことが無いと思う。私の聞き間違いだろうか。
 そして鶯の声を聞いて空気や春の風が膨らむという第2句、春の暖かさを感じる。



川瀬巴水「平泉金色堂」

2018年03月04日 21時00分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 版画研究家の清水久男氏によると、1957年、川瀬巴水は胃癌手術を受け、退院後この作品の原画を描き始めた。
 病との闘いや構図へのこだわりから僧侶の位置が定まらず幾度か書き直されたとのことである。清水氏は「右手で笠を掲げようとする僧侶の姿に巴水がその生涯を重ねたともいわれる。」と記している。
 長女の文子氏は「病床の身でありながら、絵のことが心配で寝たり起きたりしていました。前に金色堂を描いたときは描かなかったお坊さんを、最後の絵に描きこんだのも虫の知らせだったのでしょうか」と記しているとのこと。巴水は作品の完成を見届けることなく、11月27日に永眠。版元は「絶筆」としたという。巴水の百箇日法要に妻子、友人・知人に贈呈されたとのことである。
 私はこの作品の全体の構図や雪の積もる様子、金色堂の茶色と雪の白、樹木の青の対比が好きになった。ただしはじめは、僧侶の足跡が鮮明でないことに違和感を持った。しかし絶筆であることや、描かれた時期のことを知り、幻影としての僧侶であれば、不鮮明な足跡こそふさわしいのではないか、と感じるようになった。右手で笠を挙げて金色堂を見ようとする僧侶、そこまで物語性をこの絵に意味づけをする必要はないように思えるが、それは私の見方というしかない。
 巴水の姿を僧侶に投影するかどうかは見る人の思いだが、金色堂の向こうに人が消え去るように進んでいく、という解釈は確かに魅力的である。僧侶の足そのものが消えかかっている。
 私の好きな巴水の作品である。

気分も天気も上々

2018年03月04日 13時42分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 会議等は昼で終了。宿題もあるが、本日ものんびりと一人で出かけることにした。部屋の中にいるかぎりは気持ちのいい天気である。しかし暖かい風が強い。ベランダにおいてあるゴミ用のぴのーる袋が危なく飛んでいきそうになり慌てて重石を置いた。11時前に最大瞬間風速14.6メートルとなっていた。

 昨晩、退職者会ニュースの校正刷りが早くも届いた。1~2か所の訂正だけでゴーサインが出せるようだ。
 スムーズにものごとが進行すると気分がよくなる。