Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

待つことは嫌いだが・・

2019年11月25日 23時35分57秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日親の依頼で銀行に出かけたのだが、混んでいること甚だしかった。月末の25日、しかも月曜というのは混雑が激しい日であった。
 現役時代ならばすぐに察して別の陽に計画したと思うが、定年退職者にはその発想は頭からとうに消えている。しかし長い列で待っていてもそれほどのイライラが起きないことも事実。後ろに時間に追われるような予定が控えている場合はあまりない。

 「待つことにイライラするようになると、高齢者も危険な領域に足を踏み入れている」と友人が言っている。だが、私は仕方なく待つときはにこやかに待つが、流行り物に飛びつくために待つことは絶対にしない。流行り物のために自分から列に飛び込むのは、人生の堕落だと思っている。行列の店の販売物に飛びつき、「並ぶ」ことに価値があるような振舞いはしない。

 雨に降られないかと心配しながら50分の夜のウォーキング。何とか雨には会わずに終了。傘を差したまま歩いている人もいたので、つい先ほどまでは降っていたようだ。県内では、1ミリ未満の雨の区域が幾つか出現したり消えたりを繰り返しながらわずかずつ西から東に移動している。
 夜のウォーキングにもかかわらず、メガネをかけるのを忘れて出かけてしまった。途中から戻るのもつらく、そのまま続けた。やはりよく見えず怖かった。
 しかも路面が濡れていて、滑りやすかった。もう少し乾いているか、逆にもっと濡れていた方が滑りにくかったと思う。

 明日は午後から本郷台駅前のアースプラザで講座。その後は特に予定はない。「わたくし流俳句の読み方・詠み方」の校正の続きを喫茶店で。


寺田しのぶ「第3回仏鏡画展」

2019年11月25日 19時16分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 知人に紹介された、寺田しのぶ“「仏画だっていいじゃない」第3回「仏鏡画展」”を妻と二人で見てきた。開催場所は鎌倉芸術館(JR大船駅下車東口より徒歩10分)

 仏画や仏像は幾度も見たことはあるが、「仏鏡画」というのははじめての言葉である。ご本人のホームページ【⇒http://miru.co.jp/teradashinobu/】にも記載はしていないが、今回の展覧会のチラシには「私の仏画は一枚の鏡、私が写しあなたが映る‥‥」と記載があるので、そこから鑑賞した人なりに定義をするしかないようだ。
 このチラシからすれば、作品を鑑賞してそこに見る仏画には観る者の姿や思いが映されている、ということになる。

 鑑賞者は作品に触発された自分の目で自分の姿を見ている、ということになる。当然のようでいて、しかし、人は自分の感想に自分が投影されていることには無頓着に作品を批評し、理解したつもりになってしまう。その作品から受ける印象に自分が投影されていると考える人は少ない。だがそれが出来てはじめて批評というのは自立し成り立つ、と私は思っている。。
 「私が写しあなたが映る‥」、言い得て妙である。私も観る・聴く・体感することにかけては、人一倍多くを体験して味わってきたつもりである。だが体感した作品から自分を自覚的に読み取ることは難しい。いつもそれを試みる努力をしているが、達成感はまだまだない。
 このことは、絵画作品や彫刻を見ても、映画やはたまた小説や詩を読んでも当てはまる。音楽を聴いても同様である。自分の感受性を研ぎ澄ませるには、このことにおおいに自覚的にならないといけない。自戒を込めて。

 さて、描かれた仏像の線はとても鮮明で、そして破綻なく、震えることもなく念入りに描かれている。その緻密さにまず驚く。作者の潜めた息と緊張感が伝わってくる。すべての作品がとても濃密である。確かに造形のゆがみや彩色の乱れが一部にないとはいえないが、その緊張感は体感していて気持ちのいいものである。いつのまにか作者の緊張感を共有している自分に気がつく。張り詰めた一心不乱の自分になってみたいという思いが湧いてくる。そんな自分が作品の中にいる気がしてくる。

 会期は12月1日までと短いが、いい緊張感を味わえると思う。

★「八大菩薩」から「観世音菩薩(紺地金泥)」(1918)




★「帝釈天」(1919)

 


濃霧注意報

2019年11月25日 09時56分39秒 | 天気と自然災害

 朝起きてみるとベランダの手すりに雨が降った後が残っていた。小さな水滴の跡がそのまま乾燥せずに残っている。レインアイよこはまにも表示されない0.1ミリ以下の雨の区域が通り過ぎたようだ。そして湿度が80%ほどもある。
 珍しく濃霧注意報が出ている。昼まで濃霧が出る可能性があるとのことである。手摺りの水滴の跡は発生した霧に関係でもあったのだろうか。
 現在雨の区域は西南西から東北東へ、相模湾の沖を移動しているが全体に少しずつ北上しているように思える。間もなく降るのだろうか。昨日に続き湿度の高い不快な天気である。

 これより横浜駅まで。銀行やら買い物やら頼まれたことを済ませ、昼までにはいったん帰宅予定。午後には今度は妻と出かける鎌倉まで出かける予定。降らないでほしい。

 「わたくし流俳句の読み方・詠み方」の校正を約半分行った。友人にも依頼しているので、併せて今週末までに終了して製本作業に入りたいもの。校正だけでなく、文章の作り替えもおないたいところがいくつかある。手直しを始めると切りがない。