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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は出かけてみる

2018年10月05日 22時38分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 体力的にはあとは日常的に体を動かすことで回復をはかるだけである。日常生活はだいぶ勘も戻ってきた。しかし判断力というか、決断力というか、一呼吸遅れる。また実行するのに時間がかかる。これは多分さまざまな場面に出くわして、慣れていくしかないものだと思う。
 本を読んだり、書かれていることを理解したり、感想を述べることは一応は回復しているように思える。
 全体的にゆっくり気味だが、回復は実感している。あとはさまざまな場面に前向きに処理をしようとする気力の回復が必要なのだろう。

 明日は退職者会の先輩の葬儀である。これに参加して退職者会の友人や先輩との会話にスムーズに対応できるか、試してみる絶好のチャンスである。葬儀をそのように利用するのは心苦しいが、許してもらえると思う。
 実は夜も集会があるのだが、これは欠席。当面は夜の会議や集会、行事には参加しない。当面がいつになるかは、まだ決めていない。少なくとも医師からお酒禁止の解除のことばが出るまでは、「当面」の中に入れたい。お酒はまだまだ自分からは飲みたいと思うことはない。

 明日は雨もあがり、午後からは晴れて太陽が顔を出すこともあるらしい。しかし湿度・気温が高くなるとのこと。27℃のよそうとなっている。高温・多湿というのはつらい。

読了「尾崎放哉句集」(岩波文庫)

2018年10月05日 18時05分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
   

 予定よりも時間超過だったが、岩波文庫の「尾崎放哉句集」(池内紀編)に目を読み終わった。
 早熟であった中学生の頃の有季定型句から、自由律初期の句から最晩年の句、ならびにと荻原井泉水の手元に保管されていた句稿、そして「入庵雑記」という最後を過ごした小豆島の西光寺南郷庵で記した散文をおさめてある。
 収録句数はあまり多くはない。
 私は自由律の句はほとんどなじみがなく、自由律以降の句は戸惑うばかりであった。選句の仕方もあるだろうが、あまり気持ちの上で響くものを感じなかった。
 ただしここに収録してある「入庵雑記」の文章は優れたエッセイだと感じた。

「今日は風だな、と思われる日は大凡(おおよそ)わかります。それは夜明けの空の雲の色が平生と違うのであります。ちょっと見ると晴れそうでいて、それは夜明けの空の雲の色がただの真ッ赤な色ではないのです。これは海岸のお方は誰でもご承知の事と思います。実になんとも形容出来ないほど美しいことは美しいのだけれども、その真ッ赤の色の中に、破壊とか、危惧とかいった心持の光りをタップリと含んで、如何にも静かに、また如何にも綺麗に黎明の空を染めているのであります。こんな雲が朝流れている時は必ず風、‥‥間もなくそろそろ吹き始めてきます。庵の屋根の上には例の大松がかぶさっているのですから、これがまっ先きに風と共鳴を始めるのです。悲鳴する如く、痛罵するが如く、また怒号するが如く、その騒ぎは並大抵の音じゃありません。‥」(入庵雑記、「風」)

 引用が長くなったが、観察が濃やかで、そうして過不足ない描写が美しい。さらに時間というものの順を追って、齟齬がない。少々饒舌であるが破綻もなく、それもまたいい文章だと思った。
 口語体であるが、これは放哉の俳句の特徴でもある。文章に随分こなれた人、書きなれた人だったのだと思った。
 この文章を読んでから、再度俳句を読みなおしてみた。そうすると何となく頷ける作品も出出来た。有季定型句の判断基準とは違う感覚で読まなくてはいけない、ということが何となく匂ってきた。同時に作品を並べてみると、ひとつひとつの作品として独立して読むのとは別に一連の「詩」として、多少言葉を削ったりほそくしたりしながらだが、読むのも面白いと感じるようになった。
 また一つの作品は、口語の短い断章が二つ連なったものが多いことにも気がついた。例えば、「何やら鍋に煮えて居る僧をたづねる」などの句のように。そしてこのふたつの術語が並んだ句よりもそれを解消した句に人を惹きつける句があるようにも思えた。
 ある人が昔、尾崎放哉や種田山頭火の句には「起承転結の転がない」とないと切って捨てた。私はこの言葉がいろいろ引っ掛っていた。今回それなりに「転」は含まれていると感じた。二物衝撃ではないが、二つの術語でつながった作品、あるいはそれを解消しようとして二つ目を体言止めにしたりした句はそれなりに感じる者はあり、成功しているのであろう。

 収録句が少ないと感じたので、今度は以前にも購入していた春陽堂の「尾崎放哉句集」(放哉文庫)を読んでみることにした。この文庫、第2巻には「随筆・書簡」が収録されている。これは持っていない。
 作品への感想はこちらを読んでからまとめてみることにした。



北海道胆振地方で震度5弱

2018年10月05日 10時12分16秒 | 天気と自然災害
 9月6日に震度7(マグニチュード6.7、深さ37キロ)の地震のあった胆振地方で余震と思われる震度5弱の地震が先程発生したとのこと。最大深度5弱(マグニチュード5.3、深さ30キロ)。震度5弱が、厚真町、むかわ町、平取町で観測されたとのこと。余震としては
 余震としては本震発生日に震度5弱を一度記録しているので、今回は2回目の震度5弱の余震と思われる。
 約1か月後の震度5弱。余震は長く続く。そしてあの地震以降に台風24号の雨もあり、土砂災害の発生も心配される。被害の報道は今のところ耳には入ってこないが‥。

 怖いのは地震が直接の引き金となる自然災害だけでなく、悪質なデマによる人的災害もある。さまざまにありもしないデマがまことしやかにネット上に飛びかい、人びとの不安を煽り、人を傷つけることである。不安に付け込むように関東大震災のときの大量殺戮を招いたデマが、熊本の地震や、大阪の地震でも流された。日本では災害で「略奪はない」と云われるが、それよりもさらに陰湿な、「社会的弱者」や他者への抑圧が顕在化する。デマとそれを利用した煽動は犯罪である。「世界に誇れる日本の治安」などどこにもないとは私の思い過ごしだろうか。
 負の遺産としての継承がなされていない。すべての「負の歴史」が否定されず、心に刻まれず、放置され、当事者が免罪されてきたことが日本の近代史の最大の汚点だとおもう。