Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

秋分の日、秋の彼岸

2018年10月02日 22時00分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 入院中に秋分は終わってしまった。例年秋の彼岸前後に墓参りに多磨霊園に行っていたのだが、今年は私の入院で中止。秋のうちに行くか、今年は中止をして、来春にするか。今月中に決めたほうがいいのだろうが、まだその気にはならない。秋の彼岸は秋分の日の前後3日の合わせて7日間。単に彼岸というと春の彼岸のことであり、秋は「秋彼岸」「後の彼岸」という。

★峯聳(そばだ)ちて秋分の闇に入る      飯田龍太
★山寺に降りこめられて秋彼岸         大橋櫻坡子
★秋の日の白壁に沿ひ影とゆく         大野林火

 
 第一句、岩肌に秋の陽射しが当たっている。秋の陽射しは強い。だが、日陰の岩肌は日のあたるところとは違ってとても冷たく、そして秋の日影はとても暗い。この温度差と明暗の差が秋である。日のあたらない方の冷たい岩肌が鋭く立ち上がり、秋の日ならではの闇が立ち現れる。キリッとした雰囲気を感じる句である。
 第二句、秋日和ともいうが、秋は意外と晴間は少ない。そして降り始めるとにわかに気温が下がってくる。秋の彼岸、秋の花々で作った仏花を抱えたままの雨宿りであろうか。
 第三句、片影というと夏の陽射しによる強い日かげであるが、秋の陽射しもまた強いものがある。春よりも、冬よりも鋭い。しかし汗を拭いながらの道ではない。影もまた長くなり、その存在が大きくなる。影が同行者として立ち上がってくる。

寝てばかり‥

2018年10月02日 19時41分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼前に横浜駅経由で本郷台駅まで講座を聞きに出かけた。家から一番近いバスを利用。一人で行く予定だったが、妻が横浜駅までは一緒に行ってくれた。横浜駅から本郷台の会場までは30分の乗車と徒歩5分と樂のはずであった。

 本郷台駅で軽く昼食の後、会場へ。講座は2時間だったが、最初の1時間はほぼ寝てしまった。後半1時間もどこかボーっとしていた。途中で退席することも考えていたが、立つのも億劫になり、そのまま座っていた。食後すぐなので寝てしまったのか、バスで20分、電車で30分というのはそれなりに疲れたのであったろうか。

 帰りは横浜駅でコーヒータイム。喫茶店でも20分ほど寝てしまった。やはりまだまだ回復にはほど遠いような気がした。

「社会復帰」の道筋

2018年10月02日 10時29分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 9時の段階で23℃、風はなく気持ちの良い陽射しである。秋晴れ、菊日和ということばが当てはまる日だと思える。
 半ば強制的に入院させられた日からちょうど一カ月、私の部屋の机の上などはその日のままの状態で、書類が無秩序に積み重なっている。退職者会の書類、団地の管理組合の書類等。前者はほとんど廃棄するものが多いが、後者はきちんと整理をしてファイルに綴じ込まないといけない。この書類を整理しないと管理組合の次の会議には出られない。整理をしてファイリングすると経過や方針などを頭の中で整理することにもつながる。これを今週後半から10日ほどかけて作業をしていく予定をたてた。少しずつ社会復帰である。

★秋晴れの何処かに杖を忘れけり      松本たかし

 以前にも取り上げた句である。一週間前までは退院後の足の運びが少し不安だったので杖を突いていたが、今は手放した。それを「忘れた」という表現で思い出した。むかしやはり退院したとき、杖を手放して数日間は人に「杖はどうしたの」の聞かれ、何となくスタスタ歩く自信もなかったので「今日は忘れました」と言い続けたことがある。あれは不思議な気分だった。素直に「もう大丈夫になりました」と言えなかった。ちょっと足がまだふらついてもいた。
 これが夏の暑い日や、冬の寒い日ではこんな気分にはならない。では、春の日ならどうだろうか。「杖を忘れけり」が諧謔なのか、秋の陽射しが嬉しかったのか、どちらにしても「軽さ」が必要である。私のイメージでは「春」ではちょっと「重い」ような気がする。この「重い」はうまく表現できない。「杖」を手放して前向き、というのは若い人の句になってしまう。これは一定の年齢に達した人の句である。
 さらにこの句、病からの復帰の句として限定するのもまずいとも思った。普段から愛用している杖でもあろう。そうであれば、「忘れる」ことも特に奇異でもない。ただ「秋晴れ」だからという季語が寄り添えた句であると解釈もできる。夏の暑い日から秋を実感した清々しさが匂ってくる句である。
 こんなことをふと思い出した。