いつものように覚書として。
・ファンム・アンファンの楽園

・パウルクレー展を見て
「(クレー晩年の「静物」の左下にも表れる)ヤコブと天使との闘いを示すデッサンは二人の敵手の完全な融合、完全なアマルガムであって、互いに浸透し合体する二つの肉体を識別することもほとんど困難なくらい、両者は一個の統一体、一個の均質性に達している‥。聖書のなかに語られた夜の戦いに、これほど崇高な意義を与えた画家はこれまでに一人もいなかった。‥クレーがその内面の旅路の果てに、ようやく開かれた解脱の状態において、おのれと天使とを分かちがたい一個の未分化の存在として-いや、未分化というよりも融合した存在として、その画布の上に形象化したとしても不思議ではない‥。ヤコブはたぶん、クレーそのひとなのだ。」
・ビザンティンの薄明あるいはギュスターヴ・モローの偏執
「男性対女性の肉体的な差異は能うかぎり希薄化しているとはいえ、モローの気に入りのテーマは終始一貫、女性の美のなかに具現した悪と死のそれである。女性はモローにとって、常に危険なもの、禍々しいものの化身なのである。母親コンプレックスから抜け出ることができず、生涯独身を通したモローの女嫌い‥。」
「肉欲の伴わない芸術的衝動は、芯の個性とはなり得ないにちがいない。それと同じように、ひとつの時代の精神的雰囲気を代表するためには、その時代に徹底的に背を向けて、みずからの宇宙に沈潜する必要があるらしいのである。」
・ルドンの黒
「版画の魅力といえば、‥きびしく限定された、白黒のモノクロームの禁欲主義的な世界から成り立っているという点に、まず第一に指を屈しなければならない‥。古今東西の版画の中でも、この白黒の世界の魅力をもっとも高貴に、もっとも神秘的に、もっとも効果的に発揮することのできた画家が、オディロン・ルドンではなかったろうか‥。」
「ルドンの世界は、曖昧なものを剥ぎ取った、原始的な世界といってもよいほどで、顕微鏡で眺めた極地の世界のように、動物とも植物ともしれない、イメージの萌芽のようなものが無数に漂っている。原始の夜のような世界なのだ。混沌としているけれども、決して曖昧ではなく、明確な夢のヴィジョンである。」
「ルドンは晩年に、それこそ花がひらいたように、それまで白黒の禁欲主義のうちに圧縮していた色彩を、パステル画によって一挙に解放した。これは奇妙な方向転換のように思われるかもしれないが、‥黒のなかに潜在的にふくまれていたあらゆる色彩を、ただ解き放っただけにすきない‥。あれほど黒を尊重した芸術家にして初めて成し遂げられた、これは長い営みの末の論理的帰結だったのである。」
・ゴヤあるいは肉体の牢獄
「ゴヤは世界の完全な空しさ、完全な不条理を表現しようと考えたのであろう‥。秩序ある世界は単なる見せかけに過ぎないことを認識してしまった画家は、もはや悪夢だけにしか生きられなくなった。そして、悪夢はいつしか現実そのものとなったのである。」
・ファンム・アンファンの楽園

・パウルクレー展を見て
「(クレー晩年の「静物」の左下にも表れる)ヤコブと天使との闘いを示すデッサンは二人の敵手の完全な融合、完全なアマルガムであって、互いに浸透し合体する二つの肉体を識別することもほとんど困難なくらい、両者は一個の統一体、一個の均質性に達している‥。聖書のなかに語られた夜の戦いに、これほど崇高な意義を与えた画家はこれまでに一人もいなかった。‥クレーがその内面の旅路の果てに、ようやく開かれた解脱の状態において、おのれと天使とを分かちがたい一個の未分化の存在として-いや、未分化というよりも融合した存在として、その画布の上に形象化したとしても不思議ではない‥。ヤコブはたぶん、クレーそのひとなのだ。」
・ビザンティンの薄明あるいはギュスターヴ・モローの偏執
「男性対女性の肉体的な差異は能うかぎり希薄化しているとはいえ、モローの気に入りのテーマは終始一貫、女性の美のなかに具現した悪と死のそれである。女性はモローにとって、常に危険なもの、禍々しいものの化身なのである。母親コンプレックスから抜け出ることができず、生涯独身を通したモローの女嫌い‥。」
「肉欲の伴わない芸術的衝動は、芯の個性とはなり得ないにちがいない。それと同じように、ひとつの時代の精神的雰囲気を代表するためには、その時代に徹底的に背を向けて、みずからの宇宙に沈潜する必要があるらしいのである。」
・ルドンの黒
「版画の魅力といえば、‥きびしく限定された、白黒のモノクロームの禁欲主義的な世界から成り立っているという点に、まず第一に指を屈しなければならない‥。古今東西の版画の中でも、この白黒の世界の魅力をもっとも高貴に、もっとも神秘的に、もっとも効果的に発揮することのできた画家が、オディロン・ルドンではなかったろうか‥。」
「ルドンの世界は、曖昧なものを剥ぎ取った、原始的な世界といってもよいほどで、顕微鏡で眺めた極地の世界のように、動物とも植物ともしれない、イメージの萌芽のようなものが無数に漂っている。原始の夜のような世界なのだ。混沌としているけれども、決して曖昧ではなく、明確な夢のヴィジョンである。」
「ルドンは晩年に、それこそ花がひらいたように、それまで白黒の禁欲主義のうちに圧縮していた色彩を、パステル画によって一挙に解放した。これは奇妙な方向転換のように思われるかもしれないが、‥黒のなかに潜在的にふくまれていたあらゆる色彩を、ただ解き放っただけにすきない‥。あれほど黒を尊重した芸術家にして初めて成し遂げられた、これは長い営みの末の論理的帰結だったのである。」
・ゴヤあるいは肉体の牢獄
「ゴヤは世界の完全な空しさ、完全な不条理を表現しようと考えたのであろう‥。秩序ある世界は単なる見せかけに過ぎないことを認識してしまった画家は、もはや悪夢だけにしか生きられなくなった。そして、悪夢はいつしか現実そのものとなったのである。」


先日の美術の講座で資料として国立西洋美術館の広報誌「ゼフィロス」の73号を貰った。特集は「2017年度収蔵作品」ということで、ベルト・モリゾの「黒いドレスの女性(感激の前)」が取り上げてあった。
この「ゼフィロス#73」の解説によると「1875年頃に撮影されたモリゾ自身の肖像写真のドレスと、ほぼ同一であることから、モデルに自分の衣装を着せてポーズさせたもの」と記されている。モリゾはマネのモデルを1972年からしており、黒いドレス姿であったという。
この「黒いドレスの女性」は1976年の第2回印象派展に出品された「女性像」と馬淵館長は推定している。さらにこの作品は1901年、パリの画商林忠正氏の弟名義で購入されたものの、1905年の帰国前に手離された経過があるという。
黒いドレスと白いバラと手袋が印象的で、さらに背景の色合いと筆致もまた印象的である。常設展で見ることができるとのこと、是非訪れてみたい。
夜18時半から、全衆議院議長の横路孝弘氏の講演会。テーマは「憲法改悪!自由と民主主義の危機を語る」。講師を囲む懇親会も設定されている。会費3000円はすでに支払い済み。
懇親会のあとは仲間と二次会に参加することになりそうな気配である。
昼間は特に予定はないので、若干のウォーキングと読書タイムが確保できそうである。
本日26日(月)はこのgooのブログのシステムメンテナンスが8時半から12時と予告されている。いつもこのシステムメンテナンスというのが曲者である。前々回は数日不具合が続き、投稿用画面の英文字体が見にくいものに一方的に変えられたりした。今回も不具合が長時間続くことを想定しておいた方がいいと考えている。
しかも朝から正午までという時間帯である。作業する人のことを考えると、使用頻度の少ない深夜から明け方までにするよう求めることは酷であるとおもうが、私が気になることは前々回はこのメンテナンス作業者ばかりがクレームの前面に立ったということである。運営主体は表に出てこなかった。前々回のときの対応は企業の体質として評価できないのだが、今回はトラブルが発生した場合、どうするつものなのだろうか。腹立たしかったものの、このブログ、引っ越すわけにもいかず、イライラが募ること甚だしかった。今回はあのようなことのないようにしてもらいたいものである。
とりあえず、投稿予定していたものは、明け方までにアップしておくことにした。
懇親会のあとは仲間と二次会に参加することになりそうな気配である。
昼間は特に予定はないので、若干のウォーキングと読書タイムが確保できそうである。
本日26日(月)はこのgooのブログのシステムメンテナンスが8時半から12時と予告されている。いつもこのシステムメンテナンスというのが曲者である。前々回は数日不具合が続き、投稿用画面の英文字体が見にくいものに一方的に変えられたりした。今回も不具合が長時間続くことを想定しておいた方がいいと考えている。
しかも朝から正午までという時間帯である。作業する人のことを考えると、使用頻度の少ない深夜から明け方までにするよう求めることは酷であるとおもうが、私が気になることは前々回はこのメンテナンス作業者ばかりがクレームの前面に立ったということである。運営主体は表に出てこなかった。前々回のときの対応は企業の体質として評価できないのだが、今回はトラブルが発生した場合、どうするつものなのだろうか。腹立たしかったものの、このブログ、引っ越すわけにもいかず、イライラが募ること甚だしかった。今回はあのようなことのないようにしてもらいたいものである。
とりあえず、投稿予定していたものは、明け方までにアップしておくことにした。