Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

上限の半月

2018年03月24日 23時05分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 団地の管理組合の打合せが先ほど終了。夕食は早めに済ませていたが、お酒は飲まなかった。この打合せが終わってから飲もうと考えていたものの、夜のウォーキングまでに醒めないと困るので、本日はアルコールは断念。昨晩だいぶ飲んだこともあり、すんなりと本日は自粛とすることにした。

 夜のウォーキングに出かけたところ、久しぶりに月を見た。天気が思わしくなく、月とも顔を合わせていなかった。満月よりも半月、それも夜中に西の空にある上限の半月前後に、私は月に親しんでいる。三日月もいいが、このくらいの月の明るさがいい。

 明日は日曜日。だが、朝早くから管理組合の作業や会議など、総会に向けた準備に追われることになっている。
 本日はもう寝ないと朝起きられそうもない。

大倉山梅林の花見

2018年03月24日 21時32分24秒 | 山行・旅行・散策
      

 本日は大倉山の梅園に桜を見に出かけた。大倉山駅では、大倉山梅林の梅を主に使ったという梅酒「梅の薫」を2本購入。リュックに入れて帰ってきたが重かった。
 サクラは梅林の外周にいろいろな種類のものが咲いていた。樹名が記されていないので、どんなものかはわからなかった。遠目に目だったのは真っ白なサクラ。白いサクラは葉も同時に出てあまり目立たないのが多いと思っていたが、ソメイヨシノのように花がとても目立ち、葉は出ていなかった。梅林だけあって梅はいろいろな樹名を記した板ががぶら下がっているのだが、素人にも分かるようにサクラにも樹名板が欲しいと感じた。園内には梅の時ほどではないが、いくつかのグループがシートを敷いて花見を楽しんでいた。

 梅の中で「緑萼梅」と名のついた梅がある。花はあまり目立たないのだが、萼が緑色である。今の季節、花が散って萼が残っており、萼の緑が鮮やかで、花の時期よりも私には好ましく感じた。



春の雨、春驟雨

2018年03月24日 10時24分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 私のイメージでは、一昨日の夜の雨は弱かったのでいわゆる「春の雨」、昨日の雨はそれよりも強めで「春驟雨」という気分だったのだろうか。

★捨て鍬の次第に濡れて春の雨     山口青邨
★大仏の忽ちに濡れ春驟雨       上野 泰


 第1句、とても有名な句である。どういう経過で捨てられたのであろうか。たぶん大事にしていた鍬ならば、作業中に雨が降り出したから畑の中に放り出して人間だけが雨を避けていったという解釈にはならない。そもそも春の雨ならばそんなに強い雨ではない。何らかな事情で畑作業そのものができなくなり、打ち棄てられたのだろう。それも急なことだったのだろう。鍬には長年使ってきた人生が張り付いている。それが打ち捨てられて、春の雨のあとがひとつまたひとつと増えていく。黒くしみになっていく。少し明るいイメージの春の雨だが、ここでは陰鬱な、重い現実を想像してしまう。
 第2句、多分鎌倉の大仏のことを詠んだのだろうが、私は濡れるのは想像の大仏、想像の春驟雨だと思うことにした。春驟雨という季語を先に思い浮かべ、それが大仏を濡らしている、それが大仏の涙のようだと、取り合わせた。あるいは夢の中で大仏が濡れる様を見て、目が醒めたら春の雨が降っていた、というのか。大仏は奈良の大仏でも、西域の石窟の仏でもいい。あるいはどこかの寺にひっそりと安置されている仏像でもいい。「忽ち」に何やらドラマチックな物語を当てはめて想像するのは、頓珍漢な読みだろうか。それでもかまわない。