「遺言-対談と往復書簡」をじっくりと読み進んでいる。言葉は平易だが、むずかしいところがあり、進まない。丁寧に読みたい本である。
幻のえにし 石牟礼道子
生死(しょうじ)のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり
御身の勤行に殉ずるにあらず
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば
道行のえにしはまぼろし深くして
一期の闇の中なりし
ひともわれも いのちの真際 かくばかりかなしきゆえに
煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば
われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり
はたまたその海の割るるときあらわれて
地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして
われもまたにんげんのいちいんなりしや
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も
ひとりきわみの世を相果てるべく なつかしきかな
今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや
わが祖(おや)は草の祖 四季の風を司(つかさど)り
魚の祭を祀りたまえども
生類の邑(むら)はすでになし
かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに
わかまみふかき雪なりしかな
この長く、そして難解な詩の読み解きが第2回目の対談の眼目になる。対談を追ってもなかなかわかりづらいのだが、この読み解きによって、「沖宮」の登場人物である主人公「あや」の衣装の緋の色の意味合い、そして「天草四郎」の着る衣装の「水漂(みなはだ)」色の意味合いが明らかとなっていく。
「深く死なん」、「煙立つ雪炎」‥‥感覚的にもなかなかわからない部分もある。
ここに収録されている第2回目の対談を読むと、この詩がいったんは分かったような気持にはなるが、自分のことばに直してみるのも難しく、何度も行きつ戻りつしている。
「沖宮」のための詩ではなく、もともとは「苦海浄土」の第三部『天の魚』の序詩として書かれたものであるとのことも知った。
ツィッターの情報では、10月6日、「沖宮」の初演が熊本市で行われたとのことである。
幻のえにし 石牟礼道子
生死(しょうじ)のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり
御身の勤行に殉ずるにあらず
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば
道行のえにしはまぼろし深くして
一期の闇の中なりし
ひともわれも いのちの真際 かくばかりかなしきゆえに
煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば
われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり
はたまたその海の割るるときあらわれて
地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして
われもまたにんげんのいちいんなりしや
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も
ひとりきわみの世を相果てるべく なつかしきかな
今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや
わが祖(おや)は草の祖 四季の風を司(つかさど)り
魚の祭を祀りたまえども
生類の邑(むら)はすでになし
かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに
わかまみふかき雪なりしかな
この長く、そして難解な詩の読み解きが第2回目の対談の眼目になる。対談を追ってもなかなかわかりづらいのだが、この読み解きによって、「沖宮」の登場人物である主人公「あや」の衣装の緋の色の意味合い、そして「天草四郎」の着る衣装の「水漂(みなはだ)」色の意味合いが明らかとなっていく。
「深く死なん」、「煙立つ雪炎」‥‥感覚的にもなかなかわからない部分もある。
ここに収録されている第2回目の対談を読むと、この詩がいったんは分かったような気持にはなるが、自分のことばに直してみるのも難しく、何度も行きつ戻りつしている。
「沖宮」のための詩ではなく、もともとは「苦海浄土」の第三部『天の魚』の序詩として書かれたものであるとのことも知った。
ツィッターの情報では、10月6日、「沖宮」の初演が熊本市で行われたとのことである。