Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「『快楽の園』を読む」

2018年03月17日 23時53分47秒 | 読書




 「『快楽の園』を読む」(神原正明、講談社学術文庫)を読了。というよりも目をとおした。いつものとおり覚書風に。
 著者は文庫版へのあとがきで次のように記している。
 「(私の研究動向としては)「快楽の園」から引き出されるボスを含む同時代の文化構造にある。‥1500年前後の中世末期からルネサンスへと移行する西洋の世界観を丸ごと結晶させた百科事典」という文章を見て、私はこの本を購入した。
 私の頭ではどうも「西洋の世界観を丸ごと結晶」化されているのは理解できなかった。
 やはり「結びにかえて」で著者は「「快楽の園」は無数のシンボルが織りなす曼荼羅のように、聖と俗の入りまじった夢の世界を演出している。ことに中央パネルに描かれた世界は、秩序雨正しく配置されて高邁な思想を隠しこんでいるようにも見えるし、全く逆にセクショナル・シンボルに彩られ、通俗的な駄洒落に終始する小噺集でもあるようだ。」
 「まだまだ分からないことが多過ぎるし、何とか図像の意味を知りたいという私たちの期待は、いつも裏切られたままである。‥できる限り客観性のある説を紹介したつもりであるが、この絵が制作されて以降、数百年の叡智を結集しても、うまく辻褄は合ってくれない。」
 私の基本的な疑問はいくら「客観性のある説を紹介し」ても、中世の全体像も、結晶化されたエッセンスも、そしてボスの描きたかったことも分からないだろうということである。著者の持つ中世の像を結ぶには、客観的な解説を幾ら並べても真実に、そして作者の求める像にはたどり着かないだろうということである。私は研究者でもないが、結局は自分で自分なりの中世の像を作り上げるしかないと専門家に突き放されてしまったようだ。
 私はあまりに求め過ぎたのだろうか。


つらい一週間であった

2018年03月17日 23時07分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく会議が終了。作った資料は訂正もなく役に立った。午後の読書の時間はほとんど取れず、そちらの方でストレスが貯まった。
 これから会議のまとめと宿題をこなしてから、缶酎ハイを飲みながら読書タイム。
 しかし管理組合の業務に振り回された一週間でもあったような気がする。これはつらい。

今月の肩の荷が軽くなる

2018年03月17日 13時57分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の夜の会議の資料作成終了。あとは夕方に人数分コピーして終了。ホッとした。疲労困憊、ではあるが肩の荷が極めて軽くなった気分である。向う1年はまだ月に2回この肩の荷が重くなる日が続く。

 これからコーヒータイム兼ウォーキングタイム。昨日とはうって変わって天気は上々。横浜駅付近の喫茶店で「「快楽の園」を読む」を読了する予定。