Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

視野検査

2018年10月17日 23時00分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は近くの眼科で緑内障の点眼薬の処方をしてもらう。入院中は診察を受けられないので、妻に点眼薬だけの処方をしてもらった。入院した病院では、いつも処方してもらっている薬がなかった。

 そして多分明日は視野検査をするようにいわれるはずだ。視野検査は時間がかかり、そして疲れる。あまり受けたくはないが、痛いわけではないので、拒否も出来ない。視野の欠損の領域が拡大していないか、確認の検査で緑内障の進行と点眼薬の効き方を見るための大切な検査である。

 7月に受けたときは、疲れてウトウトしてしまい、視野の欠損部分が拡大してしまっていた。その時にすでに9月に再検査を申し渡されていた。嫌なことは重なる。

牛タン定食

2018年10月17日 21時06分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食は妻と横浜駅の地下街で。牛タンの店で定食を注文した。仙台で食べるよりも安かったような気がする。しかし青唐辛子の味噌漬けはもっと辛いものになれているので、ちょっと物足りなかった。それでも美味しかった。

 私が仙台にいた5年間では牛タンはまだ売り出していなかった。仙台を離れたのが1975年の3月であった。そして牛タンが「名物」となったのが1977年頃ではなかっただろうか。妻の実家を訪れた帰りに、駅前で牛タン定食を食べた記憶がある。実に短期間で牛タンの店が広まったと思う。

 あくまでも私の耳にした範囲での情報であるが、まだ戦後間もなくの頃、学生の街仙台で、下宿を営んでいるかたが、学生に肉類を食べさせるために、牛肉の安い部位で調理しやすいところとしてタンに着目して、食べさせたのが始まり、と聞いたことがある。それをヒントに企業化したというのである。本当かどうかは私にはわからない。もしもそのような話があれば、教えてもらいたいと思う。

 少なくとも私のいた1970年から1975年では牛タンの店はなかった。私の札幌出身の友人は、安いマトン(当時はラム肉もあまり肉屋になかった)を買ってきてジンギスカン鍋で肉を摂取していた。当時はめん羊会館というジンギスカン鍋を安く食べさせてくれるところがあり、サークルで良く利用した。お酒も安くありがたかった。

 下宿を出てアパートに引っ越した私は魚と烏賊ばかり食べていた。

 さらにいえば、横浜出身の私は、仙台に中華料理店や焼き肉店がほとんど無いことが不思議であった。ギョーザ、シューマイなどの点心類もお目にかかることはなかった。肉は、仕送りのあった日に、豚と鳥の合い挽き肉、または鶏モツを300グラムほどを購入して、冷凍しでチビチビと利用していた。

 この45年で仙台の街のようすも、食のありようも随分変わった。仙台と東京・横浜の間の差も少なくなった。仙台に妻と行くたびに寂しいような、残念なような気分になる。ひょっとしたら、仙台を離れたしまったので、年に一度いくだけでは仙台の街の魅力に触れずに時が過ぎてしまっているのだろうか。

贅沢な睡眠

2018年10月17日 11時38分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明け方には雨が降っていたのだが、それが嘘のようである。

 雲の量は空全体の6割を大きく超えている。曇り空ではあるが、鱗雲が白く輝き、太陽が顔を出して明るい。風はない。雲の間からのぞく空は青く澄んでおり、秋の気配がそこから地上に降り注いでいる。

 先ほど雨が上がったころから、あちこちで小鳥の声が響いている。どんな鳥なのか、声でわかるようになりたいといつも思うのだが、実行したことも勉強したこともない。分かるのは雀位のものである。

 一昨日に掛け布団を夏用のものにしたのだが、昨晩はこれを掛けると暑く感じた。体を半分は外に出して寝ていた。この時期、掛け布団の選択は難しい。

 最近、気持ちの良い睡眠にこだわるようになった。昔は寝るというのは、布団の上で横になりさえすればよかった。余程の短時間しか眠らない場合を除いて目覚めれば、疲れも取れ、すっきりした。椅子やテーブルの上ではさすがに満足感はなかったものの、3時間も眠るとそれなりに体の疲労は回復し、だましだまし活動できた。

 最近は、それはもう無理のようだ。あるいはそのような現役時代の緊張感がなくなったためなのか、年齢的な限界なのかはわからない。睡眠はその都度、毎日きちんと確保しないと目覚めた以降の体の動きが悪い。肉体的・精神的な疲労感もしんどい。しかも布団で寝ないと回復しない。洗濯したての清潔なシーツが欲しい。まして椅子や、会議室の机の上、ソファーなどで寝ても寝た気にならない。

 若い頃は雑魚寝でも、煎餅布団でも、慣れない枕でも、寝袋でも、服を着たままでも横になりさえすれば良かった。就職をしたとき、高齢の方が職場旅行に枕を持参したりするのを見て、びっくりしたことがある。さすがに枕持参で旅行はしないものの、その心境がわからないでもない歳になった。

 思い出に残る睡眠は、満足な環境ではないところでの睡眠である。
 中・高のころクラブ活動で星空観察をしながら、校舎の屋上のコンクリートの床に新聞紙を敷き、図書館の分厚い本をマクラにして寝たとき。大学のバリケードの中で床や机にやはり新聞紙を敷き教官のバリケード解除にそなえながら緊張して寝た日々。三里塚のビニールハウスで直に土の上に、ヘルメットを枕にして寝た夜。登山中に雷におののき、テントの中で浸水をタオルで拭きながらしゃがんで寝たこと。就職後、毎年のように雪掻き・水害の土嚢積みなどで疲れ切った体をトラックの荷台の土嚢や融雪剤の上で防寒着のまま寝た日々。家に帰っても労働組合の資料作りでほぼ徹夜し、明け方の1時間だけ横になっただけの睡眠。
 等々が今でも思い出される。

 二十代・三十代の頃から見たら、現在の私の睡眠は実に贅沢な睡眠である。