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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日は三日月

2018年10月11日 21時48分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は三日月。秋の三日月ということで、歳時記で月をめくってみた。

★月光にいのち死にゆく人と寝る   橋本多佳子

 目についたのは、橋本多佳子の句。1937年、経済人であった夫の死にのぞんだ頃の句とのこと。この句がおさめられている最初の句集「海燕」(42歳)には、次のような句も収められているという。
・颱風過しづかに寝ねて死に近き
・死に近き面に寄り月の光るをいひぬ
・月光は美し吾は死に侍りぬ

 私の見たブログ「知音」【⇒https://meiku.exblog.jp/11879236/】には、「「いのち死にゆく」という表現は、斎藤茂吉の『赤光』の中の母の死を詠んだ一連の歌『いのちある人あつまりて我が母のいのち死にゆくを見たり死にゆくを』の影響があるだろう。」と記載していた。
 実際の影響関係は判断できないが、だが、しかし茂吉の歌よりも、多佳子の句の方が、詠んだ心境として切実、そして身に迫る感じがする。「死にゆくを」という繰り返しで詠嘆を表しているが、茂吉の歌はどこか母の死を客観的に、情景を突き放して見ているのではないか。
 俳句と短歌の違いによるものなのか、作者の資質や姿勢によるものなのか、わたしにはわからない。多佳子の句は、作者と「死にゆく人」との距離がとても近い。一体化しているともいえる。
 「人と寝る」、特に「寝る」が「死にゆく人」と「作者」の共振関係を読者に普遍化して示している。

卵の無い親子丼もどき?

2018年10月11日 17時45分31秒 | 料理関連&お酒
 本日の昼食は、親子丼にでもしようと冷蔵庫で鶏肉を探したが、在庫切れ。冷蔵庫で見つけたのは昨晩の残りの「がんもどきの煮物」ひとつ。キュウリとカブの糠漬けの残りが小皿1皿。乾物の棚で目についたのが、塩味の焼き鳥の缶詰。野菜籠ではシメジとカブの葉があった。
 まず焼き鳥の缶詰を小さな鍋に入れ、カブの葉を半分ほどとシメジを同じく鍋に淹れて、うどん汁を少しとお湯適量を加え似た。これに卵を回し入れようとしたら、残念ながら卵がない。今朝食べた目玉焼きで卵を使い切っていた。やむなく、卵抜きの焼き鳥丼もどきとした。たっぷりの刻みのりをかけてごまかした。
 缶詰の焼き鳥は好みではないが、カブの葉とは意外と会うことを発見。シメジが繋ぎ役といったところ。

 こののち横浜駅まで歩いてみた。テレビの伝播の分波器の端子を購入して予定の買い物は終了。コーヒータイム・読書タイムを1時間ほど。時間が無くなったので、本日は無理をせずバスにて帰宅。

一人分の昼食に悩むのもまた楽しい

2018年10月11日 11時21分26秒 | 料理関連&お酒
 昨晩は、日付が変わる頃、雨が強くなった。時間当たり20ミリの雨の区域が私の住む辺りを通過していった。雷鳴も何回かとどろいていた。そのうち雨はあがったようで、静かになりいつの間にか寝てしまった。
 今朝はふたたびどんよりした空模様。雲が頭の上に覆いかぶさっているようで、重苦しい雰囲気がする。

 昨日、電気工事が終了後、妻はみなとみらいへ出かけた。昼食は私一人で自炊。昨日の昼は卵丼をつくってみた。冷蔵庫に「玉ねぎ坊主」が二つ残っていた。ピーマンとシイタケを薄切りにし、めんつゆで煮てから、卵入れて作った。煮汁が少なかったのが残念だったが、それなりにおいしくできあがった。
 本日は妻は通院で出かけた。本日も昼食は自炊。何をつくるか、これから冷蔵庫を漁ってみる。

 昼食後、横浜駅の家電量販店に再度出向いて買い物。その後は喫茶店で読書、というパターン。出かけるのは昼過ぎになりそうな気がする。