Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は休養・休肝日

2019年11月02日 23時36分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は午前中は探知の管理組合の諮問機関の会議。お昼前に終了してからはフリーである。しかし天気は良くない模様。
 本日は19.3℃。七分袖のポロシャツの上に薄い化繊のサマーセーターを着たけれど、少々寒く感じた。もう少し厚手の上着が必要であったようだ。受講中も少し寒かったので、いつもリュックにしまっている薄くて軽い携行用のウィンドブレーカーを羽織った。

 先ほどまで40分ほどの夜のウォーキング。明日はウォーキングは少し控えて休養日。ついでに休肝日としたい。


「絵でたどるペリー来航」展

2019年11月02日 22時12分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

  本日は昼食前に家族と別れ、一人で眼鏡店におもむき、新しい眼鏡を注文。出来上がりは来週日曜日14時以降ということになった。

 眼鏡店で30分近く時間がかかり、喫茶店で急いで昼食の後、横浜美術館を訪れてみた。しかし「ルノワール展」は予想通りチケット売り場で並んでおり、断念。同じ横浜美術館で開催している「ペリー来航展」を再度見学した。
 この展示は10日までとなっている。

 ペリー艦隊の一員「ペーター・B・W・ハイネの有名な「ペ瑠璃提督横浜上陸の図」で描かれている内容の解説は勉強になった。
 海の中央左側に幕府の交渉委員を乗せた御座船が描かれていた。私は交渉委員は陸路を来たと思い込んでいたので、この和船が何のために描かれているのかわからなかった。
 そして画面中央の地面に犬が2頭じゃれ合っているのだが、これがどういう犬なのかわからなかった。
 開場の解説によるとこれは、艦隊で飼っていたアメリカの犬とのこと。それは尻尾を「短くしている」ことが証拠らしい。私は日本の犬が迷い込んだとしたら警備の失敗であり、変だな、と思っていた。

 下田・久里浜の図も目新しかったが、首里城からの帰還の図3葉が殊に目を引いた。昨日焼けてしまった首里城の再建前の姿は描かれていないが、すでに琉球として開港しており、描かれた琉球の人びとのあまり緊張していない様子が興味深かった。


「図書11月号」 その1

2019年11月02日 20時34分24秒 | 読書

  いつものように覚書として。

・都市型原子力戦艦         司 修

・三島先生、最後の歌舞伎      坂東玉三郎

・三宅島でトマトを育てる。     ドリアン助川

・思い出 麗子のあれこれ      岸田夏子
「(母、麗子は)女性の地位向上を掲げる政治家神近市子さん、‥平塚らいてうさんなど‥岡田嘉子さんなど、女性として自分の生き方を貫き、女性の地位向上に尽くしている女性たちを尊敬していましたので、その方たちの話を聞きに集会に出かけていました。参加した日などは、帰宅してからも目を輝かせていました‥。」 「写実に徹した劉生の絵の中で何故麗子像だけがデフォルメされたのでしょう。‥多分小さいころから父が娘との間に築いた信頼関係にこの謎を解く鍵がありそうです。」

・大きなシステムと小さなファンタジー   影山知明
「ぼくらは本当に、自分の時間を生きられているだろうか。お金のためしょうがないと、朝から晩まで一つの会社で必ずしも望まない仕事をしているのだとすると、それは誰の時間を生きていることになるのだろうか。それが会社の時間を生きていることになるのだとすると、‥それは死んだ時間だ。会社は、死んだ時間を集めて死んだ仕事をつくっている。そしてそれと引き換えに得た死んだお金が貯蓄され、「金庫」にたまる。」
「会社は「システム」の一つに過ぎない。学校であろうと、政府だろうと、メディアだろうと、‥システムの合理性に向けて、人びとがどこかで自分にうそをつきながら仕事をせざるを得ないのだするとぼくらは本当に自分の時間を生きていることになるのだろうか。」
「システムに目的が存在する。お金しかり、計画達成しかり、成果しかり、そこに最短距離で、できるだけ早く、最小限の努力でたどり着こうとすることで、人間は手段化し、考えなくなり、自分の時間を生きられなくなる。」
 とても懐かしいミヒャエル・エンデの「モモ」を下敷きにした文章である。50年近く前に多くの人が共感した。私もその一人だ。
 だが、人間はもっと懐は深い。「人間は手段化し、考えなくなり、自分の時間を生きられなくなる」という一文の「手段化し」と「考えなくなり」の間にはとてつもなく幅の広い、そして時間尺度のある「溝」がある。疎外されても人は考え続けられるのである。自分の時間を生きることができる。ここを忘れては社会そのもの、人間そのものを理解することはできない。
 多分ファンタジーがファンタジーで終わってしまうこと、あるいは空想と現実の違いに無自覚であることとは根は同じである。60年代初期の「先駆性理論」の陥穽は、「企業や資本家に支配され、手段化された人間は考えなくなったので指導されるべき対象」などという悪しき前衛主義への「善意の押し付け」につながると、私は嗅ぎつけてしまう。
 ちょっと残念な文章に思えた。

・人類文明の品格と寿命--宇宙目線からの憂い   家 正則
「野心や私欲こそ、発展の重要なドライバーなのだとも思うが、宇宙の中での自分たちの立ち位置を意識することで、感情的な敵対関係に発展しがちな歴史問題や政治問題を乗り越えていきたいものだ。」
 これはまったく不同意。「高次の宇宙問題」の「高み」に立つことでは、「低次」の歴史問題や政治問題の乗り越えは出来ない。それは戦争という「高次」の課題で歴史問題や政治問題を隠ぺいするようなもの。
 歴史問題や政治問題を誠実に解決できないならば、人類文明の先はない。馬の鼻づらにぶら下げた人参と同じ。現在時点の問題の解決を永遠に先延ばしにしてしまっては、いつかまた人類は同じ失敗を繰り返すだけである。
 それは為政者の望むところ。為政者とは現在に蓋をして先延ばしにしさえすればあとはどうなってもいいと思っている人間の集団である。科学者がそのお先棒を担いではいけない。

・ブロニスワフ・ピウスツキのアイヌコレクション  荻原眞子
「サンクト・ペテルブルグ大学法学部に在学中、革命組織「人民の意志」に加わり、皇帝アレクサンドル三世暗殺未遂事件に連座した廉で‥サハリンに15年の懲役流刑。‥弟のユゼフは後のポーランド建国の初代大統領である。」
「足かけ三年余りの間にピウスツキがサハリンで収集したコレクションは、同時代のアイヌの人びとの日常生活、その言語と文化をそっくりタイムカプセルとして今日に遺してくれたことになろうか、と思う。」