Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜のウォーキング

2018年03月27日 22時51分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 新しいメガネの状態を確かめるために本日は早めに夜のウォーキングに出かけ、ゆっくりと歩いてきた。
 しかし随分と歩きやすくなった。

 まず、車の前照灯の眩しさがずいぶん軽減された。これまでは前照灯が倍の4つに見えていたので、詩界全体が眩しくてライトを照らされると詩界全体が輝くようで、ほとんどものを見ることができなかった。それが、まずふたつしか見えないので、視界が光で見えなくなることがすくなくなった。そしてロービームにしてくれると、顕著に眩しさがなくなった。
 これはとても改善されたとおもう。

 さらに信号機は夕方と同じく二重に見えることはなかった。月も見えていたが、二つに見えないこともないが、二つの像はずいぶん近くに見えた。目を凝らすとひとつに見えた。

 その他、遠近感が回復し、暗く狭いところでも鮮明に見えた。暗がりでつまずくことも多分なくなると思われた。

 とりあえず、夜間でもこのレンズで十分に視界が改善していると実感できた。このメガネで当分満足できそうである。

本日の講座

2018年03月27日 22時35分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の古代史セミナーの講座は「古代日本の地域社会の仏教」と題して、慶応義塾大学の藤本誠助教の講演。
 「日本霊異記」を古代史研究者の視点で読み解くというもの。8世紀前半の村落の仏教の実態がどのようなものだったか、どのように仏教が受け入れらていたか、興味深かかった。
 同時に「東大寺諷誦文稿」という9世紀前半の官大寺が地域の法衣でどのような説法をしたかの草稿のようなものから、当時の地域の寺の存在を読み解いていた。さらに仏教に関わる年中行事が宮中の行事からどのように地域の行事に根づいたかについても、延喜式などから読み解いていた。
 いづれも興味深く聞くことができた。


「斜位」解消のメガネ

2018年03月27日 19時23分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方新しいメガネが出来上がった。「斜位」ということで、右目にプリズム機能を付け加えた。遠近両用メガネというのは、目に負担がかかる、との医師の説明であった。しかしメガネを二つ常用するというのは、私には到底無理である。フレームをもうひとつ購入するのは金銭的な負担で済むが(これもつらいことはつらい)、近いところを見るためのメガネはすぐに失くすか、壊してしまいそうである。また常に二つ持つのはとても煩わしい。

 17時近くに店を出て、メガネの具合を点検するために約80分ほど歩いて帰ったきた。日没から薄明にかけての時間帯、緩い坂、急坂、急な階段、緩い階段、信号機の見え方などなど。
 階段を上から見下ろした時の遠近感の無さも解消して、こわく感じなかった。近くの足もとの像は左右でキチンと見ているのであろう。山行でも大丈夫と思われる。
 信号機や遠くの電柱など二つに見えていたものは、解消できた。信号機は100メートルも離れると上側にかすかにもうひとつ見えるようにも思えるが、それだけ離れている場合は特に支障はない。50メートルでは鮮明にひとつに見えた。
 緩い坂、急な坂、ともに上からも下からも遠近感がはっきりとして見えた。
 ただし、遠くから近くに急に視点を移動すると目がクラっとする。これは今までの眼鏡をはじめてかけたときも同じ現象があり、少しずつ慣れるものだと思う。

 そして今パソコンのモニターとキーボードを交互に見ている。キーボードが実にはっきりと見える。今までは感でみていた。
 しかしもにちーの画面がうすくみえる。これはこれまでのレンズと同じである。改善ははていない。もう少し様子をみるしかない。
 総じて目の負担が軽くなったと思う。特に両目の外側の筋肉がとても楽になったと感じる。今まではふたつの像をひとつに合わせようとかなりの負担を目の周りの筋肉に強いていた可能性がある。それが解消されただけでも嬉しいことである。

 今晩、夜のウォーキングで、車の前照灯、夜の階段、斜面の感触を確かめたいと思う。


昨日から「近代日本一五〇年」(山本義隆)

2018年03月27日 10時59分25秒 | 読書


 昨日から読み始めた本は、「近代日本一五〇年-科学技術総力戦体制の破綻」(山本義隆、岩波新書)。今年の1月に購入してそのままになっていた。
 最後に記された「おわりに」にこの本の基本的な軸が記されていると思う。

「日本は、そして先進国と称されてきた国は、成長の経済から再分配の経済に向かうべき時代に到達したのだ。この二〇〇年間の科学技術の進歩と経済成長は、強力な生産力を生み出したが、同時に地球を何回も破壊できるだけの軍事力を生み、少数国による地球資源の収奪を加速させ、世界中の富をきわめて少数の人たちの手に集中させることになった。」

「限りある資源とエネルギーを大切にして持続可能な社会を形成し、税制や社会保障制度を通して貧富の差をなくしていくことが、現在必要とされている。」

「かつて東アジアの諸国を侵略し、二度の原爆被害を受け、そして福島の事故を起こした国の責任として、軍需産業からの撤退と原子力使用からの脱却を宣言し、将来的な核武装の可能性をはっきりと否定し、経済成長・国際競争にかわる低成長下での民衆の国際連帯を追求し、そのことで世界に貢献する道を選ぶべきなのだ。」