本日は三日月。秋の三日月ということで、歳時記で月をめくってみた。
★月光にいのち死にゆく人と寝る 橋本多佳子
目についたのは、橋本多佳子の句。1937年、経済人であった夫の死にのぞんだ頃の句とのこと。この句がおさめられている最初の句集「海燕」(42歳)には、次のような句も収められているという。
・颱風過しづかに寝ねて死に近き
・死に近き面に寄り月の光るをいひぬ
・月光は美し吾は死に侍りぬ
私の見たブログ「知音」【⇒https://meiku.exblog.jp/11879236/】には、「「いのち死にゆく」という表現は、斎藤茂吉の『赤光』の中の母の死を詠んだ一連の歌『いのちある人あつまりて我が母のいのち死にゆくを見たり死にゆくを』の影響があるだろう。」と記載していた。
実際の影響関係は判断できないが、だが、しかし茂吉の歌よりも、多佳子の句の方が、詠んだ心境として切実、そして身に迫る感じがする。「死にゆくを」という繰り返しで詠嘆を表しているが、茂吉の歌はどこか母の死を客観的に、情景を突き放して見ているのではないか。
俳句と短歌の違いによるものなのか、作者の資質や姿勢によるものなのか、わたしにはわからない。多佳子の句は、作者と「死にゆく人」との距離がとても近い。一体化しているともいえる。
「人と寝る」、特に「寝る」が「死にゆく人」と「作者」の共振関係を読者に普遍化して示している。
★月光にいのち死にゆく人と寝る 橋本多佳子
目についたのは、橋本多佳子の句。1937年、経済人であった夫の死にのぞんだ頃の句とのこと。この句がおさめられている最初の句集「海燕」(42歳)には、次のような句も収められているという。
・颱風過しづかに寝ねて死に近き
・死に近き面に寄り月の光るをいひぬ
・月光は美し吾は死に侍りぬ
私の見たブログ「知音」【⇒https://meiku.exblog.jp/11879236/】には、「「いのち死にゆく」という表現は、斎藤茂吉の『赤光』の中の母の死を詠んだ一連の歌『いのちある人あつまりて我が母のいのち死にゆくを見たり死にゆくを』の影響があるだろう。」と記載していた。
実際の影響関係は判断できないが、だが、しかし茂吉の歌よりも、多佳子の句の方が、詠んだ心境として切実、そして身に迫る感じがする。「死にゆくを」という繰り返しで詠嘆を表しているが、茂吉の歌はどこか母の死を客観的に、情景を突き放して見ているのではないか。
俳句と短歌の違いによるものなのか、作者の資質や姿勢によるものなのか、わたしにはわからない。多佳子の句は、作者と「死にゆく人」との距離がとても近い。一体化しているともいえる。
「人と寝る」、特に「寝る」が「死にゆく人」と「作者」の共振関係を読者に普遍化して示している。