

「尾崎放哉句集」(春陽堂放哉文庫第一巻)を読了。岩波文庫本と比べると、初期の有季定型句はおさめられていないが、自由律以降の句はこちらの方がかなり多く収録している。1頁に3句という割り付け、しかも解説の伊丹三樹彦氏を書いているモノクロの写真がとてもいい。「写俳」の提唱者だけのことはある。そしてその写真は尾崎放哉の最後に住まった小豆島で撮影したものである。
私にとっては、自由律の俳句の世界がよくわからないので、岩波のあの体裁では自由律の俳句の理解そのものが出来なかったと思う。こちらの方が写真の存在も含め、一頁に三句の方が気持ちにゆとりをもって読むことができた。感想はまとまらないので、本日はまだ書けない。
だが、一句ごとでも理解できるものも当然あるが、いくつかの句を並べて、詩のようにして鑑賞するのが適したものもいくつかある。隣同士にかぎらず、任意の組み合わせで短歌もどきの一首が出来上がるものもあるように見えた。全部が全部ではないが、こういう感想を持つということは、俳句としては完成とはなっていないようにも思った。
例えば
★今朝俄かに冬の山となり 放哉
★針の穴の青空に糸を通す 放哉
この二句、それぞれに一句として味わうことも出来そうだが、二区を並べて短歌の一首としてもなかなかいい。このような組み合わせを探しながら句集を読むのは意外と面白い読み方だと思った。
この文庫はすでに絶版になってしまっているようだ。できれば第2巻の随筆も新たに購入してみようと考えたのだが、手に入らない。古書店巡りで果たして手に入るだろうか。