Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書11月号」(岩波書店) 2

2018年10月30日 22時56分35秒 | 読書


 引続き覚書として‥。今月号は全部で15編のうち、10編に目をとおした。

・鈴木大拙と山崎弁英          末木文美士
「近代の宗教は、アカデミズムを通して欧米の学術を学ぶのとは、少し違うところにそのエネルギーの源泉を持っていた。それ故、学術的な枠組みを逸脱して、一見奇妙な議論を示すところもあるが、逆に決まった枠組の中では封印されてしまう自由な発想が生き生きと展開される可能性ももっている。日蓮主義の田中智学にしても、大本教の出口王仁三郎にしても、同じように在野の宗教者であり、常識を超えた理論を展開している。そこには、すべてを圧殺する国家体制さえも超え出る強靭さがうかがえる。」

・性食の詩学のために          赤坂憲雄
「詩学などという文学寄りの言葉を選んでいるのは、ある革新のゆえだ。食べること/交わること/殺すこと、をめぐっての知の交歓こそが、『性食考』のめざしたことであった。わたしはそれを、学問の装いを凝らして表現することへの欲望が、まったく欠落している。むろん、そのことには気づいていた。だから、『性食考』はおのずとエッセイ的であるほかなかった。‥エッセイという表現様式の可能性に賭けてみたい、という思いもある。なぜ、詩学なのか。ひれはわたしにとって、たとえばイマジネーションの物質化のための試みである。‥花、土、洞窟、穴、胎児、犬、口唇などの言葉がさだめなく浮遊しており、イマジネーションの受肉を待って、一章ずつ言葉の織物として紡いでゆくことになるだろう。」

 ちょっと理解は難しい文章であるが、今後の連載を楽しみにしてみようと思う。

・一一月、紅葉に深まりゆく秋     円満宇二郎

・風仕事               辰巳芳子
「干物はどこかしみじみとした人間味がありますね。朝から取り掛かった風仕事ですが、そろそろ日も落ちかかってきました。ここ鎌倉の谷戸は、夕焼けの美しいところ。風の音に耳を欹(そばだ)てつつ、千変する西の空の色を眺めております。もはやもの思うこともなく、ただ呆然と美に圧倒される他はありません。恩師・岡麓先生のお歌が思い出されます。
 西山にうすれて残る夕映えは/ここには遠き光なりけり」

・大きな字で書くこと 久保卓也    加藤典洋
「リベラルというのは、こういう人をいうのだろう。こうした「対岸」に立つ人の考えを受けとめる力が、かくいう私を含め護憲論には欠けていた。」

・単純と複雑             齋藤亜矢
「意味ではない部分、それも自然からぎゅっと凝縮されたエッセンスが抽出されていると感じるのが、熊谷守一だ。ネコ、アリ、石ころ、雨粒、晩年の作品ほど、より単純化された線や形で、色もベタっとぬりこめてある。‥一見単純な形や色に表現されているのは、むしろ自然の多様さや複雑さの方だ。とことん「視る」ことではじめて見える世界を、作品をとおして垣間みせてくれる」
「文章を過程では。ぼんやりした考えを言葉に抽出している感じもある。‥意味の外にある面白いものを抽出できるように、複雑な自然を複雑なまま「視る」目を養っておきたい。

・クスノキと舟            三浦佑之
「(日本書紀や九州風土記に対して)出雲国風土記の「楠」はタブノキと見るのが正しいということになる。そして、出雲国風土記では沿岸部の郡にのみ出てくるのだが、たしかに今もこの木は、日本海側の海岸線に沿って、日本列島のずっと北のほうまで群落を作って神社の杜などを形成している。そこからみると、出雲国風土記の植生記録はかなり正確だといえそうだ。」


雁わたる

2018年10月30日 19時24分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 友人と会い、病院でCT検査も無事に終了して、本日の予定はこなした。17時過ぎに病院を出たときはあたりはすっかり暗くなり、街灯が洩れなく点いていた。やはり間もなく冬である。天気図を見ても冬型の気圧配置、しかしどういうわけか関東地方は暖かい。横浜では14時前に23.8℃となったとニュースで言っていた。
 病院の待合ではベストを脱ぎ、長袖のポロシャツだけになって、「図書11月号」を読んでいた。待合室では半袖や半ズボンの若者もいた。私も半袖にしたかった。
 病院からの帰りは国道を東向きに歩いた。富士山を背に歩いた。ただし谷道なので西を振り返っても富士山は見えない。しかも国造沿いに点々と並ぶ街路灯があまりに明るく、星を見ることも出来なかった。団地の西側の入り口で富士山の黒い影を見た。夕焼け空で観たらたぶん美しい色ではなかったろうか。

 小学校の5年生に横浜の西部に引っ越してきた。1962年頃である。その頃は秋になると雁が富士山を背景に飛んでいくのを幾度も見た。新興住宅街で、ところどころに田や畑もあり、山を西に超すと雑木林の先に広い田畑が広がっていた。その地から今の横浜市中心部に近い今の団地に越してきてからは雁のわたりは見たこともない。横浜市内に住む人間としては雁の渡りを記憶する最後の世代なのかもしれない。

★さびしさを日々のいのちぞ雁わたる    橋本多佳子
★一列は一途のかたち雁渡る        西嶋あさ子
★雁のこゑすべて月下を過ぎ終る      山口誓子


お茶の好み

2018年10月30日 09時46分23秒 | 料理関連&お酒
 気持ちのいい秋晴れの朝。昼過ぎに友人と横浜駅の近くで待ち合わせ、16時過ぎから病院で造影剤を投与してのCTの検査。
 昼食後の食事は禁止。お茶はOKとのことである。特に理由はないが、本日はコーヒーというよりも紅茶の気分。毎朝のむ紅茶が美味しかった。

 毎日のパターンでは、朝食時はたっぷりの紅茶、昼まではウーロン茶、午後はコーヒーと移動途中はペットボトルの緑茶、夕食直後は緑茶ないしほうじ茶、就寝時まではウーロン茶にジャスミン茶の葉を加えたもの。要するにコーヒーを除いて「茶葉」が好きなのである。

 ウーロン茶はコップに直接葉を入れて上から熱い湯を注ぐだけ。これを幾度も繰り返す。熱いお湯でないと葉が沈まないので飲みにくい。寝る前の水分補給時にはお湯を注いでもほとんど色はつかなくなっている。それでも白湯を飲むよりは美味しく感じる。
 ウーロン茶葉は中華街で安いものを購入してくる。ジャスミン茶はそれなりの値段のものを購入。ウーロン茶場に一つまみほどのジャスミン茶の葉を加える。私は鼻が効かないのでジャスミン茶の香りはわからないが、口の中がスッとすることでジャスミン茶の香りがわかるような気がする。私にはあまり高価なジャスミン茶はもったいない。

 ペットボトルの緑茶は抹茶入りのが嬉しい。

 コーヒーは酸味が強いのは好みではない。できればクリスタルマウンテンやコクのあるマンデリンがいい。しかし少々高い。少し安いブラジル・サントスがあればうれしい。いづれもストレートで飲む。